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「楽しさ」の賞味期限。

中学生ごろから、音楽を聴くのがとても好きで、好きなグループのアルバムを買っては、音楽プレーヤーに入れて、何度も何度も聴き返していた。中学生のころに響いていた曲を今聞きなおしてみると、同じ曲、歌詞が自分に響かなくなっていることがある。そういう時に、「ああ、成長したのだな」と実感する。

昔の自分にとって、楽しかったり心に響いたことも、今の自分にとってはあまり響かなかったりする。それを否定的にとらえて、「感動できるものが減ってしまった」と考えていたころもあった。しかし、自分の経験値が増えるにつれ、やってみたいことが増えたり、考え方が変わったりした結果、自分に必要なものが変わっていく、という考え方もあると、いろんなnoteを見ていて思った。だから、いま私が発信していることも、いらない人にはいらない情報だし、必要な人には必要な情報なのかもしれない。もちろん、どのように発信するか、という方法が私には不足しているので、それをこれからおぎなっていかなければいけないのだが・・・

この気づきが、自分の記事に対する肯定感の向上につながる、と感じた。noteで細々発信しているが、「なんで書いているのだろう?」という疑問はだれしも持つものではないか、と思う。私は、記事を書いていて、「読む人、いるのかな?」と思うことはたくさんあって、そんなに情報や自分の感じていることに自信がなかったり、私はそもそも発信したいものの軸がなかったりする。
でも、「過去の自分が面白いと思ったもの」と「今の自分が面白いと思っているもの」は違うし、過去の自分(=今より未熟な自分)が共感したものは、いま響かなくても大変価値があり、自分を助けてくれた言葉や文章だ。だから、未熟な文章でも、誰かの心を動かすことは可能だと思う。

変にあきらめて、ここで発信を辞めて、やりたいことをあいまいにしないために、「この記事を読んで面白いと思ってくれる人がいる」という肯定感は大事だ。毎日noteを続けることに対してネガティブになっている人が、この記事を読んで少しでも前向きになってくれたら、うれしい。

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yukiyuki
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