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たとえ無力だとしても【イスラエル・パレスチナ旅行記6】


こんにちは、yukiです。

今日は、
イスラエル・パレスチナ旅行記の最終回です。

数年前の旅行記ではありますが、
報道ではなかなか知ることのできない、
旅行者目線でのこの地域について書いています。

最後は、
パレスチナの3つの町を
巡っていきます。

それでは、どうぞ。



ベツレヘムと分離壁


エルサレムから日帰りで、
ヨルダン川西岸地区(パレスチナ)南方にある
ベツレヘムへ行ってみることにしました。


町の中心でバスを降りると、
観光客をターゲットにした人々
次々と声をかけてきます。

しかもウソ言って
タクシーに乗せようとしてくる…汗

同じパレスチナでも、
これまで行った街とは全然違う雰囲気です。

観光客が多いとこうなっちゃうのかな。


ところで、ベツレヘムという名前、
けっこう有名だと思うのですが
どんな場所だか知っていますか?


ベツレヘムは、
イエス・キリストが誕生した地なのです。

イエスが生まれたとされている場所には、
「聖誕教会」が建てられています。

「ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路」として、
世界遺産にも登録されているのです。

4世紀に建てられ、
たびたび改修されてるようですが、
僕が訪れた当時も絶賛改修中

何がなんだか、
よく分かりませんでした苦笑


聖誕教会と巡礼路に目が行きがちですが、
ベツレヘムの町には別の側面もあります。

それは、町に密着して建つ、
イスラエルの分離壁がある
こと。

(分離壁については
 2回目の記事で解説しました)

町中に10m近い壁が突然現れるのは、
異様というほかありません。

この壁は、
パレスチナの人々の生活圏を分断し、
日常生活に打撃を与えています。

壁の表面には、
取り壊しを求めるたくさんの絵や
メッセージが描かれていました。

壁のチェックポイントを抜けて、
イスラエル側に入ってみることにしました。

厳重ですが、
外国人は簡単に通り抜けることができます。

チェックポイントを越えると、
壁から先はスッパリ町が途切れていました。

イスラエル側の壁には、
何も描かれていません。当然か。

ベツレヘムは、聖地なのに、
どこか重苦しい空気が漂っている…




エルサレムに戻り、
ふたたび「嘆きの壁」に行ってみます。

毎日のように、
深く祈りを捧げるイスラエルの人々。

ユダヤ教には「選民思想」があるといいます。

だとすると、その熱心な祈りは、
お互いの平和に向けられてはいない…?

でもユダヤ人だって、
何百年、いや、何千年と、
世界中で虐げられてきたのです。

ホロコーストなんて想像を絶します。

ようやく故郷に帰れて、
その地を取り戻そうとする行動も、
全否定はできないと思ってしまいます。

とはいえ二元論でなく、
共存する術はないのだろうか…


ヘブロンの占領地


ベツレヘムへ行った翌日、
今度はヘブロンという
パレスチナの街へ行くことにしました。

このヘブロンもまた、
大きな問題を抱えています。

車を降りて歩き始めると、
賑やかな市場の音が響いてきました。

一見、普通のパレスチナの町のようです。

しかし、
繁華な通りを進んでいくにつれ、
だんだんと人通りが少なくなっていく。

壁には、

「FIGHT GHOST TOWN(戦え、ゴーストタウン)」

「THIS IS PALESTINE(ここはパレスチナだ)」

の文字が。




ここヘブロンは、
町の一部をイスラエルが支配しています。

前回まで度々出てきた「入植地」が、
“町”として形成されるのではなく、
“町の中の一部”として形成されているということ。


パレスチナの町を見下ろすように、
イスラエルの監視棟が建っています。

ユダヤ人入植者の安全確保のためでしょう。

通りを一本隔てて、パレスチナと、
イスラエル支配地域に分かれている
のです。

イスラエル側との軋轢で人々が流出し、
かつて繁華だった商店街が
ゴーストタウンになりかけているのでした。



こんなことになっている原因は、
この「マクペラの洞穴(ほらあな)」です。

ここは、
旧約聖書の預言者アブラハムが
埋葬された地
とされています。

つまり、
「アブラハムの宗教」といわれる
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、
どの宗教にとっても聖地
なのです。



