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単調な毎日を過ごすことがわたしの夢
わたしにも夢や目標はありますが、いわゆる自己実現とか啓発系のようなものではありません。時間をコストに置き換えたりもしませんし、無駄な時間を無くして効率よく自分の価値を高められるように努力することもしません。インプットに励んでリターンを期待したりもしません。
そんなわたしの夢は、出来ることならば、いまのような生活をいつまでも続けていくことです。
いまのような生活というのは、朝になれば自転車に乗って職場に行き、毎日同じことの繰り返しじゃないかと馬鹿にされそうな単純で簡単な仕事をひとから信頼してもらえるように生真面目に丁寧にこなし、職場のみんなとも冗談を交わしたりしながら笑って過ごし、障碍者である自分がここで働いていられることに感謝しながら帰宅する。
家に帰る途中でスーパーに寄り買い物をして、たまにはささやかな贅沢として洋菓子屋さんでスイーツを買って帰り、夕食を準備して、今日起きたことを話したりしながら夫と一緒に食事をとる。食後は音楽を聴いたり好きなことをして一日を終える。
休日は音楽と本に親しみ、映画を観たりたまには美術館に行き、体調がよければ近隣の観光スポットや公園やお気に入りのカフェなどに行く。気に入ったものを愛でて、磨いたり手入れをして大切に使い、家の中の一番気に入っている場所に腰かけてそこで暖かいカフェオレを少しづつ大切に飲む。そして、そういう価値観を共有できる夫とずっと仲良く一緒に暮らしていくこと。これがわたしの夢です。
些細でつまらない夢だと思われる方もたくさんおられると思います。わたしも二十歳のころは社会的な成功というようなものに憧れていました。
でも、双極性障害を発症してからわたしの生活は一変しました。上に書いたような生活さえ手のひらからこぼれ落ちてしまいかねない日々。とてもじゃないけど激務には耐えられないこころと身体。諦めたいくつかの夢。
でも、自分の人生に本当に残しておきたい物事ってなんだろう、そう考えるようになりました。高級外車やタワーマンション、SNSのフォロワー数、自慢できるような職業。そういうものはわたしの人生にはまったく必要ないと、心の底から思うようになりました。それよりも手に届く範囲にすべてが置いてあるような、そんな慎ましくもささやかな暮らしがしたい、そう強く思えるようになりました。
noteを始めて思ったのですが、啓発系の記事を書かれる方がわりと多いように見受けられます。きちんとしたテーマをもって、対象となる読者にきちんと届くようにタイトルや文章などにもテクニックを凝らして投稿する、みたいな。いいねの数を見ても、そういう記事が求められているんだろうなと感じます。
やはりこの世界では自分の価値を高めるために、意識高く自己を研鑽していかなければいけないのだろうかと、そんな風に思ってしまうことがあります。そういう情報交換というか、そんな記事のほうが人気もあるみたいですし、そんなわけで最近ここはわたしがいる場所ではないような気がしてきました。
いつまで続けられるかわかりませんが、鬱期がくるまでは書き続けていきたいと思います。