やさしい町と、草原での鳥葬【チベット旅行記5】
こんにちは!yukiです。
これまで、4回にわたって
チベット旅行記を書いてきました。
多くの方が読んでくださって嬉しいです。
ありがとうございます。
全7回で考えていましたので、
もう少しお付き合いください。
さて、今日は、
次のようなお話をしていきますね。
「歩いているだけで
優しい気持ちになれる町」
「草原での鳥葬に
同行させていただいたこと」
後半はやや重めなので、
始まる前に注意書きしてあります。
それでは、どうぞ!
優しい町で過ごした時間
チベットを旅する途中で、
本当に好きになった町があります。
その町の名前は、リタン(理塘)。
大草原の中にある、
中規模な田舎町です。
町の第一印象は、微妙!
リタンの第一印象は、
「なんなんだ、この町!」(唖然)
道には、
牛、豚、羊、野良犬が。
もちろん、足元にも要注意。
さらに、
メインストリートが舗装されておらず、
バイクや車が砂埃を巻き上げていきます。
驚くのは、
町中でも標高が4000mあること。
階段を登るだけで、呼吸が苦しいです。
そんな感じで、
ちょっと最初の印象は悪かったのですが、
すぐにそれは覆されることになりました。
なんと歩いているだけで、
すれ違う人のほとんどが、
にっこりほほえんで
「タシデレ」と挨拶してくれるのです。
外国の田舎を歩くときって、
僕はちょっと緊張します。
だから、ウェルカムな雰囲気を
出してくれる方が多い町って、
歩いているだけで本当に嬉しくなります。
リタンは、まさにそんな優しい町でした。
「鳥葬を見てみたいかい?」
リタンに到着した翌朝。
宿のロビーに降りると、
オーナーのおじちゃんに
声をかけられます。
「明日の早朝、
近くで鳥葬をするみたいだけど、
見てみたいかい?」
鳥葬とは、
チベットで行われている葬儀の仕方です。
その名のとおり、
遺体を鳥に食べてもらうというもの。
またと無い機会なので、
同行をお願いすることにしました。
おじちゃんは何か食べていて、
「ちょっと食べてみる?」
と言われて見せていただくと、
白っぽい粗めの粉にバター茶をかけて、
指でこねて固めながら食べています。
これは、ツァンパという、
チベットではメジャーな食事でした。
一口もらうと、きな粉っぽい!
麦の粉末だそうです。
バター茶もいただきましたが、
うーん、クセがあって、
ちょっとしょっぱい…
僕はあまり好みでなかったです。
チベットの犬は怖い
おじちゃんにお礼を言って、
外へ出ました。
車やバイクが騒がしい町も、
まだ人気がなく、静かです。
朝の冷たい空気を浴びながら、
町を見渡せる丘の方に向かって
歩いていきます。
息を切らしながら坂を登っていくと、
1本道の先で1匹の犬が、
こちらを見ながら猛烈に吠え始めました。
牙!
牙出てる!
野良なので、もちろん鎖はありません。
海外の犬って、
かなり気をつけないといけないのです。
なぜなら、噛まれると
狂犬病になる危険性があるから。
(僕は予防接種してから行きました)
しかも、
「チベットの犬は凶暴だからマジで危険」
と他の旅行者から耳にしていました。
恐い顔で
吠え続ける犬。
うーん、でも、
この長い坂を逆戻りして、
別の道を探すのは嫌…
「去ってくれないかなあ」
と思ってにらめっこしていると、
犬が立ちはだかる道の先に、
人が現れました。
じっとしている僕から目を逸らし、
そっちの人に吠え始める犬。
あっ、これならいけるかも。
そろそろと犬の背中側をすり抜けます。
距離2m…
よし、抜けた!
瞬間、犬がバッと振り向き、
吠えながら走ってきました。
そりゃ当たり前だ!
ヒイイイ!!
坂を駆け上がり、
途中から犬は追いかけてこなくなりました。
テリトリーから出たのかな、よかった…
標高あるとこで全力疾走したので、
ゼーゼーいってます。苦しすぎる。
これなら横着せず別の道を探せばよかった!
