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北海道・帯広の花いっぱいの庭で人を幸せにした紫竹さん

北海道・帯広には
「紫竹ガーデン」という、
広々とした、素敵なお庭があります。

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そこは、帯広出身の
紫竹 昭葉(しちく・あきよ)さんが
ご主人を亡くされた後、
62歳の時に開園された観光庭園でした。

まだ1992年、今ほど
一般の方が
ガーデニングを楽しんでいなかった頃です。

紫竹さんはお母様がお花が好きだっただけではなく
お母様のご実家が北見でぼたん園をされていて、
「子どもの時からそこへ行くのが楽しみだった」 
そうです。 

あるインタビューで子供時代の思い出を
話されていたのですが、
紫竹さんが子供の頃、野原で花を摘んで帰ると、お母様は
「ありがとう。うれしいわ」
と言って、お家に飾ってくれたのだとか。 

「幼心に
『お母さんをもっと喜ばせたい』
と思って、花を摘むのが好きになりました」
と話されているのが印象的でした。

ガーデンを作って、
美しい花々でたくさんの方を喜ばせる
紫竹さんのやさしい気持ちは、

子供の頃からずっと続いていたのですね。
最愛のご主人を1983年に亡くされた時、
紫竹さんは56歳。 

泣いてばかりの毎日の中で
「残りの人生で何ができるだろう?」
と考え、
「子供の頃大好きだったお花畑を作ろう」
と思ったのだそうです。 

紫竹さんの本「北の国 花物語」には
紫竹さんのこんな想いが書かれています。

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「わたくしの子どもの頃は、
どこに行っても野原があり、
そこは野の花だらけでした。

クガイソウ、カラマツソウ、
エゾノトウチソウなど、みなそうです。

ところがそうした北海道自生の野の花が、
次第に開発で消えていくのが惜しく、
こう考えたのです。

『北海道自生の野の花を集めて残したい。
そのためのお庭をつくろう。』
それはやんちゃなわたくしらしい夢でした。」

62歳の時に
「わたくし、花の農家になる」
と宣言。 

でも、花好きとはいえ、
紫竹さんは農家の経験も、
庭造りの経験もなかったので、
ご家族は大反対。 

そんな中で、長女さんのご主人が
「夢を持つのはその人だけの才能。
誰も止めることはできない」
とご家族を説得してくれたそうです。 

帯広の郊外に敷地を購入し、
英国でガーデニングを学ばれた
ガーデンデザイナーの奥峰子さんに
基本デザインを依頼し、
6ヘクタールの敷地に自分の手で
2500種類の花や樹木を植えて、
庭を育てていったのです。

奥さんは上記の本の紫竹さんとの対談で
「すべて個人の力でやってこられた。
そのことに頭が下がります。
これだけの広さのプライベートガーデンは、
まず、日本にはないでしょうね。」
と話していらっしゃいます。

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当初は訪れる人もあまり多くなかったものの、
次第に道内外だけでなく
海外からも観光客が訪れるようになり、
年間10万人以上が訪れる観光名所となります。

紫竹さんは年を重ねても
家族の助けも借りながら
自らもガーデンの手入れをし、
いつもポケットに花の種を入れて
雑草を抜いた後に種を撒いたりしていました。

トレードマークの花柄の服や
花を飾った帽子を身につけて
来場者をもてなし続けます。 

そんな紫竹さんが5月4日の朝、
自宅の庭で日課の作業をしているときに
倒れているのが見つかりました。 

朝日新聞デジタルの記事によると、
紫竹さんは
「左手にコリアンダーの種、
右手にスズメにあげるパンくずを
握っていた」
とのこと。

その記事には、長女さんの
「普段から花畑の中で花に囲まれて死にたいと
いっていた通りの最期だった。
多くの人に支えられ、愛され、
幸せな人生をまっとうできたと思う」
という言葉が紹介されていました。

本当に、大好きな庭仕事をしながらの
大往生だったのですね。

わたしが紫竹ガーデンを訪れたのは
2000年の夏のこと。

夏の花々が元気に咲いていたのを
思い出します。

コロナ禍があけて
また旅行ができるようになったら、
久しぶりに紫竹ガーデンに行ってみたいと思います。 

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紫竹さんのご冥福をお祈りします。

今回も最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。


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櫻木 由紀 Yuki Sakuragi
カフェで書き物をすることが多いので、いただいたサポートはありがたく美味しいお茶代や資料の書籍代に使わせていただきます。応援していただけると大変嬉しいです。