人はなぜハイキックがしたいのか
人は誰しも、一度はハイキックに憧れを抱く。これは上段蹴りと言い換えてもいい。
ご多分に漏れず僕もその一人で、格闘漫画を読んだり格闘技を観たりした折にハイキック熱が高まるのだが、それは長く続かない。
ハイキックというあのド派手で華やかな技の習得には、柔軟という地味で辛い努力の継続が必要だからだ。
柔軟はちゃんと風呂上りの身体が温まっているときにやったし、酢も飲んだ。
でも毎回、痛いしなかなか成果がでないしで挫折してしまう。
やらないとまた固くなるから、現在脚をまっすぐにして上がるのは腰くらいの位置が限界だ。
それでも諦め悪く、今年の目標の一つに「ハイキックができるようになること」は必ず入ってくる。
これほど僕らを惹きつけるのは、見た目の派手さだけがその所以なのだろうか。
もちろんそれもあるが、僕はもう一つ大きな理由があると考えている。
人類はバベルの塔しかり、世界中でこぞって高い建築物を建ててきたし、命を落とすリスクがあっても最高峰の山に登ってきた。
空が飛びたくて飛行機が発明され、今では宇宙にだっていけるようになった。
なにが言いたいか。足だって高みを目指したいのだ。
最も体重の負荷がかかる力仕事をしているにもかかわらず、いつも土や埃にまみれ地を這っている。
いつか人体の頂点に君臨する頭の標高を越してやりたい。
その強い執念が僕らにハイキックをさせたがるのだ。
書いているうちにハイキック熱が高まってきたので、今日からまた柔軟を始めたいと思う。
それではまた、次回「人はなぜ逆立ちがしたいのか」でお会いしましょう。
さようなら〜。
いつも読んでいただきありがとうございます。 この文章が、かすかにでもあなたの心を揺らすことができたのなら、僕はとても幸せです。 ぜひまた、いらしてください。