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【自己紹介_働く】多拠点生活者のお仕事変遷_YOUは何して生きてるの?
コロナ前から3年半、家なしアドレスホッパーで全国100拠点以上を飛び回る暮らしをしていると必ずと言って良いほど聞かれること・リアクションはこれだった。
「何の仕事して生きているんですか?」
「会社員だったの!?」
今は会社員ではなく、起業&フリーランスの二足のわらじではあるが、会社員(フル出社・フルリモート)・プロボノ・パラレルキャリア・フリーランス・起業とあらゆる形態で仕事をしてきた。
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そして何より、ホッピングの時もそうだが、自由に飛び回る暮らしをしている人と1500人以上会って様々な生き方・暮らし方を知っているからこそ、生き字引のように働き方・キャリアの相談をされることが多かった。
会社員や学生でホッピングしている人もいれば、看護師など、勤務場所をもつ人もホッピングしていたりする。そして1人や2人などのイレギュラーではなく、何人もいる。
リンダ・グラットンのLIFE SHIFTに書かれた暮らしをしている人が多くいるし、総じて幸福度の高い人達が多い。
前回書いた自己紹介記事で、暮らしをテーマに取り上げたのだが、想像以上に反響があった。公開初日でnoteの注目記事として取り上げられ、その週の#生活タグで最も”いいね”をもらった記事となっている。
(自己紹介記事前にnoteの有料化にチャレンジしたが、閑古鳥が無くレベルの反応の無さだったので、複雑な気持ちになったw)
前回触れたように、自己紹介記事から6年が経過。2018年当時は東京で1人暮らし。実家の大阪にはGWと年末年始の年に2回帰省するだけ。週5日フルタイム出社で生きていた。
そこからの6年間で本人も笑っちゃうくらい、色々ありすぎた。
・会社員で人事なのにフルリモートで働ける
・家がなくなり、家なし生活は3年半続く
・アドレスホッパーで全国100拠点以上まわる
・飲み会で上がったアイディアが地域創生の革新的なものに成長
・自分が何屋さんかわからなくなる
・定住拠点を複数もつ
・長野県でローカルプロジェクトの立ち上げにいくつも関わる
・会社員を卒業しフリーランス
・コーヒーを切り口にしたGX関連で起業
・フリーランス、起業での生活不安から会社員に戻るか悩む
などなど
理想の暮らしと働き方のバランスで悩む人が多いと思う。現に僕自身も過去に悩んでいて、今も悩むことがある。過去の自分にメッセージを送る気持ちで、これまでの働き方や暮らしとの両立でどんな悩み・葛藤があり、次を選択していったのか、ありのままに書いたので、こんなやつもいるんだなと思う位で楽しく読んでもらえたら嬉しい。
1.働くの概要:
僕は現在、34歳。社会人歴12年目を迎えようとしている。大阪出身で23歳の時に就職で上京。この11年間でどんな”働く”の変遷があったかをまとめてみた。
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実は最初に道を外した働き方をしている笑。新卒入社したワークスアプリケーションズは当時、インターン採用のみで内定パス制度というものがあった。これは、卒業してから1年or3年以内であれば、好きなタイミングで入社してよいという制度。
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当時僕は、音楽フェスに熱中していて、大学時代はまさに全国各地のフェスに行っていた。そしてひょんなことから、音楽フェスをやりたいと思い、大学卒業後この内定パス制度を行使し、2013年の1年間はフリーターをしながら音楽フェスを立ち上げた。
就職は決まっていたものの、学生という身分がどれだけありがたいものかを身を持って知れたし、社会の厳しさも体感した。また音楽フェスをやるとなったことでできた人の繋がりは、生まれてから大学生活(僕は私大法学部だった)までの人の繋がりでは絶対に繋がれない生き方の人達と出会うことができ、自分の価値観は大きく変化した。まさに人生のターニングポイントをあげるなら、このタイミングを1つあげるだろう。
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一方で、大きく変わったのは直近6年間。2019年・2024年がターニングポイントの年であり、この前後”で働く”に対する悩み・葛藤は大きく変わっている。それぞれどういった働き方をしていたのか、順に話していきたいと思う。
