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自然は 自分を教えてくれる
第6週 5月12日〜5月18日の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、自然は、自分を気づかさせてくれるトリガーです。
いたるところで、大いなるものの姿を受けとっていきましょう。
では、読み解いてまいります。
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F. SECHSTE WOCHE (12. MAI – 18. MAI [1912]).
6.
Es ist erstanden aus der Eigenheit
Mein Selbst und findet sich
Als Weltenoffenbarung
In Zeit- und Raumeskräften
Die Welt sie zeigt mir überall
Als göttlich Urbild
Des eignen Abbilds Wahrheit.
春は違う個性が芽生える
自分自身への気づきを
大いなるものの導きとして
時間と空間のなかで
自然はいたるところで心づかせる
神的な写像として
似姿を真実として映し出してくれる
*
いまここの個性
自分の個性とは何でしょうか?それがエゴに結びついていないか?という
投げかけが詞(コトバ)から感じられます。
どの一つの草木も
「われこそほんとうの緑だ」といって
他余すなわち他己を排することはしない。
各自が自己の緑をもちながら
他己の緑と一つに
山野を限りなきはてまで充実させているのである。
蘭菊その美を闘わすとか
弱肉強食とかいうのは
大人の人間の所観であって
花そのもの
生物各己からいうときには
そんな分別などはしていないのである。
鼠を食う猫でも
鹿を食う獅子でも
憎悪の念もなければ
強弱の自覚もなく
善悪の差列もしなければ
可哀相だという憐みも何もない。
各自の特性をそのままに
「子供心」の発露に外ならぬ。
この点では
大人の人間ほど
罪の深いものはない。
自然は、『各自が自己の緑をもちながら、他己の緑と一つに、山野を限りなきはてまで充実させているのである。』という現象を春のこの時期は多く感じられますよね。
自分が利己的なエゴに近い固有性から解放されて、本質的な個性を取り戻してゆくというヒントなのです。
*
自分の樹
ずいぶん前のこと若きアーティストの相談をうけました。もうだいぶ前の話なので詳細は忘れてしまったのですが、よくある、このまま制作をつづけていて大丈夫なのだろうか?といった類いの内容だったような覚えがあります。でも、その相談事の中で、忘れられない話が飛び出してきたので、特別に記憶が残ってしまったのです。
わたしにには、いつの頃からか
「自分の樹」というものが、あるんです…。
実家は、田舎の方なので、家の周りには、たくさん樹があるのですけど、なぜか、その中の一本だけは妙な感じで、小さい頃から、その樹にみられている感じがして…
いや、でも、まったく、嫌な感じではなく、見守られているというか…、
とても不思議な感じなのですよ…
それで、そのことを友人に話しをしたところ、えー!ってゆう反応で、奇異な目でみられたことがトラウマになっていて…。
それって、世にも奇妙な話なんでしょうかね?
美しい自然を描く人だったので、素晴らしい話ではないですかー。と
根掘り葉掘り、興味深い話を聴いた記憶なのです。
その樹に、だれかの霊が宿っているというオカルティックな話でも全然いいとは思うのですが… そうではなく。
自然の中に自分との関係をみいだすときに、
おそらくは、それは、自分。
自分の一部なのであるという感性があるのではないのでしょうか?
その樹が樹であると同時に、自分も樹であると感じることは、あなたが生きていく上で、表現してゆく大切なヒントが隠れていると思うのです。
わたしも、ある詩人の教えで「自分の樹」を決めて、まるでそれが自分の一部であるように日々、観察しています。季節ごとのうつろいがより深く自分のもののように感じられるのです。シュタイナーのこよみに惹かれる理由ですね…。
あなたも、近くに「自分の樹」を探してみてはいかがでしょうか?
神的な写像として
似姿を真実として映し出してくれる
の似姿の前に、自分という言葉をいれて自分との似姿にしていただけると
より理解が深まるかもしれませんね?
そして、万象を観察してみてくださいませ。
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系統樹
樹の話をしていて、思い出した本がありました。
創造とは何か?という問いから始まり、生物の進化と掛け合わせて読むだけではなくワークも準備されているので、アイデア創出を実践できる本です。
実はどんな人でも、創造性を発揮する驚くべき力を秘めている。私はそう確信している。だがよく考えてみると、創造性の構造とか、創造性を育む適切な練習方法について、私たちは何も知らないのだ。椅子の設計や料理の作り方のように、ものづくりの方法なら教えてもらったことはあっても、こと「創造性」の体系について教わったことは一度もない。
ではもし創造性に確固たる構造があって、それを体系的に身に付けられるとしたらどうだろう。
そうなれば創造は、誰もが挑戦できる科目になる。
では創造とは何なのか。それはとても不思議な現象だ。他の生物が無数にいるなかで、人間だけが圧倒的な創造性を発揮しているように見えるのはなぜだろう。私たちも自然の一部だから、創造もまた自然現象には違いない。それに似た自然現象は存在しないのか。
そう考えていたら、ふと思いついた。自然界には、創造によく似た現象がひとつだけ存在する。生物の進化だ。自然界で、機能する多様な形態を生み出しているのは進化をおいて他にない。この観点から、創造の不思議を解き明かせないだろうか。
進化を軸に観察することから、物事が生み出されるプロセスを誰もが体験できるように仕向けられたワークショップなのです。
そして誰もが創造的になれるのか?という挑戦状なのですね。非常に興味深い本ですよ。
そして、ワークをしてみて感じることですが。実践するのに自分軸の表現力があればパワーがさらに増大します。たとえば、ワークショップの中で事象を言語化してゆくのですが、表現力が乏しいとアイデアも出にくくなってきてしまうのです。正解ではなくても感じることをストレートに表現できれば、そちらの方が大切だったりするのです。
そして、新たな創造的ヒントがつかめそうであれば、次に表現力。検索しても出てこない世界観は、あなたの表現力が活かせる領域です、コトバやビジュアルでもなんでも、表現してみてください!
創造力と表現力は切り離せない関係であることを覚えておいていただけると良いかもしれません。
あなたが発見する世界は無限で、表現力と共に新たな地平を開拓できるかもしれません。あなた自身の視点と感性が新たな扉を開くのです。自然とのつながりを感じ、人と人とがつながり、感性が交錯し共振することで、新たなる芽吹きを期待しています。
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シュタイナーさん
ありがとう
では、また