
剣を受け取る、ということ
日本神話において、神々は、「剣」をもって困難と戦われる。
剣とは、まごうことなき武器ですね。道を切り開くための。
また、僕の師匠など、能力のある方は、神業の際、「何か」と戦うために、必要に応じ剣を使っているようだ。
これは、「祓い」のイメージですね。
僕について言うと、以前、落っこちるはずのない「伊富岐神社」のおふだ(御朱印)が、ひらひらと落ちてきた時があって、師匠は、
「呼ばれましたね?」
と言い、一緒にいたスピの仲間さんの一人は、
「剣を受け取りに行くんですね?」
と言った。
よくわからない僕は、「ええ~っ」と戸惑うばかりで、どうにもならない。(笑)
わかる人は、実際、神社などで、剣を手渡される感覚があるそうだ。
これはすごいことですね。
けど、言うまでもなく、僕にはわからない。
ところで・・・
noteだったか、他のBlogだったか忘れてしまったのだけれど、以前どなたかが、
剣とは言葉である。
と書かれていて、僕はこれに妙に納得した覚えがある。
神から剣を授かる=神から言葉を授かる。
その言葉が、自分の道を切り開く武器になる。
そういうイメージ。
これならわかる。
感覚的に理解できる。
だがそれも、神の言葉が聞こえなければ話にならない。
そこで問う。
自分は何者なのかと。
その延長上に道がある。
己を見つめ、
魂
の声を聞き、不要なものを手放していく。
自分の中に燃える炎は
愛。
「情け」なんかで消さぬよう、自分で薪をくべよ。
僕にとって伊富岐神社は、そういう場所です。