もしこう言った点が知りたい等あれば、コメントをくれたらアップデートしていきたいと思う。
2.週5日フルタイム出社の会社員
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始めたきっかけ:
大学卒業後、社会人で1人立ちするために就職
概要:
新卒で働き始めたのは2014年。大学は2013年に卒業したが、上でも述べた通り、内定パス制度を行使して、1年遅れで入社。当時は2014年ということもあり、リモートの「リ」もなく、働き方改革もない時。当然のように朝から晩まで週5日フルタイム出社で働いていた。ワークスは、大手企業向けの人事給与システムや経理システムなどのソフトを作っている会社で、最初は営業、その後コンサルタント(今ではカスタマーサクセスやカスタマーリレーションの意味合いが強いかな)として働いていた。
始める前のイメージ:
「仕事ってどんなものなんだろう?」社会に出ていなかったのもあって、イメージが今ひとつできず、親父に働くってどんなものか聞いたことを覚えている。ただ何と返答してくれたか覚えてないくらい薄い返答が返ってきた笑。(たしか「働けばわかる」って言われた気する)アルバイトもそれなりに楽しく・やりがい持ってやれていたし、色々な経験をさせてくれたこと。あとフェスを開催した実績で、やる気になればそれなりに成果出るだろうって思っていた。
やってみての印象:
一言で言うなら「井の中の蛙」だった。同期でも凄まじく頭の回転が早いやつがいっぱいいたし、先輩も意味わからないくらい仕事できる人ばかりだった。自分が人より優れていると思っていることがことごとく優れていないことを知り、自信が全くなくなった。あと、仕事の中で熱中するものを見つけることに苦労した。ビジョンや将来像なんか言っている場合ではなく、とりあえず必死だった。
発見・気づき:
一方でそれなりに給料もあったからこそ、「自分がこの仕事に向いてないのかも」と思った時に、転職する勇気がなかなか持てなかった。「今の生活水準と同じレベルを維持できるのか?」その不安から転職活動はせず、ただ必死に目の前の仕事に取り掛かっていた。
3.週5日フルタイム出社の会社員+プロボノ
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始めたきっかけ:
友人が巻き込んでくれたことがきっかけ。
概要:
少しずつ仕事に慣れ始めた3年目の時期に、2013年の時に一緒にフェスを主催し、中学の時からの腐れ縁であるokuboから連絡をもらい飲みに行った。「このままで良いのか?もっと動け・やるぞ!」と言われ、当時は何言っているのか良くわからなかった。
けれど今振り返ると、「社会人として働き始め、このまま死んだ目で、やりたいとも思っていない仕事に取り組んでて何か良いことあるのか?もっとやりたいことやんないとダメだ」と危機感から誘ってくれたのだと思う。
自分たちがフェスをやっていたからこそ、規模は小さくても良いから繋がりを生み出せる、日常に新たな発見・ワクワクを生み出せる質の高いイベントをやろうとなり、2017年にHITOKOMAを始動した。
始める前のイメージ:
危機感というか、「このままで良いのか?」と思うことは多々あった。
フェスをやっていた時も大学生の時もやりたいことを追求して形にしていたからこそ、まわりからは”面白いことを常にやっている人”と思われる部分が多かったし、自分のアイデンティティにもなっていた。
一方で働きはじめて3年目までは、「何をやっている人ですか?」の問いに「仕事」としか答えられず、だからといって、熱量高く語れる状態でもないことに、ある種の怖さを感じていた。
けれど自分ではこの状態をどう打破すればよいのか、今の仕事の中で熱量高く話せるものを作るしかないと思っていたが、仕事以外に選択肢があるんだと実感した。
やってみての印象:
これまでは休みの日は、寝るか遊ぶの2択だったのに、休みはこのイベント活動に全振り。なんなら平日も一人働き方改革を推進して、時間を作り、夜に活動をしていた。休みという概念はこの2017年から全く無くなったと思う。最初はキツかったし、なんで楽をしないのかと思っていたけど、仕事で見つけることに苦労していた「やりたい」をみつけ、どんどん形にできる楽しさで、辛さはなかった。
発見・気づき:
そして何よりの収穫は、複数の環境をもつ強さである。具体的には心の余白・ゆとりができたこと。自分たちが仕事以外のところで活動し始めると、仕事以外で出会う人の数も増えた。そしてこの出会う人が自分と同じような会社員でも、働き方や仕事内容が違っていたり、あるいはデザイナーや料理研究家など、個人事業主で活動する人も出会えたこと。また自分たちが作ったものに価値を感じてイベントやコミュニティに参加してくれる人がいて、自分のやりがいにつながった。これが仕事になれば最高だなと思う一方で、どうお金を稼いでいくのか、全く見えなかった。