このマクペラの洞穴を巡って、
これまで何度も血が流れてきました。

アラブ人によるテロ、
ユダヤ人によるテロ。

土地の奪い合いも発生していました。

結局、双方の政府が合意のうえ、
ヘブロンの土地の一部を
イスラエルが管理することになった
のです。

住民間の衝突が生まれるのも
想像に難くありません。

ユダヤ人入植者は、
アラブ人を追い出したい。

アラブ人は、
元いた場所を取り戻したい。


パレスチナ側の商店街には、
覆い被さるように金網が張られています。

これは、通りを隔てたユダヤ人入植地から、
嫌がらせでモノが投げられるため。

常に上から監視されてるのって、
ものすごい息苦しさです。

多くの店が閉まった商店街で、
陶器屋さんのおじちゃんに
声をかけられました。

「生活、大変ですよね」

「そりゃそうさ。
 いつも私たちは監視されている。
 店もどんどん潰れてく。
 いつまでここでやってけるか…」



町中に突然現れる検問所が、
イスラエルが支配する地区の
出入り口となっています。

外国人は自由に行き来できるので、
中に入ってみました。

そこはまさしくゴーストタウン…

警備で歩き回るイスラエル兵に、
たびたび遭遇します。

「やあ!元気かい?」

兵士さんは明るく声をかけてくれます。

でも、握られた銃が気になってしまう…汗


標識には、アラビア語はありません。



がらんとした通りを歩いていると、

「ハロー!」

小さく子どもの声が聞こえました。

キョロキョロ見回すと、
少し離れた2階の窓から、
子どもが手を振っています。

アラブ人のようです。

ユダヤ人が支配する地区に、
一部のアラブ人は
いまだに住んでいる
のだそう。

ここに住むストレスって
半端じゃないですよね…

町に行くにも検問所を通らねばならないし、
周りの住民に敵視されてるのですから。

壁に描かれた絵も、不穏な雰囲気…。


イスラエルの占領地区を進むと、
“シュハダストリート”という道に出ます。

ここは、アラブ人は一切侵入禁止の場所。

アラブ人がここを歩くと、
銃撃されてしまうと聞きました。

かつては繁華な通りだったとのことで、
変わり果てた姿が哀しさを滲ませます。

シュハダストリートの端には、また検問所。

ここを通り抜けると、
パレスチナ側に戻ります。

パレスチナ側には、
道の封鎖に抗議するコンクリートが
いくつも置かれていました。

重苦しい気持ちで、
ヘブロンを後にしたのでした。

最後の町、旅の終わり


旅の最後に行ったのは、
ヨルダン国境に近い、
エリコというパレスチナの町です。
(ジェリコともいわれます)

もともと行く予定はなかったものの、
国境は14時でクローズするらしく、
通り抜けられなかったのでした。


重い荷物を背負って
町まで歩くのも大変なので、
国境近くの荒野にテント張ります。

まだ日没まで時間があるため、
10kmほど離れた「聖ゲオルギウス修道院」
歩いてみることにしました。

小さなエリコの町を通り抜け、
ワディ(枯れ川)を歩いていくと、
途中から山道に入っていく。

想定外の絶景ロードでした。


断崖の道を進んでいくと、
オアシスのような緑が姿を現し、
修道院が見えてきました。

ファンタジーの世界みたい!

約1600年ほど前の建築だそうです。

このあたりの荒野で、
イエス・キリストが断食修行をし、
悪魔の誘惑に遭った
といわれています。

到着したころには修道院は閉まっていて、
中には入れなかったのですが。
(いろいろタイミングが悪い日でした!)



日が傾いてきたので、
山道はやめて、車道から帰ります。

修道院から出るところで
3人のアラブ人男性とすれ違いました。

「やあ!修道院はどうだった?」

「残念ながら閉まってましたよ。」

「閉まってた?!
 せっかく来たのに…。
 一応見に行こうか」

3人は修道院の方へ歩いて行きました。


町に向かって歩いていると、
後ろから3人が車で走ってきました。

「閉まってて見るとこないから
 帰ってきちゃったよ笑
 エリコ帰るなら乗ってくかい?」

ありがたい!

車は、夕暮れのなか、
荒野の坂道を下っていきます。

「俺たちは、
 ナブルスから旅行で来てるのさ。」

「え、数日前にナブルス行きましたよ!」

「本当か?!」

お兄さんたちはとても人が良く、
パンやお菓子をくれたり、
車を停めて飲み物を買ってきてくれたり。

本当に親切!

「町の公園に寄ってかないか?」

「ええ、行きます!」

連れて行ってくれたところは、
公園っていうより遊園地でした。

子どもだけでなく
大人もたくさんいて、
夕涼みを楽しんでいます。

お兄さんたちは、
「パレスチナへのお客さんだから」と
アイスやコーラを買ってきてくれます。

コンクリートの階段に並んで座り、
噴水を眺めながら、
暗くなってもおしゃべりしてました。

最後の最後に、
パレスチナの日常を見られて、
楽しい夜にしてもらったことに感謝!


イスラエル、パレスチナの旅は、
これで終わりました。

旅を通して、
自分の目で見ようとしていた
パレスチナ問題。

ほんの一部にしか過ぎないにせよ、
多くのことを知ることができました。

でも、知ったことで一層、
どう解決すればいいのか
イメージできなくなってしまった
のです。

イスラエルも、パレスチナも、
どちらも傷つけられているし、
傷つけてもいる。

当然どちらにも言い分はあって、
(共感するかは別として)
主張してることも理解できます。


今回の旅で色々なことを知ったけれど、
知っているだけでは何もできません。

いかに自分が無力であるか…。


しかし、
無力だとしても、知らなくちゃいけない
と思ったのです。

同じ地球上の人類として、
決して他人事ではありません。

たとえ無力でも、
傷ついている人々に想いを寄せて、
平和が訪れるよう祈ることはできる。

関心を持ち続けることで
人格が形成されていくはずです。

そういう人格を持った人は、
いつか誰かの力になれる機会が訪れたときに、
躊躇わず行動できるのだろうと思います。


世界への関心を
持ち続ける人でありたい
と、
そう思ったのでした。



イスラエルとパレスチナに
一刻も早く平和が訪れることを、
心から祈っています。


イスラエル・パレスチナ旅行記 おしまい



最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

イスラエルとパレスチナについて、
より深く知るきっかけになりましたら
嬉しく思います。

それでは、今日も良い1日を!



P.S.
この1週間、書くことに集中していたので、
スキ・フォローしてくださった方を確認できてません。
明日からお邪魔させていただきますね、
ありがとうございました!


P.P.S. 
次回からライトな旅行記に戻ります。



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