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イチローさんの殿堂入りと、震災30年

■阪神淡路大震災から30年

ちょっと今日は心を鎮めて 少し長くお話をしたいと思います。
昨日 いろいろなニュースで阪神淡路大震災から30年という
ニュース 記事を読む日になりました。
東遊園地に2000年に設立された
希望の灯りという碑文の一部を掲載させていただきます。
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1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災震災が奪ったもの

仕事
団欒
街並み
思い出
たった1秒先が予知できない人間の限界


震災が残してくれたもの
優しさ
思いやり

仲間

この灯りは奪われたすべての命と
生き残った私たちの思いをむすびつなぐ
........................

短い文章なんですけども、辛かった思い出、信じられない出来事。
悲しみを拭いきれない嫌な思い出そういうものがある中で
人を思いやり優しさとか思いやり、絆、仲間、それが育っていった両方の面から
震災を語る文章だと思います。

この碑文。私は11月に準硬式の甲子園大会で 神戸に行ったときに東遊園地に行ったんです。花時計を見たりね 。公園を歩いていてふとこの碑文が目に入って こんなところがあるのかと思って思わず写真を撮りました。

そこは憩いのスペースとして 市民の方が休憩したり学生の方が時間をつぶしたり
いろいろな風景があったんですが、30年前はここはどんな景色だったのかなと
想像するとその人の気持ちを想像することができました。
私は当時、取材で2ヶ月後に神戸を訪れ 甲子園の取材をしました。
甲子園球場の周りを自分で歩いてみて、まだ爪痕が残っている景色を見て回りました。そのときの選手の気持ちも取材をしました。 記事にも残しているんですけども、自分自身もあの景色と聞いた話は忘れられない、忘れないでおこうと思った出来事でした。

新人の1年目だったんですね。
私のスタートがそこだということが
何か運命みたいなものも感じています

そこからですね 日本はいろいろな震災がありましたね。
震災・防災の国、日本です。そのたびにいろいろな被害が起こり被害者の方がいて、
痛みを思い合う時間というのは繰り返されています。

一つ記事を紹介します。神戸新聞の記事です。元オリックスブルーウェーブの佐藤義則さん現在70歳のお話です。佐藤義則さんはもう名コーチとして球界でまだ活躍されていますけれども1995年の4月1日プロ野球の開幕の日の開幕投手を務めたそうです。当時オリックスは神戸市須磨区に本拠地を持つ球団で、背番号11をつけてその開幕戦に臨んだそうです。


暮らしが復興に向かう、まだ始まったばかりの時にお客さんなんか来るのだろうかとヨシさんは思ったそうですが、球場に行くとそこには3万人の観衆が詰めかけていたそうです。人がいっぱいで本当にびっくりしたそうです。この年ですね義則さんはノーヒットノーランを達成しました8月、40歳11ヶ月でのノーヒットノーランは当時のプロ野球の最年長記録だったそうですそして悲願のリーグ優勝頑張ろう神戸というワッペンをつけて戦ったオリックスの選手たち優勝の立て役者になったんですね

驚くべきことにヨシさんはこれまで3度の震災を経験しているそうです。

最初は出身地である北海道の奥尻島。津波で親族を亡くしているそうです。
これが93年、北海道南西沖地震。
地元が津波で流される経験を経て、95年の阪神淡路大震災。
これはオリックスブルウェーブの選手として実体験しました。

そして2011年東日本大震災。
この時は楽天のコーチとして経験をしたそうです。

記事にはヨシさんの動画も載っているんですけども、淡々と語るんですよね。
辛いことを淡々と語るヨシさんの表情に胸が詰まる思いがします。

野球というのは勇気を与えるとか言いますけど、勇気を与えるなんてできることないんですよねただ当時95年オリックス開幕戦で集まった人たちのように野球場に集まって娯楽を楽しむ。そういうきっかけを与えるものが野球だと思うんです

花時計にも


当時の神戸・兵庫の皆さんは、
みんなで踏ん張って、頑張って、耐えて、耐えて、、、の毎日だったと思うんです。

そんな中で野球がある。笑っていいんだ。騒いでいいんだ。ってそこで初めて思えたんじゃないでしょうか。我慢しなきゃいけないという空気。その空気が辛いんですよね。

野球場に集まった人たちがホッとできて、楽しかったと思えて、そういう時間が持てて。
そこから「よし、じゃあ頑張ろう」、「ちょっと頑張ってみるか」
・・・・っていうのが「勇気を与える」ということにつながるんですよね。
その言葉はこういう経過をたどっての言葉だと、いつも思うようにしています。


2011年も東日本大震災の時は本当に大規模な範囲での被害でしたので、
勇気を与えるなんて言葉すら発せられないような勇気が漂っていたと思います。

そんな中でも楽天の選手たちが「頑張ろう、日本。野球の底力を見せましょう」と言ったあの言葉。つまり「野球を見に来てくださいという」メッセージだったと思います。

1月1日昨年の能登地震
1月17日阪神淡路大震災
3月11日東日本大震災
4月16日熊本地震
10月23日中越沖地震など…

私の手帳には震災の日が記してあります。
この日は心を鎮めて、亡くなった方のことを思うように。
自分ではしています。

淡々と話すヨシさんの表情を見ながら、
震災というのはそういった人の気持ちに寄り添うと言ったらおこがましいかもしれないけど、そういう人の気持ちを想像して、自分ができることは何かなって考えることじゃないかなと思っています。

そんな中、前日の1月16日にイチローさんが野球殿堂入りを果たしました。
オリックスブルーウェーブの初優勝に大きく貢献しメジャーで大活躍したイチローさんが野球殿堂入り。これは偶然なのか、必然なのか。この巡り合わせも、野球ができることは何かを考えるきっかけになりました。

◾️イチローさんのスピーチ全文



最後まで呼んでくれてありがとうございました。
今日も健やかにお過ごしください

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