🇫🇷Parisおススメ|ロダン美術館で恋愛について考える
※このブログは2024年3月に書いたものです。
ハロー!ドイツ・ベルリン在住のユキです。
(初めましての方へ。自己紹介はコチラです🧏🏻♀️)
今回も先日行ってきたパリ1人旅について書いています。
前回のオランジュリー美術館の後に向かったのはロダン美術館(Musée Rodin)です。
ロダン美術館
この建物はロダンが亡くなる前の10年間アトリエ兼自宅として使っていたものです。
「近代彫刻の父」と呼ばれれフランスを代表する彫刻家のお宅とあってスゴイ大豪邸です。
後ほど少し書きますが、お庭もお手入れが行き届いて広くて素晴らしかったです。
アート素人の私は、ロダンについて「考える人」と「地獄の門」を作ったこと以外何も知りませんでしたから、オーディオガイドを借りることにしました。
🧏🏻♀️「日本語のオーディオガイドがありました🙏🏻」
ロダンは彫刻だけでなく、絵もとてもお上手な方だったんですね。
こんなに才能豊かなロダンですが、認められるまでかなり苦労されたんだそうです。
もー、とにかく大きなお屋敷で!
ロダンさんの作品の他にも、彼が集めた作品も展示されていました。
例えばコチラ👇🏻のヴァンゴッホとか。
ロダンのリアルな彫刻に圧倒されます。
作品のリアルさも素晴らしいのですが、作品の数の多さにも驚きました。
気になって 調べたところ、ロダンの彫刻だけで6,600点もあるそうです!
小さな作品もたくさんありましたが、単純計算で、1人のアーティストがどうやってこんなにもたくさんの作品を作ることができたんだろう?
不思議じゃありませんか?
アートに詳しい友人によると、ロダンほどの彫刻家になるとお弟子さんが数人付いていたそうです。
なるほど。お弟子さんたちがロダンの制作をサポートしていたんですね。
さすがにこれ程の数の作品を1人では作れませんよね。
ロダンの恋愛について
ロダンが42歳のときに弟子入りしてきた女性がいました。
カミーユ・クローデル(Camille Claudel)19歳です。
コチラ👇🏻はロダンが1895年に作ったカミーユの彫刻です。
カミーユは若くて美しく才能溢れる女性で、ロダンにとって正に「ミューズ」。
2人は愛し合うようになりましたが、ロダンには内妻がいたので三角関係が15年(!!)も続いたのだそうです。
上の作品👆はカミーユの作ったもの。
下の作品👇はロダン作。どこか似ている気がします。
カミーユはロダンとの子供を妊娠しましたが、ロダンが産むことを認めず中絶せざるを得ませんでした。
長いあいだロダンは2人の女性(内妻とカミーユ)に対して中途半端な態度をとり続け、最終的にロダンは内妻を選びカミーユと別れることになりました。
可哀想なカミーユは次第に精神を病みはじめ、その後の人生を精神病院で過ごしたそうです。
ハァ・・・
もうっ!ロダンっ!💢💢
お庭散策
お屋敷からお庭へ出てきました。
早速かの有名な「考える人」を見つけましたよ!
思っていたよりも大きかったです。
ちなみに「考える人」のオリジナルが世界には21体あり、そのうち4体は日本にあるんですよ!
もともと「考える人」単体の作品ではなくて、別の作品「地獄の門」の上の方の一部分なんですって。
🧏🏻♀️「知りませんでしたー!」
で、コチラが👇🏻その「地獄の門」です。
拡大すると・・・
小雨が降っていたのでお庭の写真があまりありませんが、広いお庭にもロダンの作品があちらこちらに置かれていました。
晴れた暖かい日に、また訪れたいです❤
私が「考える人」になる
しかし、私はロダンの弟子であり愛人であったカミーユに激しく感情移入してしまい、美術館のお庭を歩きながら考えてしまいました。
三角関係ってよくあることで、じつは私もカミーユの立場になったことがあります。
(相手は既婚者ではありませんでしたが・・・)
結局、そんな男を見切れなかった自分が駄目だったんだと今は思いますが、カミーユはまだ純真無垢な19歳だったこと、ロダンはもう40代だったこと(ついでに内妻はロダンの4歳年下)を考えると・・・
ロダン、ヒドイですよねー。
でも、ロダンも悩んだと思うんです。
ロダンの没後100年以上が過ぎていますが、今も昔も人の感情ってコントロールができないし、恋愛の難しさは変わりませんね。
カミーユの悲恋は映画化もされているので、気になる方は是非ご覧になってみてください❤️
それでは、今回はこの辺で。
お付き合いいただきありがとうございました。素敵な1日を❤️ ユキ
See you soon! Yuki
🧏🏻♀️宜しければインスタもご覧ください❤️