これ以降、どの国に行っても、
リスクは取らなくなりました。
あの犬のおかげで
かなり救われてると思います。感謝。
朝の祈り
息を切らし到着した丘には、
旗でぐるぐる巻きにされた塔がありました。
その周りで、何か叫びながら、
祈りの言葉が書かれた小さな紙を
放り投げて歩く若い男性たち。
焼香が焚かれ、
煙が風に乗って、草原へ流れていきます。
丘をぐるりと囲むように環になっている道では、
幾人もの方が、敬虔な歩みで巡礼していました。
この丘は聖地なんですね。
丘を下っていると、
歩いているおばあちゃんに、
「歩き方が違うよ、こっちおいで!」
って身振りをされました。
ハッと思い出します。
チベットで歩くときは、
右回りでないといけません。
おばあちゃんに合流して、
一緒に右回りで歩いていきます。
歩きながら何か話してくれますが、
チベット語はわからない…
でも、そんなの気にもかけず
ニコニコしゃべっているので、
僕もつられてニコニコです。
声色と話し方と表情で、
気持ちは伝わってくる。
しばらく一緒に歩いてから、
おばあちゃんにさよならをして、
町に戻ります。
住宅地に入ると、
歩いているおじいちゃんに、
「大通りに行くのかい?一緒に歩こう。」
と声をかけられました。
歩きながら、
「ここの食堂美味しいよ」
って教えてくれます。
大通りにでると、
「私はこっちだから、それじゃあね。」
とニコニコしながら去っていきました。
リタンにいる間、
こんな一瞬の出会いが、
何度も何度もあったのです。
歩いてるだけで、
ほほえみながら声かけてくれるし、
なんだか幸福度の高い人が多い感じ。
お寺(ゴンパ)の僧侶の皆さんも、
とてもフレンドリーな方が多かったです。
本当に、居心地のよい町。
草原の鳥葬
【ここでは鳥葬について書いています。リアルな書き方はしないよう気をつけましたが、少しでも気にされる方は飛ばしてください。】
リタン3日目の朝。
午前7時の日の出と同時に宿を出発して、
鳥葬が行われる場所へ向かいます。
車は町を出て、
ガタガタ道をしばらく走り、
郊外の丘の麓に停まりました。
丘の斜面に、
十数人の男性が集まっています。
それを、
20羽ほどの大きなハゲワシが、
じっと見つめていました。
宿のオーナーに、
「今日は一人を送るそうだ。
僧侶の祈祷が終わるまで車で待とう。」
と言われ、待機します。
誤解しないでいただきたいのですが、
鳥葬は決して、“野蛮な風習”と
言い切って良いものではありません。
木が手に入らないから火葬ができず、
標高が高いので土葬しても
バクテリアが分解してくれない。
確かにそのような理由もありますが、
それより大事な考え方があります。
チベット仏教では、
「死んで魂が身体を抜け出ると、
残された遺体は単なる物質である」
と考えられています。
そして、鳥葬は、
「“慈悲の心”で行う“最後の布施”」
といわれているのです。
人生を終えた時、なお慈悲の心をもって、
自分自身を他の生命に施すということ。
祈祷が終わってから車を降り、
斜面に向かって歩いてきます。
ご遺体は、
大地にうつぶせになっていました。
鳥葬を主導している男性が、
鳥が食べやすいように、
刃物で切り込みを入れていきます。
ご遺体から人々が離れ、
男性がパンッと手を叩くと、
鳥たちが一斉に群がりました。
しばらく経ってから
男性がまた手を叩くと、
鳥たちが離れます。
数人で、残った骨を細かくして、
麦の粉と混ぜて団子を作っていきます。
その団子も鳥たちに食べさせ、
後には何も残りませんでした。
正直、かなりショックは受けました。
でも、受け入れられないものではなかった。
生命の循環…
自然界では当たり前のことでもあります。
最期に、慈悲の心をもって、
自らの身体を他の生命に捧げる。
それもまた、美しい生き方だと思います。
リタンの町へ戻って
リタンに帰る車に揺られながら、
さっきのことが頭の中でぐるぐるして、
ぼんやりとしていました。
でも、町に戻ると…
やっぱりそこには動物たちが闊歩していて、
砂埃が舞い上がっていて、
子供たちは「ハロー!」って走ってきてくれて、
大人たちは優しくほほ笑んでくれる、
そんな優しい町があるのでした。
ここで生きていく人にとっては、
これが日常なんだ。
中国との問題もあるけれど、
この町の皆さんがずっと平和で、
幸せに暮らせますように。
そう願って、次の町へ進んでいきました。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
良い1日をお過ごしください!
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