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「わたしは光をにぎっている」を観た話。
観たのは少々前にはなりますが
雰囲気も画も印象的で、たまにふらりと観たくなる、すきな映画です。
✴︎. 。
『しゃんとする。』
『どう終わるかって たぶん大事だから。』
その場所で生きる人たちの、
日々の営みの、
そのくるしさと尊さ。
うまくいかなくてもこれまでの暮らしが
ただあって、
ままならなくてもこれからの暮らしが
ただある。
大きな大きなことを成そうとする前に
ひとつひとつを丁寧に。
今やれることをやるのだと。
観終わったあとに「ああ…… こういうことを題材にしていた映画なんだな」とわかります。
「透明感」と言ってしまうには、リアルに生きていく生活の泥臭さがのしかかるようにあるけれど、その観せ方の塩梅がちょうどよく感じました。
人が歩いている地続きの美しさがあります。
重すぎても、動けなくなってしまうから。
印象的なカットや印象的な言葉が折々に差し込まれていて、とても沁みます……
実は、映画のメインビジュアルにもなっている松本穂香さんのこの横顔に惹かれて、映画を観てみようと思ったのですよね。
最後の最後まで主人公の言葉少なさが、この映画の世界観を更に作り上げる。
光石研さんの、あの人物像のお芝居が… とても素晴らしいと思いました。
『しゃんとする』という響きがとてもすきです。
ちゃんと じゃなくて、
しゃんと したい。
あたたかいお湯のようにじわりじわりと体に染み渡ってくる、そんな映画でした。
「自分は光をにぎつてゐる」 山村暮鳥
自分は光をにぎつてゐる
いまもいまとてにぎつてゐる
而もをりをりは考へる
此の掌をあけてみたら
からつぽではあるまいか
からつぽであつたらどうしよう
けれど自分はにぎつてゐる
いよいよしつかり握るのだ
あんな烈しい暴風の中で
掴んだひかりだ
はなすものか
どんなことがあつても
おゝ石になれ、拳
此の生きのくるしみ
くるしければくるしいほど
自分は光をにぎりしめる
(詩集「梢の巣にて」より)
刺激お強めの作品ばかり観ていてそれはそれですっごく楽しいけれど、こういうお話に触れると、なんというか…きちんと気持ちが凪ぎますね。
そういう時間、大事。
お風呂って心身がいろいろと整うから
銭湯が題材になってるのも、そういうことなのかなと思いました。
(でも確か…この映画のあとに「ミッドサマー」を初めて観たんですよね。 後から振り返ってみて「情緒は大丈夫か」とは思いました)
ここまで読んでくださりありがとうございました!
それでは。