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名は消えても、意味が宿るしごと

「名もなき職人が実用のためにつくり
庶民の日常生活の中で使われてきたものこそ美しい。」
ー柳宗悦(1889 - 1961)


この言葉がストンときた、ある「民藝」との出会い。

小鹿田焼(おんたやき)というものをご存知でしょうか。

小鹿田焼とは
…大分県日田市の山あい、皿山を中心とする小鹿田地区で焼かれる陶器のことです。民芸運動を提唱した柳宗悦がさらに、日本の陶芸界に大きく名を残したイギリスの陶芸家、バーナード・リーチも高く評価したことにより、小鹿田焼は日本全国や海外にまで広く知られるようになりました。
その陶芸技法は、1995年(平成7年)に国の重要無形文化財に指定されています。


最大の特徴は、飛び鉋(とびかんな)という技法。
弾力性のある鉋(カンナ)で刻まれた細かい連続的な文様が、ひと目で小鹿田焼だと分かります。


それ以外にも、「刷毛」「櫛」などの道具を用いて付けられた幾何学的な紋様や、釉薬を「打ち掛け」たり、「流し掛け」たりという技法があります。

あくまで日用品としての機能を持ち、絵は描かれず素朴な佇まいは、モダンでありながら手仕事の温かみが感じられます。

そんな窯元の一つが、後継者不在により歴史の幕を閉じようとしていると聞き、小鹿田焼の里まで行ってきました。


福岡市から車で1時間ほどで、美しい棚田の景観が広がります。

小鹿田焼の窯元周辺は、国選定重要文化的景観にも指定されており、約9つの窯元が集まっています。

唐臼(写真左)・共同の登り窯(写真右上)

その中の窯元の一つ・・・黒木隆窯が2019年の3月で閉じるそうです

窯元を守るには最低でも4人必要。しかもバイトのように切り取って任せられる仕事ではないため、家族が4人必要だそうです。人が足りないのです。

引退するご主人は、窯をたたむと決まっていても「土がダメになってしまうから」と、今でも土を混ぜていると仰っていました。

作業場には小さなラジオとストーブがありました。
凍える冬の朝も、アブラゼミがやかましく鳴く、ジットリした夏の午後も…毎日、毎日、土をこねていたのでしょうか。


小鹿田焼は作品に窯元の名前を入れません。
小鹿田焼は窯元全員で作品づくりを行うという地域ブランドだからです。
素晴らしい技術者が、ひっそりとささやかに、幕を閉じるのです。

アトリエには花が寄せられていました。

「実に多くの職人たちは、その名をとどめずこの世を去っていきます。
しかし彼らが親切にこしらえた品物の中に、彼らがこの世に活きていた意味が宿ります。」
ー柳宗悦(1889 - 1961)

私は、彼が活きている意味を、大切に持ち帰りました。


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