4.フルリモート会社員+複業(個人事業主)
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始めたきっかけ:
2018年12月に父親が余命宣告をうけたことで自分の働き方を見つめ直したこと、そして生活費の確保がきっかけ。
概要:
東京・大阪の2拠点生活をし、東京ではまだ賃貸に住んでいた時は、オフィスが歩いて15分だったので出社していたこともあったが、多拠点生活になると、出社は年に2~3回くらい。コロナ前だけど基本フルリモートで働いていた。
フルリモートでの5年間は、どうすれば自分のパフォーマンスが高い状態で働ける環境を作れるかを探究していた。例えば、朝の時間はカフェなど外で仕事をし、打ち合わせはいれないようにする。眠気も出る昼は、打ち合わせを入れ、滞在先のホテルや拠点で仕事をする。夜は、頭を使わずにできる作業ベースを共有スペースやコワーキング等で行う形をとっていた。
始める前のイメージ:
ノマドワークなど憧れがあったフルリモートでの働き方はどこか遠い世界の話で、まさか自分がそのような働き方ができるとは思ってもいなかった。またコロナ前だと、所属していた株式会社ニット以外で、エンジニア・デザイナー・ライターでもないのに、正社員でフルリモートで働ける環境なんてなかったから、転職はできないと思っていたけど、コロナ後は、フルリモートやハイブリットで働ける環境が選択肢にある世界。「満員電車にのらなくてもよい」「親との時間が取れる」など苦行と思っていた事からの解放・やりたいと思っていた事との両立が魅力と思っていた。
やってみての印象:
株式会社ニットにてカスタマーサクセスで正社員ジョイン。その後、人事にはなるが、入社した時からフルリモートで働けたのは良かった。サザエさん症候群は無くなったし、仕事も今まで以上にイキイキと働くことができた。これは僕だけかもしれないが、暮らし全体での満足度が高くないと、仕事にも少なからず影響がでると思う。そしてフルリモートとなると、自由であることが起因して生活リズムの乱れがあるように感じるかもしれないが、むしろ逆だ。
もちろん最初のころは、ONとOFFの境目がないことで働きすぎたり、あるいはだらけてしまってサボってしまう場面もあるのだが、どちらも持続可能な状態ではないため、頭打ちしてしまう。そのため、日々淡々と、常に高いパフォーマンスを出していくためにも生活リズムを規則正しくして、時間を有効に使う流れが生まれる。また通勤や移動時間がなくなり、この時間を別に当てることができるので、思っている以上に仕事や暮らしの時間に割いているのに、健康的な時間に寝ることもできる。
自分にあった生活リズムを手に入れてしまったら、これほど豊かな暮らしはそうないと思う。
発見・気づき:
もちろん苦行からの解放ややりたい事との両立も魅力だが、一番の幸せは、働く場所を自ら主体的に選択できることにある。たった1つの「場所」を選べる自由を手に入れるだけで、人生の幸福度は驚くほど上がる。どこで働くかを選択することで、自分の仕事のパフォーマンスを常に高い状態にできるし、また自宅で働くことを選べば、通勤時間の時間を別の時間に置き換えることができる。いわば時間の主導権も一部手に入れることができる。人生においてどれだけ主導権を持てるか、このタイミングで重要性を認識できたと思う。
5.フリーランス(個人事業主)
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始めたきっかけ:
株式会社ニットで正社員として働いていた時から行っていたが、自分のスキルで食べていけるようになりたかったから。
概要:
フリーランスも始めたタイミングは2019年4月。SIGNATEで働いていたものの、自分のスキルや実力不足から、親との時間を確保するための東京・大阪の2拠点生活をした状態で継続して働くことができなかったため、フルリモートの株式会社ニットに転職した。一方で年収は大きく下がった。
この時に「会社は個人のキャリアを育ててくれる場所ではない。自分が責任をもって育てていくことが大事」そう思い、自分のスキルで稼げるよう、フリーランスとしても活動した。具体的には、これまでプロボノとしてやっていたフェスやコミュニティ作りの経験を、まちづくりやエリアイノベーションの業界で活かした。最終的には、フリーランスで最低限食べていける金額を稼ぎつつ、起業へとチャレンジした。
始める前のイメージ:
