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思想日記
すべての趣味のうち、始めてみた人が最も多い趣味は何だろうか?
僕が思うに、それは日記だ。
では逆に、挫折した人が最も多い趣味は何だろうか?
僕が思うに、それも日記だ。
日記は始めやすいが終わりやすい。
なんとなく入れたソシャゲみたいなものなのだ。
何か趣味を始めようと思い立った時、日記ならすぐに始められる。
朝の電車の中、お昼の休憩時間、寝る前の数分など、時間・場所を問わず、紙とペンあるいはスマホさえあれば書ける。
お金もほぼ使わなくていいし、疲れることもない。
ただし、その分飽きが来るのも早い。
いわゆる三日坊主というやつだ。
最初の方は頑張って書いていたとしても、わざわざ日記にするような出来事はそうそう毎日起こるものではない。
初期投資をしてないからやめるのに躊躇がいらないし、続けたからといって大したリターンがあるわけでもない。
日記は日々たくさんの人に迎えられ、たくさんの人に捨てられる。
noteでは日記勢もまあまあ存在するけれど、一般にはまだまだ定着の余地が残っている。
日記を愛そう。
この記事では、そんな感じで日記を布教していきたいと思う。
加えて、僕独自の「思想日記」という概念も布教する。
布教といってもカルト宗教とかじゃないから安心してください。
日記あるある:三日坊主になりがち
さっきからさんざん言っているが、日記は飽きられやすい。三日坊主になりがちだ。
「そういうお前はどうなんだ?」という声が聞こえてきそうだから早めに断っておくと、僕は2022年の夏から日記を書いている。
2023年夏現在、勤続1年だ。つまり365日坊主。
僕は、日記の三日坊主を回避するための方法は以下の2つに集約されると思っている。
毎日書こうとしない
出来事を書こうとしない
毎日書こうとしない
僕が日記を書くのは気が向いた時だけ。
文量も自由。
1日に2回書く時もあれば、1週間に1回しか書かない時もある。
30文字書く時もあれば、2000文字書く時もある。
そんなゆる仕様だ。
より厳密に言うと、「定期的に書くことを義務にしない」でほしい。
日記は定期的に書くから偉いんじゃない。
忙しくて書く暇がない日もあるだろうし、うっかり忘れてしまう日もあるだろう。書く気にならない日があってもなんらおかしくはない。
日記はゆるいほうが楽しい。
不定期でいい。大事なのは継続。
出来事を書こうとしない
僕は自分の考え(思想)を記録するために日記を書いている。
出来事をメインに据えるんじゃなく、その出来事から考えたことを主菜にしている。
そのため、僕は自分の日記を「思想日記」と名付けた。
中二感があってカッコいいね。
「思想」というとどこか危ない雰囲気があるけれど、実際はこんなことを書いているだけだから身構えないでほしい。
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あと、これはさっきも少し触れたが、日記にするような出来事はそうそう起こるものではない。
日常の出来事はたいていこんな感じである。
朝起きて、いつも通りの食パンを食べた。
今日は雨が降っている。学校に着くまでに少し濡れた。
こんなクソ日記のどこが面白いというのか。
どっかへ旅行に行ったとか素晴らしい映画を観たとか、何か劇的な出来事があればそれを書けばいいけれど、特に何もないならあえてそれを書く必要はない。
本当に面白いのは、その出来事から生まれる自分の思考だ。
自分の考えたことを書くのは簡単で、見返していてもめちゃめちゃ面白い。
いつも電車の中とかでぽーっと考えていることを文章化するだけだから、ムダにネタを絞り出す必要もない。
以上が、僕なりの思想日記の書き方だ。
けれども、これだけでは日記を書く人は増えないだろう。
日記を書くメリットが示されていないからだ。人間は損得で動く。
ここからは、日記を書くことによるリターンを挙げていく。
1年以上日記を書いてきて個人的に感じた、日記の強みを纏める(漢字、おしゃれすぎ)。
日記の強み
「もしかして私の日記、書かなさすぎ?」というアジテーションがいずれ出回るかもしれない。
それくらい日記はいいぞ。
文章が書ける
なにを当たり前のことを、と思われるかもしれないが、これは重要なことだ。
何の気遣いもせずに好きなことを好きなだけ書けるのだから。
noteの"記事"となると「面白いテーマにしよう」とかなにかと構えてしまいがちだが、日記になら何でも書ける気がする。
推敲が多少甘くても、日記なら許してもらえる。
そういう土壌がある。
僕は文章を書くのが好きだからそういう意味でもストレス解消になるし、やりたい放題書き狂えるという意味でもストレス解消になる。
文章を書くのが好きな人は、特にぜひ日記を書いてみてほしい。
マジでおすすめ。
noteを書く助けになる
これはnoteを書いている人限定だが、文章力の向上という面でも、ネタが生まれるかもしれないという面でも助けになる。
文章力の向上についてはそりゃそうだから置いておくとして。
日記を量産していると、日記から記事に昇華できそうなものもたまに生まれる。
実際以前に投稿したこの記事も日記由来だったりする。
人生を記録できる
嬉しかったことでも、時間が経てば意外と忘れてしまうものだ。
流石に子供が産まれたレベルの大きな出来事は覚えているだろうが、日常の小さな幸せは長期的には記憶されないと思う。
けれども、そういう日常の幸せが何よりエモーショナルだったりする。
そういう時に日記は役立つ。
また、出来事は写真にでも撮っておけば思い出せるかもしれないが、思想は文章として記録に残しておかないと思い出すのに困難である。
自分がその時に考えていることというのは、未来の自分にとって非常に価値のあるものだと思う。
なにかと影響を受けやすい中高生の頃の人生観や倫理観などの思想は、なかんずく記録する価値がある。
中高生を過ぎてしまった方々でも、例えば結婚前と結婚後、退職前と退職後などの思想の変化を記録しておくことは、過去を振り返る時間をいっそう有意義にしてくれるはずだ。
脳のジャンクファイル整理になる
これはTo Do Listと同じ考え。
どこかに書き出さないと、「今日はいい日だな〜」→「昨日はいい日だったよな〜」→「一昨日は……あ、そういえばいい日だった!」という風に、いい日をどうにか覚えていようとする。
何かについて深く考えた日も同様で、自分の考えを忘れないように一生懸命覚えておこうとする。
しかし、ここで一度日記として脳の外に書き出すことで、外付けSSDに記憶を移した状態になり、その分思考のスペースが空く。
そして、その空いたスペースでまた何かを考えることができる。
これが脳のジャンクファイル整理だ。
今日のキーワードは、「日記は脳の外付けSSD」。
人間は考えてこそ人間たりえる。
「人間は考える葦である」とは、パスカルも本当によく言ったものだと思う。
考えるために、日記を書こう。
おわりに
こんな感じで、日記――思想日記は、趣味として楽しいうえにメリットもたくさんある。
みんなも日記を書こうね!(雑な締め)
宣伝
最後に少し宣伝をば。
今回紹介した思想日記の実践編として、今日からnoteでも日記を書いてみようと思う。
今までパソコンのメモ帳だけに書いていた日記を、noteにも投稿する。
よろしくお願いします。
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