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思考はキラメキの感覚を 夢見ている

第14週 7月7日〜7月13日の記憶。 それを探る試みです。 
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。

今週も、引き続き、感じろ!感覚せよ!と迫ってきます。思考は、観察し洞察し感覚のすえに向こうから歩みよってくるものなのだと、だから、あせらず、感覚すればよいのだ!といわれている気がします。
感覚の質を上げていきましょう!

では、読み解いてまいります。

  

N. VIERZEHNTE WOCHE (7. JULI – 13. JULI [1912])

14.
An Sinnesoffenbarung hingegeben
Verlor ich Eigenwesens Trieb
Gedankentraum, er schien
Betäubend mir das Selbst zu rauben
Doch weckend nahet schon
Im Sinnenschein mir Weltendenken.

Anthroposophischer Seelenkalender, Rudolf Steiners,1912

  


  感覚からのメッセージに委ねていると
  自らの衝動は消えていった
  思考がぼんやりとし、夢かと
  自我が奪われたかのように感じるかもしれない
  
  しかし、感覚のキラメキのなか
  万象万物への想いが近よってくるのだ


 



なぜ夢をみるのか


「どうして、あのような夢をみたのだろう?」と
不思議に思うことがありますよね。

夢をみる理由は諸説あるようですが、日常の生活で起きている出来事や脳に蓄積された情報を整理するために夢をみているのだそうです。無数にたまった過去の情報や記憶が結びつき組み合わされ、それらが睡眠時に処理され、物語となって映像化され映し出されたものが夢なのです。

それが、自分の内で起きていることなのか?外からもたらされているのか?ということが今回のテーマになります。

夢といえばまず、フロイトが頭に浮かびますよね。フロイトは人々の夢を分析した結果、夢は満足したいという願望の表れではないかと考えたのでした。楽しい夢も、怖い夢もその人が望んでいる欲望を映し出したものであると考えたわけです。

夢は、ふだん意識に現れない無意識の思考や願望をさまざまに脚色してイメージの中で表現しているのです。ですから、夢の背後には。抑圧されたものがあり、それらを無意識から意識領域に引き上げることで心の病から解放されるかもしれないと研究を進めたのですね。

そして、生の欲動と死の欲動を対立させる欲動二元論が軸に置かれるようになっていったのです。それらの葛藤から、自我・エス(本能的欲求のままの衝動)・超自我(幼少期のトラウマなど)からなる、心の構造を世に広めたわけです。

ですから、夢において性的願望が強く結びつけられ。たとえば、ペニスは蛇や剣や銃など。ヴァギナは、穴や窪みなどの象徴され、シュルレアリズムのモチーフとしても多くとりあげられてきたのです。これらのイメージが、さらに刷り込まれてきた感じがするのですよ。

しかし、あなたも、それだけではないだろう…と感じたように、
次なる説を考案したのがユングです。

ユングは、夢は、集合的無意識や心的エネルギーを介して作用する元型(たとえば、天使のイメージなど)。からもたらされている。いわゆる内と外との関係性からもたらされているものに違いないと考えたわけです。

たしかに、夢の種類によってフロイト的な夢もあれば、
ユング的な夢もあるな…と感じませんか?

自分の内的なもので完結するものと、それだけでは説明できない、
外部的な集合的無意識から発せられているものと。

あなたが昨晩みた夢はどちらでしょうか?



みえないエネルギー


では次にそのユング的、集合的無意識を
どこで感じているのかという話です。

親しかった人の亡きがらと対面したとき、なにか、その人が生前もっていた雰囲気とはまるでちがう、少ししぼんでしまったかのような、ひとまわり小さくなってしまったように感じたことが何度もあります。

人間には、肉体だけではなく、
それにまとわりつく、エネルギーのようなものがあるのです。

シュタイナーは、物質的な肉体とは別に、エ―テル体、アストラル体といった、みえない部分が肉体にまとわりついているのだと唱えています。人間は、それらが三位一体に重なり形づくられているというのです。エーテル体とアストラル体は肉体のように物質からできているのではなく、エネルギーや意識体、気といった類いのもので、常識になりつつある量子論的なみえない波動とでも理解してみてください。

エーテル体は、身体の生命力や活性の源として機能するとしています。肉体と心の橋渡しのような役割をになっています。肉体の各部分や器官に存在し、それぞれの機能や活動を支えています。健康や生命の維持に重要な役割を果たしているのですね。

そして、その外側にあるのがアストラル体です。アストラル体は、肉体とエーテル体の外側に存在し、物質とは異なるものとアクセスできるエネルギーとされています。おそらく、集合的無意識から直感をえられるのは、アストラル体の伝達エネルギーのおかげなのです。

あなたの夢の中で深い洞察やメッセージを与えているのも、アストラル体がその意識伝達の役割をになっているおかげのですね。

ですから、このアストラル体に意識を向けることによって、自我・エス・超自我などの衝動から解放される。そして、集合的無意識にアクセスできる可能性が広がるというのです。

そして、アストラル体をどのように感覚すればよいのか?
というのが今週のテーマなのです。

ひたすら、自我が消えてゆくまで
考えるな感じろ!修行です…。





2024年7月ヤブミョウガ




感覚のキラメキ


夢ごとではなく、マインドフルな状態で
意識を完全に保ってください。


そして、身体性を消し去り“感覚のきらめき”に
ただ無心で没頭してみてください。

生命力や活力を象徴するエーテル体は、ミクロやマクロの限りない領域に広がってゆきます。そして、エーテル体と物質的な肉体に、融合しようとしているエネルギーであるアストラル体が観察されるはずです。

この状態で観る、雲や大気中の微細な気流のパターン、生物の神経系の複雑な網状組織、蝶の羽の模様、蜘蛛の巣の構造、鳥の羽や群れの動きのような複雑で繊細で有機的なヴィジョン、紙の上で揺らぐ水彩絵の具、のみで削られた木片、ふと聴いた風の和声、無意識に表出した詞、等々

こうした万象万物によって動かされているという気づきが、
自らの存在に影響をあたえるはずです。

そして、自然の神秘、大いなるものとの調和こそが
本質的な部分への洞察をもたらすのかもしれませんね。



想いは言葉ではないかもしれません
表現しきれない想いを言葉にしようと無理をしなくともよいと思います。

感覚はしばしば非言語的な要素や個人的な経験に基づくので、その複雑さを完全に言葉で表すのは非常に難しいでしょう。ですから、感覚を完全に言葉に置き換えなくてもよいのです。

言葉は、感性や感情を表現するための道具のひとつです。
感性から入ってくる大切なものを、言葉という小さなカプセルに入れてしまっていることで、本来の大いなるもののメッセージをきき漏らしてしまっているかもしれません。



自然の中でも、何かを表現するときでも、

静かに待って、向こうから近づいてくるものを感じるのが

よいかもしれませんよ。



あなたも自然に触れる時間をつくったり、日々の中で静かな時間を設けて自分自身と向き合ったり、簡単な絵を描いてみるなど、
日常で取り組める工夫をしてみてくださいませ。



シュタイナーさん
ありがとう

では、また


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