ニットで働いていた時は、ニットの給料分をフリーランスで稼いでいけるのか?イメージが沸かなかった。世の中には仕事としてあることは理解できるものの、どうやって確保していくのか、そして仮に業務委託があったとして、ニットがある中、どうやって時間を確保していくのか。時間と案件の確保の仕方に悩んでいた。一方で仕事さえ手に入れてしまい、継続案件であれば、あとはうまくやっていけるだろうと思っていた。
やってみての印象:
ニットを卒業してからは、働く時間はある程度確保できたので、なんとかなるとわかった。また案件の獲得方法は、プラットフォームもあるので理論上獲得できる道筋はあると理解できていたものの、どうやって信頼を得て、依頼したいとできるか。自分を商品にすることの考え方など、視点が変わったと思う。また会社員と違うのは、自分の自由さを手に入れた一方で、ほんとに不安定だということ。自分が身体を壊してしまったら収入は0になるし、クライアント先の経営が傾くと、自分達フリーランスは一番最初に切られてしまう。
発見・気づき:
会社員でもフルリモート・フルフレックスであれば、自由であると思っていたが、時間の自由はさほどない。確かにいつ働くかは選択できるが、1ヶ月の働く時間数は、160時間程度の業務が飛んでくる。またどの業務をやるか否かの選択もできるわけではない。一方で、フリーランスは時間の使い方も、何時間働くかも自由であるが、常に不安がある中での働き方となる。安定をもつ正社員での働き方なのか、自由をもつフリーランスでの働き方がよいのか、常に隣の芝は青く見えているので、時々血迷うこともあり、この悩みは永遠と続きそうだ。
6.起業
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始めたきっかけ:
株式会社ニットで正社員として働いていた時から行っていたが、事業にコミットしたいと思ったから。
概要:
コーヒーを通じて生産国・消費国の双方で生態系や経済システムの再生を目指す会社、Value way株式会社を設立。Regenerative Coffeeと題し、身近なところだと、コーヒーかすを始め、コーヒー未利用資源の資源循環に取り組む会社を立ち上げた。僕は共同創業者としての立ち位置。取締役COOとして国内事業を担当している。事業構想は2021年の夏にできて、2年間の活動後2023年10月に設立。会社員として株式会社ニットで働きながら、ローカルプロジェクトの立ち上げなどもして、やりたいことがいっぱいな状態。一方でValue wayの活動にフルコミットできていない自分がずっとモヤモヤしており、このままだと後悔すると思っていた。フリーランスとしても収入の目処がついていたので、2024年3月にニットをやめて、起業とフリーランスの2足のわらじでチャレンジすることにした。
始める前のイメージ:
もちろん経営が傾くタイミングなど、ハードシングスな場面が何度もあることはわかっていたが、起業となると、少なからずキラキラしたイメージはあったし、経営者になると責任はある一方で自由を手に入れる印象。最初が踏ん張り時であって起動に乗るまで諦めなければ、道は開けると思っていた。
やってみての印象:
一言で言うなら「全ての経営者を尊敬する」。特に、全て辞めて起業1本で進める人には尊敬の眼差ししかない。立ち上げ初期は本当に不安だらけ。ボールは全てとる。そしてビジネスモデルはピボットの嵐。事前に想定していたもの通りに行くことはほぼない。そんな中でも強い想いをもち、諦め続けずに120%動かし続けることで道が開けるタイミングがくる。そこに取り組めるかどうか。10年で90%以上が廃業する世界であり、それでも従業員やクライアントを抱えて事業を大きくしていく経営者はすごいよ。
発見・気づき:
高校生が大学生活をイメージする。学生が社会をイメージするのと同じように、無知の知を知れたし、働くことの価値発揮が変わった。同じ働くでも、従業員として働くのとフリーランスで働くこと、経営者としての働くでは見る視点が異なる。全部の経験をした自分は、人生を通して何をしていきたいのか、今まさに問われているなと感じた。
7.まとめ
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「どの働き方が最もよいのか?」
これに関して、絶対に言えることは1つだけ
「正解がなさすぎる」
自分にとってどの働き方がよいかは、人それぞれ変わるし、なんなら同じ人でもタイミングや捉え方によって、最適解は変わる。
そして他者の場合はもちろんのこと、自分の過去と比較している時点で、一生、隣の芝は青く見える状態で幸せになることはないだろう。
そんな中、どうしていくとよいのか、これはまた違う機会に話していきたいと思う。