ありがとう、さようなら。
4月13日、実家から母の妹である叔母が亡くなったと連絡がありました。
病気もあり、この一月からはまた入院していたものの、こんなに早く亡くなるとは。
叔父も2年前の4月に亡くなり、叔母はずっと叔父に迎えにきて欲しいと言っていたそうなので、今頃は叔父と再会して喜んでいるのかもしれません。
叔母は夫妻の一人息子であるいとこは約2年のうちに両親を亡くしたのですから、どれだけ寂しいことか。
そんなに密接な親戚付き合いをしていたわけではないのですが、昨日の知らせの後、子供の頃に可愛がってもらったことや、大人になってからも手紙やハガキなどを送るととても喜んでくれたことなど、様々なことを思いだしていました。
何か母に書いて送ろうかと本棚を探していて、高橋睦郎の「永遠まで」という詩集の「この家は」という詩を思い出しました。
「この家は私の家ではない 死者たちの館
時折ここを訪れる霊感の強い友人が 証人だ
色なく実態のない人物たちが 階段を行き違っている
彼等は恨みがましくなく 晴れ晴れとしているのが 不思議だ
と彼は言う 不思議でも何でもない 私がそう願っているからだ
親しい誰かが亡くなって 葬儀に出るとする
帰りに呉れる浄め塩を 私は持ち帰ったことがない
三角の小袋をそっと捨てながら 私は呟く
もしよければ ぼくといっしょにおいで
その代わり ぼくの仕事を手つだってね」
(これは詩の一部を抜粋・転記したものです)
本当に大切な、大好きだった人が亡くなってからも側にいて見守ってくれていたら、それだけでどんなに心強いことか。
そして、様々な理由で頻繁に会えないとしても、大切な人にはできるだけ会いに行ったり、電話やメールで連絡を取っておきたいと改めて思いました。
今回も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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