ゐ:意味があるか?は相手が決める。

何かを伝える時、論理をもって伝えるか、感情をもって伝えるか、いろんな伝え方があると思う。仕事の中では論理を使って報告や連絡をすることが多いし、それが伝わりやすい。しかし、日常の中では、感情を伝えることのほうが大事だから、案外論理を使うよりも人の心を打てる人のほうが人間関係がうまくいく気がする。

男性脳・女性脳という話があるが、男性が左脳向き、女性が右脳向きの考え方をするから、容易に分かり合えないということだろう。
確かに男性は理屈で話をするし、それは気持ち的に納得がいかない、と考えることはよくある。女性の感情的なところを快く思わないこともあるだろう。そもそも、論理で伝えられれることと、感情で伝えられることは別なのだから、論理を投げて、感情を返されたら、かみ合わないのは当然だ。

この合わなさに、「こうすればよい」のような解決法を突き詰めたいと思っているわけではない。ただ、違いを知っていることはコミュニケーションにおいて大変重要で、「何を伝えるか?」を考えるときにどちらの方法を選ぶか、考えるべきだと思っている。また、相手が何かを伝えようとしている時、気持ちなのか、理論なのか、気づくことが大切なのだろうな、と思う。すれ違いはいつも何を伝えようとしているか、気づかないから起こるのだ。

ちょっと話がわき道にそれるが、文章を書く時も、論理構造を明確に書くか、感情を伝えるために書くか、二つの書き方がある、と思う。
情報発信のために書かれている文章は、このような結果を得るためには、読者にこのような行動をしてほしい、という論旨が明確である。一方で、明確な論理構造はないかもしれないが、情景が浮かんで主人公に感情移入できるような文章にも価値がある。
論理構造を明確にするための文章は、大学受験等でも習うし、どうやって書くのかわかりやすいが、感情を表現する文章は、方法論がなく(もしかしたら、小説の書き方みたいな本に書いてあるのかもしれないが)難しい。

このnoteを始めた理由に、「自分の気持ちがはっきり見えておらず、明確にさせたいから」があったが、全然前に進めていない。焦っているわけでもないけれど、感情と考えていることを区別するのも難しいし、文章を書くとなると冷静になってしまって、どんな感情だっけと忘れてしまう。小説を読んだり、人と話したりしている中で感情を記すノウハウが少しずつたまっていくのだろうか。

思うに、小説の中では、「ある経験を通じてこう変わった」という感情の動きが人を惹きつけるのだろうなと思う。「一人でもいいや」と思っていた人が「仲間といるっていいな」という仲間の大切さを知るとか、「すぐ誰かに頼ってしまう」弱い人が「友人のために頑張る」とか。そういう物語を見ると頑張れ、と応援したくなる。日常の中でそんな感動を覚えることはなかなかないし、そうであってほしくないけど、頑張る人がうまくいかなかったりも現実にはあるから、こういった類の物語に心惹かれるのだろう。

そういう心の動き、をとらえて(とらえるために観察力を鍛えて)文章にすることができれば私も一歩前進できるかもしれない。

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