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アトリエに入った瞬間、10歳若返る。 映画「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」

わたしがコロナ禍前に最後に海外に行ったのは、
4年前のコロンビア。

その時、楽しみにしていたのが、コロンビア出身のアーティスト、フェルナンド・ボテロの「ボテロ美術館」でした。

コロンビアのボテロ美術館にて。

彼の作品は、女性も果物も動物もぷっくり、まるまるとしたシルエット。

ボテロ美術館で作品たちを堪能し、いつかは彼の故郷のメデジンにある美術館に行きたいと思っていましたが、コロナ禍になり、海外に行く事も難しくなってしまいました。

でも今年、日本で26年ぶりにボテロ展が開催され、彼の生涯をたどる映画も公開されることに。(しかも、場所はどちらも渋谷のBunkamura!)

かくして5月1日の映画の日、渋谷へ!

まずは、2018年の映画、「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」を鑑賞。

ちなみに、ボテロさんは1932年4月生まれの90歳。

(実はわたしは彼が好きすぎて、あまり呼び捨てにしたくないのです。)

2018年公開のこの映画にはご本人やご家族も出演しているのですが、わたしは「生きているボテロさんだ!」と、まずそのことにワクワクしました。

撮影時にはすでに80代後半だったはずのボテロさん、バリバリの現役感。

長女のリナさん曰く、彼は「アトリエに入った瞬間、10歳若返る」のだとか。

昔の写真や映像も交えて彼の人生を辿りつつ、「世界で最も有名な存命の芸術家」がまさに今も活動している様子に目を奪われました。

コロンビアに行く前に彼の人生についても調べていたのである程度の知識はあったのですが、映像も交えて、そしてボテロさんを始めとする関係者本人の言葉で語られる事実は、とても生々しく、印象的でした。

例えば、彼が子供時代にお父さんを亡くしたことは知っていましたが、
「父が具合が悪くなり、自分たち兄妹が近所の家に行かされて30分後に父が亡くなった」
とボテロさん本人の言葉から、突然のことに呆然とする思いが生々しく伝わります。

画家として成功を掴むまでは、苦しい生活を送っていたボテロさん。

たまたま隣家の画家を訪れていたMOMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーターが彼の家にも立ち寄ったことで作品を認められ、「12歳のモナ・リザ」という作品がMOMAに展示されることに。

そこから彼の人生は劇的に変わっていくのです。

彼の3人の子供達も今それぞれに父をサポートしているのですが、長女のリナさんはキュレーターでもあり、今回のボテロ展でもキュレーターをつとめています。

その彼らも沈痛な面持ちで語ったのはボテロさんが再婚して生まれた三男、ぺドリートのこと。

家族みんなに愛された彼が自動車事故で亡くなったことは異母兄姉たちにとっても大きな衝撃でした。

その死がどんなに大きなことだったかを、今回の映画で初めて知りました。

ぺドリートを抱いていた兄は、自分は無事でしたが、膝に抱いていた弟の死を目の当たりにします。

ボテロさんはぺドリートの体に刺さった金属を引き抜こうとして自分自身も利き手の右手を負傷。

芸術家として成功し、富も名声も手にしていた彼が最愛の息子を失い、二度と絵を描くこともできないかもしれない、という不幸に見舞われたのです。

アトリエにこもったボテロさんは、何枚も何枚も、亡くなったペドリートの姿を描き続けます。

兄や姉はその絵の表情が
「当時の弟の表情そっくりだ」
と言います。

(これは撮影OKだったコロンビアのボテロ美術館で撮影したペドリートです)

ボテロさんが次々に描いたペドリートの表情はあどけなくて、神々しく見えるものもあり、「馬に乗ったペドリート」という作品は、最高傑作とも言われているのだとか。

そして、画家として成功していたボテロさんが彫刻を学び、作品を作る姿からは、歩みを止めずに常に前進しようとする芸術家の気迫も感じました。

また、イラクで駐留米軍兵士による旧アグレイブ刑務所でのイラク人収容者に対する暴行と虐待事件が報じられた時、彼は強い衝撃を受けます。

そして、その衝撃と怒りをぶつけるように、8ヶ月間、その暴行と虐待事件を題材にした連作を描き続けるのです。

その作品を描いている時の彼は、怖いくらいの気迫に満ちていて、筆の動かし方も激しい。

あるキュレーターがその連作について「描き方はとても美しいのに、凄惨な場面を描いている。
でも、だからこそ伝わるものがある」
という内容のことをおっしゃっていました。

(彼はその連作を米国・カリフォルニア大学のバークレー校に寄付)

彼は見ているだけで嬉しくなるような明るい色合いの花々や動物、ユーモラスな人物なども描いていますが、それだけではなく、コロンビアで過去に起こった凄惨な事件も題材にするなど社会で起こる理不尽なことへの怒りや悲しみも描いています。

Mi vida es pintar.
(私の人生は描くためにある)
という彼の言葉通り、彼は生きる歓びも、美しさも、ユーモアも、怒りも、悲しみも、全て作品の中で表現しているのです。

こうして映画で「予習」した後は、いざ展覧会へ。

長くなりましたので、続きはまた次回に。

今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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