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80年代以降の抽象美術
わたしは、アラ還アーティストです。
こう書くと老後にむけて趣味でアートをたしなんでます、みたいな、ニュアンスを感じられるかもしれませんが、美術大学を卒業するのと、ほぼ同時に活動をはじめ、なんとかここまでやり続けている、ゾンビアーティストといったほうが、いいかもしれません。はじめて個展をするときにギャラリーのオーナーさんから
「アーティストは、50歳とか60歳とかで、ようやく一人前になって、そこからデビューなんだから、それまで、なにがなんでも続けてください。」
という言葉をいただきました。最近、あぁ、そろそろ、そのタイミングがきてんじゃん、、、このままでいいの自分? アーティストとして確固たるものできてんのかー?と責めたてられる気分になることが多く
ホントにどうすんのよ自分? 世の中でも人生100年とかいわれているし、ちゃんと、その道を今後も歩いていけるのか?
時代が移ろっていく中で、アートがどのように変わってきているのかを、冷静に分析して、将来のことを、と考えていたところ、素晴らしくアートの現在地を、言語化してくれている文章にであえたので、共有いたします
◇◇◇
抽象世界
いま抽象芸術が復活しています。
前世紀初頭の前衛芸術としての抽象と戦後美術批評に擁護されたアメリカの抽象が,美術史上の主要な先例であり代表的動向でもある抽象芸術が,近年ヨーロッパとアメリカにおいて注目を集めています。
1970年頃のいわゆる絵画の死が,続く時代の絵画の端緒となり,80年代以降の美術活動は,進歩史的な美術観から解放され,美術遺産と柔軟な関係を結びました。抽象芸術は80年代以降,先行する抽象的な作品だけではなく,過去の美術の様々な概念や手法を活用してきました。そうして,融通性があって,混成的で,拡張的なものとなりました。創成期の絶対性は効力を喪失し,モダニズムの教条主義を超克した現況下に,新しい抽象芸術が誕生しています。
我々の生活環境がそのような芸術を創らせているとも考えられます。デジタル・イメージの蔓延に対する深遠なるアンチテーゼにもなっていて,逆説的に今という時代と深く関わっているとも言えるでしょう。
国立国際美術館 美術室長 中西博之
https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/diary/diary_058.html
新しい抽象芸術、という表現がピタッとはまりますね、「現代美術=1970年頃のいわゆる絵画の死が,続く時代」と、とらえると、80年代以降、「先端」という領域もできてきてはいますが、自分の立ち位置としては、「モダニズムの教条主義を超克した現況下の新しい抽象芸術」であると、とらえると説明がしやすくなります
そして、「我々の生活環境がそのような芸術を創らせている」の部分、確かにデジタルへのアンチテーゼという側面もありますが、自分の場合は、シュルレアリズム以降の深層心理を起点とした、現在までの進化や、新しい実存主義などは、自分たちの生活環境に影響を与えているものであり、その解釈と表現が課題であるといってもよいかもしれませんね
わたしは、“アラ還、ゾンビ、新しい抽象、アーティストです”と
名乗りたいですネ
◇◇◇
今日は、アートについて書いてみました。
ホントに、わたしにかぎらず、現在アートをやっている方って、自己肯定するのが大変な時代です。なにをやっても、過去の焼き直しみたいなものになってしまって、、、それらを学んだ上で、融通性があって,混成的で,拡張的、、、って?どうすればいいんだよー!と叫びたくなりますが
それも含めてアートである
と、わたしはいいたい
今日も読んでいただきありがとうございます
ますます、精進していきます
明日もよろしくお願いいたします
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At the end of the inherited world
© 2023 Yuki KATANO