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り:理不尽なことに見舞われたときに思うこと。

昨日コミュニケーションについて記事を書いた。

周りの人と接する中でどうしても受け入れられないな、と思うことはたくさんある。そういう時に、人や環境を見切ってしまうと、自分の世界が小さくなってしまう。かといって我慢してそこにいるのも、なんだか違うような気がして、納得できない環境にいるときの価値観を形成していかないと、これからもっとつらいと感じてしまうだろうな、と思う。

私は納得できないことがあっても、容易に流せないタイプである。

まあいっか、とは思えないし、
原因を追究してその原因を排除するか、できるだけ無くしてしまえるよう
どう行動したらいいのかすぐ考えてしまうし、
なんとなくやり過ごす、がなかなかできない。

けれども、なんとなくやり過ごす、ができる人を見ていると
そっちのほうがストレスもないし、いいのかなと思う。

年を取るにつれ、自分の努力で解決できることはかなり少なくなり、
諦めなければならないことが多く出てくる。
相当な努力をしていたとしても
裏切られたり理解されないことは思ったより多い。

そこにいちいち裏切られた!理解されない!と思っていたら、
やってられないし気持ちが持たない。
かといってすべて投げ出してしまうと、それもしんどい。

努力しないと能力がなくなるし、
仕事がきたときにこなせなかったりするだろう。
一般的に考えると、仕事をこなせる=評価される、なので
できれば仕事はこなせたほうが良い。

となると、どう考えていければいいのだろうか?

答えは見えているようなものだけど、
努力してスキルをあげることが前提にある。
その努力があるからこそ、
理不尽なことが起こっても、
その努力があるから自分を信じられるし、
頑張ろうと思える動機ができる。

自分のやってきたことに重きを置きすぎると
評価されて当然!という思考になってしまうので
そこはバランスをとっていかないといけないが、
努力があるからこそ、これだけやったから、あとは仕方ない
まあいっかと思える境地が来るのかな、と考えている。

まあいっか、にたどり着くには、
理不尽を受け入れるためには、
やっぱり努力が前提にある、という結論になってしまった。

尻切れトンボな感じになったが、
今日はここまで。

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