普通だった。
東京駅で上越新幹線とき305号に乗り込み、新潟を目指す。
高速で地を進む列車の窓からは、途中、大宮や熊谷、高崎なんかを通り過ぎることを確認できる。
私の地元は、埼玉県。群馬もよく遊びに行った。
先に挙げたこの旅の通過点は、私の人生における通過点でもあった、というわけだ。
大宮を過ぎるあたりで見えてくる高島屋のビル。
ここの最上階の本屋は売り場面積がとても広くて、欲しい参考書、雑誌、文庫がいつも揃っていたな。
熊谷のうちわ祭り、今年は開催されたのかな。
もう一度行きたいな。
高崎山のあの長い階段で、今日も地元の高校生たちが走り込みをしているのだろうか。
この列車はから見える景色は、私のために用意された思い出のスライドショーなのではないか、などと決して声に出して言えないような恥ずかしいことを考えていると、シャッフル再生していたApple Musicでゆらゆら帝国がかかった。
そろそろ彼の話をしてもいいかもしれない。
高校時代から、私がどこかその影を追い続けてしまっている彼のことを。
*
私が彼と出会ったのは、高校1年生の頃。クラスの同級生だった。
高校受験を経て、初めて地元の地区を離れ電車で通学することになったその高校で、まだ知り合いもほとんどいない入学当初に、我々は出会った。
なんか雰囲気あるな。
彼の最初の印象はそれだった。
話していても、どこかで別のことを考えていそうで、掴めなかった。
これは褒め言葉のつもりだが、彼は普通じゃなかった。
だがその掴めなさが気になり、私は彼とよく喋った。
好きな音楽の話や読んだ小説の話、映画の話、学校の授業や先生に関すること。
彼の一番の特徴は、何にでも興味を示し、とことん納得するまで考える、というところだ。
だから彼といろんなカルチャーの話をして、彼の考えを聞くのがとても好きだった。
彼からお薦めされたアーティストや楽曲は、今でもよく聴く。その筆頭が、ゆらゆら帝国だ。
そして私が彼の天才ぶりを濃く感じたのは、学校で模試を受けた時だ。
模試を受ければ当然学力のスコアがつくし、志望校の合格可能性の判定も出る。だからそれなりに緊張するし、模試の日のクラスの空気はいつもとちょっと違う。
だが彼は、いつもと何も変わらないテンションで、無邪気に話しかけてきた。
「この数字の並び、絶対なんか規則性があるよ!一緒に考えよ!」
彼は、模試の解答用紙の端っこに記載された、暗号のような数字の並びに着目し、その数字が意味するところについて考察を始めたのだ。
正直、この時ばかりは彼の興味関心の方向性に共感できる余裕がなかった。
いや、余裕があったとしても全く理解できない。やっぱり彼は、普通じゃなかった。
高校2年生になって、彼はすぐに大学受験のための受験勉強を始めた。
彼のすごいところは、単に受験を成功させるために早めに準備をしよう、という心意気ではなく、数学、世界史、国語など各科目を学習することそれ自体に純粋な興味関心が傾き、せっかく学ぶなら受験も意識して体系的に学ぼうということで、早期に受験勉強に着手したというところだ。
当時まだ遊んでいたかった私は、そのくらいの時期から彼と少しずつ距離が離れ、高校を卒業するころにはほとんど関わりがなくなっていた。私は、普通だった。
*
そして現在、彼とは疎遠になってしまい、私がLINEのアカウントを変えたこともあって連絡を取ることもない。
だが高校を卒業し、お互いが大学に進学してから一度だけ、彼と会った。
他愛もない世間話や、思い出話に花を咲かせ、久しぶりに彼とまともに喋れたことに私は喜んでいたのだが、その日の別れ際、彼が私に「お前はちゃんと普通に大学生活楽しめよ」と言った。
周りにいた高校時代の他の仲間たちはなんでもないセリフだと思ったことだろう。
だが、私にはグサッと刺さった。
彼は、普通とは違う彼の考えには関心を寄せつつ、自分はずっと普通に生きてる私のことを、私以上にわかっていた。
ということに、その日ようやく気がついた。
それぞれの生き方があるし、そもそも普通の定義だって人によって違う。
ただ、私と彼とでは、根本的に見ている世界が違った。
一緒に話しているときは、ずっと同じ世界を見ているつもりだった。
地頭が良くて、興味関心のアンテナがいつもフル稼働している彼には、この世界はどのように見えているのか、自分は結局、そこを理解できない側の人間なのだ、と自覚したとき、心に空洞が貫通した気がした。
では、また。