自然は 自分を教えてくれる
第6週 5月12日〜5月18日の記憶。 それを探る試みです。
一年間のルドルフ・シュタイナー超訳に挑戦中です。
今週は、自然は、自分を気づかさせてくれるトリガーです。
いたるところで、大いなるものの姿を受けとっていきましょう。
では、読み解いてまいります。
*
春は違う個性が芽生える
自分自身への気づきを
大いなるものの導きとして
時間と空間のなかで
自然はいたるところで心づかせる
神的な写像として
似姿を真実として映し出してくれる
*
いまここの個性
自分の個性とは何でしょうか?それがエゴに結びついていないか?という
投げかけが詞(コトバ)から感じられます。
自然は、『各自が自己の緑をもちながら、他己の緑と一つに、山野を限りなきはてまで充実させているのである。』という現象を春のこの時期は多く感じられますよね。
自分が利己的なエゴに近い固有性から解放されて、本質的な個性を取り戻してゆくというヒントなのです。
*
自分の樹
ずいぶん前のこと若きアーティストの相談をうけました。もうだいぶ前の話なので詳細は忘れてしまったのですが、よくある、このまま制作をつづけていて大丈夫なのだろうか?といった類いの内容だったような覚えがあります。でも、その相談事の中で、忘れられない話が飛び出してきたので、特別に記憶が残ってしまったのです。
わたしにには、いつの頃からか
「自分の樹」というものが、あるんです…。
実家は、田舎の方なので、家の周りには、たくさん樹があるのですけど、なぜか、その中の一本だけは妙な感じで、小さい頃から、その樹にみられている感じがして…
いや、でも、まったく、嫌な感じではなく、見守られているというか…、
とても不思議な感じなのですよ…
それで、そのことを友人に話しをしたところ、えー!ってゆう反応で、奇異な目でみられたことがトラウマになっていて…。
それって、世にも奇妙な話なんでしょうかね?
美しい自然を描く人だったので、素晴らしい話ではないですかー。と
根掘り葉掘り、興味深い話を聴いた記憶なのです。
その樹に、だれかの霊が宿っているというオカルティックな話でも全然いいとは思うのですが… そうではなく。
自然の中に自分との関係をみいだすときに、
おそらくは、それは、自分。
自分の一部なのであるという感性があるのではないのでしょうか?
その樹が樹であると同時に、自分も樹であると感じることは、あなたが生きていく上で、表現してゆく大切なヒントが隠れていると思うのです。
わたしも、ある詩人の教えで「自分の樹」を決めて、まるでそれが自分の一部であるように日々、観察しています。季節ごとのうつろいがより深く自分のもののように感じられるのです。シュタイナーのこよみに惹かれる理由ですね…。
あなたも、近くに「自分の樹」を探してみてはいかがでしょうか?
神的な写像として
似姿を真実として映し出してくれる
の似姿の前に、自分という言葉をいれて自分との似姿にしていただけると
より理解が深まるかもしれませんね?
そして、万象を観察してみてくださいませ。
*
*
系統樹
樹の話をしていて、思い出した本がありました。
創造とは何か?という問いから始まり、生物の進化と掛け合わせて読むだけではなくワークも準備されているので、アイデア創出を実践できる本です。
進化を軸に観察することから、物事が生み出されるプロセスを誰もが体験できるように仕向けられたワークショップなのです。
そして誰もが創造的になれるのか?という挑戦状なのですね。非常に興味深い本ですよ。
そして、ワークをしてみて感じることですが。実践するのに自分軸の表現力があればパワーがさらに増大します。たとえば、ワークショップの中で事象を言語化してゆくのですが、表現力が乏しいとアイデアも出にくくなってきてしまうのです。正解ではなくても感じることをストレートに表現できれば、そちらの方が大切だったりするのです。
そして、新たな創造的ヒントがつかめそうであれば、次に表現力。検索しても出てこない世界観は、あなたの表現力が活かせる領域です、コトバやビジュアルでもなんでも、表現してみてください!
創造力と表現力は切り離せない関係であることを覚えておいていただけると良いかもしれません。
あなたが発見する世界は無限で、表現力と共に新たな地平を開拓できるかもしれません。あなた自身の視点と感性が新たな扉を開くのです。自然とのつながりを感じ、人と人とがつながり、感性が交錯し共振することで、新たなる芽吹きを期待しています。
*
シュタイナーさん
ありがとう
では、また