なにかが始まる2024✴︎言祝ぎするとイイよ!と言われた意味が紐解けた年末年始
年明けすぐに地震、飛行機事故、火災と続き、驚きの中におりますが、被災された方々や関係者の皆様が1日でも早く心の安寧を取り戻すことができますようお祈りいたします。
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新しき年の明けたるを言祝ぎ白し(申し)あげます。
あ、突然あらたまりましたが(汗)日本語ってなんて素敵なんだろうと思って過ごした わたしの2024年の始まりを表現してみたかったのです😁
みなさんはどんなお正月をお過ごしでしたか?今日から仕事始めの方もいると思いますが、わたしは ずーっと新しく始めたいことについて思いをめぐらせていました。
年末にふと、今までわたしが「思ってきたこと」や「感じてきたこと」「学んできたこと」、そして人から「言われてきたこと」が「やりたいこと」として一つにまとまって、「そうか!」と納得感がうまれたのです。
そんな話…聴いてくれます?
思ってきたことは…
みんな輝いちゃえばいいのにっ。誰にも遠慮せず、自分を我慢させることなく、本来の自由に伸びやかな存在のままでいられたら、嫉妬も競争心もうまれないのになぁということ。
感じてきたことは…
とはいえ、幼少期より様々な体験や経験を経て、処世術として身につけてきた「信念」「観念」「正しさ」「常識」は、それら(上記に書いたこと)を許さず、心の奥深くではそれらを求めているけれど、押し込めて蓋をしているから気づかず、気づかないフリをしているから重く苦しく、それらが行き場を失い、病気になったり、でも、だって、どうせ私なんてと自分を貶めたり、逆に誰かを責めたり否定したり罵倒したりすることで誤魔化し続けているんだろうなぁということ。
もちろんこれらは、わたし自身に対しても思い、感じ続けてきたことです。
だからこそ
学んできたことは…
心理学(心の構造や潜在意識理論や実践含め)やスピリチュアリティなどの目には見えないけれど、人にとって非常に大切な要素や、人が個性化するためのプロセスやそのプロセスサポートについて。
そして
人から言われてきたこと…
これはたくさんあって、おかん的存在とか、頼りになるとか、見抜かれてそうとか怖いとか(笑)これらは言われ慣れてるからそんなに気にならなかったのだけど、数年前に
「たにもとさんは言祝ぎをすると良いですよ」と言われたことがずっーと気になっていたんです。
言祝ぎ(ことほぎ)とは、言葉で祝うこと。です。
つまり、お祝いの気持ちを言葉にして述べるみたいなことなのですが、冒頭の「新しき年の明けたるを言祝ぎ白し(申し)あげます。」も言祝ぎです。
でもね、言祝ぎの意味を知っても、なぜそう言われたのか?これがなんとも腑に落ちない。
いやね、お祝いすることがあればもちろんわたしだってしますよ。完璧主義で厳しい目も持っているのは事実で、やたらめったら人を褒めることもないけれどもね(自分に嘘つけないの😅)
良かったね!おめでとう🎉素晴らしいね!がんばったんだね!とかさ、言うよね普通に。そういう事象があれば、それはするよね!
がしかし「褒める」と「祝う」はちょっと違うのかもしれなくて。
そう思ったら深堀りが止まらず、やっぱりこれをわたしに伝えた人は、そんなシンプルなことを意図して言ったのではないと感じたんです。
「言祝ぎ」それはいったい…
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褒めるってなに?
そもそもわたし褒めるってあまりする方じゃない。それはなぜ?
褒めるほどの素晴らしさを感じないってことも もちろんあると思うけれど、そもそも褒めるってちょっと上から目線な感じがするのかもしれない。
できている自分、知ってる自分、「正解」がまずあって、同じようにできた人、正解をした人を「褒める」みたいな、ね。
それと、コントロールが見え隠れする。褒める=おだてる=コントロールする
どれにせよ、褒めるには上下の視点が含まれているように感じているんだなと自己認識!
祝うってなに?
祝うって、おめでとう〜って「喜ぶこと」だよね。誰かが喜んでいることを一緒に、自分ごとのように「おめでとう〜」って。
それ、いっぱいやりたい!!笑顔で喜ぶ顔なんて、いくらだって見ていられる。
これが嫌だとかできない人は、ちょっと拗らせているな。きっと心が嫉妬や嫌悪にまみれていて。
でもなぜそうなるか?というと、処世術として身につけてきたモノたちがそう仕立て上げてしまった結果だろう。本当はそんなことはないはずだけど。
人は本来「喜び合いたい」生き物だと思う。
よく、ゴルフとかで相手がこれを決めてしまったら自分が次に入れないと負けてしまうというとき、相手がボールを打つときに「入れ!」と言えるか「外れろ!」というかで、自分の番にきたとき、自分のボールが入るかどうか決まるっていうの聞いたことありません?
これはほかのスポーツでも同じ。
脳は「否定形を理解できない」という特性があって、「否定形」を理解するために、否定されている内容や行動を一度イメージ化してしまうのです。
つまり、外れろ!って念じたら「ボールがカップを弾いてコロコロとグリーンを転がるイメージ」を自分の脳内に焼き付けてしまう…わけです。
だから、例え相手が外してくれたらラッキーだったとしても、自分が入れることを考えたら「入れ!」と念じた方が良いということ。
感情と脳内イメージを分離できるか?が大事になるね。
あ、だからね、何が言いたいかというと、人の幸福を喜ぶことは、自分の幸福に直結するってことです。
そして喜び合うのって上下もなくて、何視点なのかというと、祝福という言葉からも連想できるように、神視点ってことだと思う。
つまるところ…言祝ぎをするということは
今まで処世術として身につけてきた信じて疑わないモノたちを手放し、祓い、神性意識で喜び合うということなのでは?
はっ!!!!!!
この答えに辿り着いたとき、わたしの内側がコンステレーションされるのを感じ、とにかく熱くなった。
なんて素敵な気づきだろう。
ずっと気になっていた「たにもとさんは言祝ぎをすると良いですよ」の意図が明確になった。そして「これをやりたい!」までイメージできた。
これはゆっくりアウトプットしていこうと思っていますが、何をするか?が見えたのだから、まずはそれに向けて行動をしないとね。
ということで、VUITTONの財布をオンラインでポチりましたwwwwww
は?って感じよね。
わかる!なぜやりたいことがわかったのに、しかもここまでわりと良い話してたのに、なぜ物欲?だよね。
このあたりはゆっくり説明していきますね。
とにもかくにも、今日の話は新しい部活へとコンステレーションされていきます。
部活に入ってくれた人みんなで喜び合える、喜び合いながら現実を望む方へ変えていけるものです。
部活スタートは2月4日にしたいと思っていますので、それまでにはnoteやLINEでお伝えしていきたいな〜と思っています♡
♡♡♡今後の予定♡♡♡