ゆきむすめと村人たちのバトル?意外過ぎた「ゆきむすめ」
吉祥寺の中道通りには絵本や海外のおもちゃなどを販売している「絵本と雑貨 あぷりこっとつりー」という、素敵なお店があります。
通りかかる度に立ち寄っているのですが、先日、面白い本に出会いました。
赤羽末吉さんが絵を、今江祥智さんが文を書いた絵本といえば、わたしには「ももたろう」が思い出深いのですが、このお二人が絵と文を担当した、「ゆきむすめ」という本です。
これまでにも様々なパターンの「ゆきむすめ」のお話をを、飲んだり聞いたりしたことがあったのですが、この本はかなり奇想天外。
このお話の中では、
「昔、北の国にはゆきおんながたくさんいた」
ということになっています。
でも、ある男と夫婦になったゆきむすめが夫に無理に風呂に入れと言われて、溶けて消えてしまいます。
(それも悪気があったわけではなく、
「こんなにきれいな妻が風呂に入ればもっときれいになるのに‥」
という気持ちからだったのですが)
仲間の一人がこうして消えたことを知った他のゆきむすめたちは
「こんなふうだと、いくらゆきおんながたくさんいても、やがて皆消されてしまう」
と恐怖を感じたのです。
そこでそっと姿を消すか、と思いきや、ゆきむすめたちは反撃に出ます。
気に入った男を見つけると、美しい娘の姿で押しかけ女房になり、ゆきおんなと悟られると男を凍らせて自分は風に乗って消えてしまうのです。
こんなことが続いて起こり、
「これじゃ村の男は減るばかり。自分たちの嫁ぎ先がなくなる」
と憤ったのは村の女たち。
「相手がゆきおんななら火を燃やせばいい」
と火を燃やした薪を手に、集団で山へ。
ゆきおんなたちはこれにもめげず、村に入っては男に取り付いて凍らせ、村の女たちはあちこちで火を燃やし、
「ゆきおんな軍団vs村の女軍団」
という仁義なき戦いの様相に。
でも、ゆきおんなの中に1人だけ、姿も心も優しい娘がいました。
血眼になっている仲間たちに嫌気がさして一人で行動しているうちに、水車小屋でせっせとわらじを編む若者に出会います。
二人は夫婦になり、ゆきむすめは仲間に見つからないように、小屋を雪ですっぽり覆います。
二人の暮らしは穏やかに続きました。
でも、3月のある日。
雪解けも近づき、
「せめて雪の残るうちにあと一人でも」
と男を探していたゆきおんなたちは村のはずれの雪の小山を見つけてしまうのです。
雪が溶け始めている中で、不自然なこの雪の小山を前に、ゆきおんなたちはいつの間にか仲間が一人欠けていることに気がつき、
「これはもしや」
と気がつきます。
するりと雪の中へ入り、いなくなった娘を見つけてしまいます。
娘が
「このまんまにしておいて」
と頼みますが、そうは問屋が卸さない。
娘は夫にだけ聞こえるように
「自分もすぐに行くから、外へ出て」
というと、自分は炉に駆け寄り、残り火を土間のわらの山に投げ込みます。
あっという間に、あたり一面火の海に。
娘の夫だった男だけが、後に残りました。
それきり、村にゆきおんなが出ることもなくなりましたが、
やさしい妻を失った男は、
ひとり村を後にして
2度と戻ってきませんでした。
・・・・・・・・
古本屋で一気に読んだわたしは
「これ、わたしの知ってる雪むすめの話と、全然違う…」
と呆然。
改めてパラパラめくってみると、表紙の裏に作者の今江祥智さんの
「『ゆきむすめ』とのこと」
という文章があり、
「このお話は日本昔噺や雪女の物語を核に、自由に空想し、ふくらませた、いわゆる『創作昔噺』」とのこと。
「創作だったのか」
となんだかほっとしてしまいました。
それにしても、こういう内容とは思わずに読みだしたのでびっくりしましたが、東北地方の方言らしき言葉も味わい深く、赤羽末吉さんの絵も素晴らしいので、思わず買って帰りました。
でも、この本、子供に読んであげるのは、ちょっと考えものかも。
大人が読んで楽しむ本なのでしょうね。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
*父の誕生日に合わせて、久々に夏に帰省しています。
実家の猫・とらは鮭が大好き。
鮭の切り身を焼いている時、とらがなけば、美味しい鮭の証。
逆になかない時は、いまひとつの時。
今日切り身を焼いている時、とらがにゃあにゃなくので、これはもしや?と思ったら、やはり大当たり(^^)
美味しい鮭でした