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ジョーも、アンも、ハイジも、ローラも。斎藤美奈子さんの「挑発する少女小説」

文芸評論家・斎藤美奈子さんの本は
いつ読んでも刺激的。 

わたしがかつて持っていた
「文芸評論」という言葉のイメージは
斎藤さんの本でガラリと変わりました。

その作品を時代背景や女性から見た視点も含め、
詳細に、でも歯切れよく書いていく。

毒もユーモアも含んだ文章そのものも
とても魅力的で、20代の頃からファンでした。 

斎藤さんの本で紹介されていたので読んだ本も
たくさんあります。

そして、今回の新刊
「挑発する少女小説」(河出新書)
で取り上げられているのは
「若草物語」
「赤毛のアン」
「あしながおじさん」
など、本好きの女性なら(男性も?)
一度は読んだことのある本ばかり。 

ちなみに、「少女小説」と言えば
日本では古いところでは
吉屋信子さんなどの作品を思い出す方も
いらっしゃるかもしれません
(いや、さすがにあまりいないかな)。

この本で扱われているのは19-20世紀に書かれた
欧米の翻訳物の作品で、
女性の作家が少女向けに書いた
「家庭小説」とも呼ばれるジャンルの作品。

当時は家庭小説は、斎藤さん曰く、
「宗教教育や家政教育を含めて、
よき家庭婦人を育てるための
良妻賢母の製造装置」
だったのです。

そのような欧米の少女小説が
戦後の日本で親しまれるようになったのは
自然の流れたったのかと思いきや、
その背景には
「GHQの民主化政策が関係していた」
のだとか。

なぜなら、それは
「欧米型の望ましい家庭生活を女子に学ばせるツール」
だったから。

でも、「赤毛のアン」や
「若草物語」のジョーは
いわゆる良妻賢母型の女性ではありません。

斎藤さん曰く、
もっと見本になるようなお嬢さんを描いた
作品はもっとたくさんあったはず。

でも、その中で時代を超えて
現代もなお愛され、読み継がれているのは
型通りの模範的な少女を描いたものではなく、
むしろそこにNoを叩きつけたり、
一見良妻賢母パターンを
たどっているように見えても、
実はその枠組みの中で
自分らしい人生を選びとっていった女性たちの
物語なのです。

自分が子供の頃に読んだお話を
改めて斎藤さんの視点で解説していただくと
もう一度あの本たちを読み直したくなりました。

そして、斎藤さんといえば
わたしは「文字の世界の人」
(=テレビ・ラジオなどのメディアには出ない人)
のイメージがあったのですが、
昨日TBSラジオ
「アフター6ジャンクション」
に生出演されていて
この本のお話をされていました。

斎藤さんらしいキャッチフレーズで
取り上げている作品を紹介してくださったのですが、

「恋愛や結婚がなんぼのもんじゃい!
『若草物語』」
「本当は戦う少女の就活小説だった
『赤毛のアン』」
「スイス観光キャンペーンガールが見た
資本主義の光と影『ハイジ』」 

‥ね、面白そうでしょ?

話しっぷりも文章同様、
歯切れが良くて、
もっともっとお話が聞きたくなりました。

なお、斎藤さんは東京新聞「本音のコラム」
にもコラムを連載されています。

9月1日のコラムは「震災前夜の感染症」。

1923年9月1日の関東大震災では
多くの方が被害にあい、
死者・行方不明者は10万5000人
と言われていますが、
その前の1918-1921年に猛威を振るっていた
流行性感冒(スペイン風邪)で
亡くなった方は38万8000人。  

3年にわたる流行性感冒で
そんなに多くの方が亡くなっていたのですね。

当時の感冒への対策は
現在のコロナ対策と同じようなものだったとか。

(マスク、多人数の集合の回避など)
斎藤さんのコラムを抜粋します(行替えも)。 

「だが政府の施策は徹底性を欠き、
与謝野晶子は横浜の新聞に
激烈な批判を寄せた。

『盗人を見てから縄を綯うと云うような日本人の便宜主義がこう云う場合にも目に附きます。
どの幼稚園も、どの小学や女学校も、
生徒が七八分通り風邪に罹って仕舞つて後に、
漸く相談会などを開いて幾日かの休校を決しました』

『予防と治療とに人為の可能を用ひないで流行感冒に暗殺的の死を強制されてはなりません』」

(2021.9.1東京新聞朝刊・本音のコラムより) 

与謝野晶子がこれを書いてから
100年たっても、
政府の対応があまり変わっていないことに
愕然とします。  

今回も読んでいただき、
ありがとうございました。

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