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恐るべし、おにぎり。

くどうれいんさんの『おにぎりを置いて羽蟻に見せてやる』というエッセイを読んでいたら、10年くらい前に福岡の大濠公園で夜におにぎりを食べて泣いたことを思い出した。

あの頃、大学の4回生だった僕は"シクロクロスバイク"という、ハンドルが前に一回突き出てグニっと下方に曲がっており、タイヤが少し細めな自転車に乗っていた。(ちなみに今も同じものに乗っている)。

もともとは弟が乗るようになったのに影響されて乗り始めた。大学1〜2回生の頃は家から大学までほぼ毎日自転車で移動。通学で1日で35kmほどを走ったりしていたら、次第に学校の守衛さんたちから「体育会茶道部部長」の異名で呼ばれるようになっていた(大学では茶道部に所属・部長をしていた)。

そんな生活を続けた大学4回生の9月、僕は自転車で日本一周をすることに決めた。たしか、お伊勢参りと出雲参りに行きたかったんだよな。でも旅費がないから、自分の体で行くことに。それが結局日本一周になり、飛行機などで行くのと比べて何倍もの旅費になった(自転車の修理やメンテナンス、食費で結構いくのだ)。そんな、本末転倒な旅。

当時、両親が住んでいた横浜を出て、西へ向かう。箱根を越え、静岡を過ぎ去り、関西へ。尾道に出て四国へ渡り、土佐をめぐりながら愛媛から大分へ。そこから南下し鹿児島に向かいまた北上して福岡へ。そんなふうにして、主に沿岸部を通りながら沖縄を除く日本全体を巡った。

正直、初日から「もう帰りたいよう」と半べそだった。9月だから、まだ暑い。ガンガン日焼けもして痛い。台風が西からやってくるたびに、暴風雨に立ち向かっていく。毎日お風呂には入れないし、ほぼすべて野宿。しかも1人。怪我をしても自転車が壊れても、孤独。つらかった。箱根はすごい峠だし、静岡は横に長すぎる、高知は山すぎて怖い。

そんな旅の途中、佐賀では昔からの友人の家に泊まらせてもらった。その友人のおじいちゃんおばあちゃんは、遠方から娘の彼氏が自転車に乗ってやってきたのだと勘違いして、何やらはじめの数時間、話が実にズレまくっていたのを覚えている。

そのお宅を出発する日の朝、友人は僕に包みを渡しながらこう言った。「これ、お弁当つくったから食べてよ。無理しないでね。がんばって!」嬉しい気持ちになりながら、僕は家を出る。

その日は、佐賀市から福岡市までの移動。福岡市内には、大濠公園という地元の憩いの場がある。真ん中に大きな池があり、その周りをいろんな人が散歩したりランニングに興じる。その公園に夜に着いたとき、「そうだ、お弁当をもらったんだ」と思い出した。

ベンチに座って開くと、唐揚げや卵焼き、そしておにぎりが見える。典型的かつオーソドックスなお弁当。たぶんそんなに作り慣れていなそうなビジュアル。そのごくごくオーソドックスな内容が実に嬉しかった。「そうだよ、これこれ。」とホイルを開き、おにぎりを頬張る。

ちょっとしょっぱすぎないかと思う塩加減のおにぎり。ちょっと歪な球体のそのおにぎりを1口食べて、僕は泣いた。途方もないくらいの量、涙が出てきた。その涙がお弁当に降りかかるのを気にせず、泣いた。人の優しさが、こんなにも伝わってくるもんなのかと。それほどツラく、優しさに飢えた旅だったのかもしれない。

おにぎりを食べて泣いたのは、人生でこの時だけだったと思う。でも、おにぎりを食べて涙が出ることだって、人生の中で1度くらいはあるのだ。おにぎり万歳。

よくよく考えると、おにぎりって「お」と「にぎり」で意味が分かれている。昔は「にぎり飯」なんて言っただろうし、いつから「お」が「にぎり」の前方にくっついたのだろうか。けど、敬称とかで使うことの多い「お」を「にぎり」の前方にくっつけたかった人の気持ちが、なんとなくわかるような気がする。それくらい、おにぎりは尊いものなのだ。きっと。おにぎり万歳。


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