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卒アルの文集の中に、自分のルーツらしきものが垣間見えました。
先日、実家に帰った際に、ふと小学校の卒業アルバムを開いてみた。
この埃かぶった立派な書物を開くのは、もしかすると小学校卒業以来初めてだったかもしれない。
たいていは高校時代や大学時代に、友人たちとふざけ半分でお互いの小・中学校時代の卒アルを見合ったりするものだと思っていた。
だが、私にそのような思い出は一切ない。
私は、またしても青春のチャンスを逃したのだろうか。
あるいはドラマの見過ぎなだけで、卒アル閲覧会というイベントはあまり一般的ではないのだろうか。
そこんとこどうなんですか、世間さん。
まあ、「卒アル閲覧会」が青春の一幕としてどれくらい一般的であるのかということはさておき、小学校卒業以来、10年以上ものあいだ一度も掘り返されることがなかった私の卒アルが、少しだけ不憫に感じられたことは確かだ。
ごめんよ、卒アル。
というか生徒の思い出のためにこの書物をこしらえてくれた当時の大人たち。
よし、ここは一つ、ひとり卒アル閲覧会を開催しようではないか。
そう張り切って、ページをめくり始めた。
数十分後、一通り目を通し切った私は、靴を履いて外に繰り出していた。
記憶を頼りに、ひたすら歩いた。
20分くらい歩いただろうか。
私は、かつて通っていた小学校の前に辿り着いていた。
そこで私は、友達や先生とたくさんの時間を過ごした学校の校舎でも校庭でもなく、たったいま歩いてきた道を振り返って、その景色だけをしばらくじっと見つめたのだった。
◇ ◇ ◇
小学校の卒アルには、6年間の思い出の写真たちが所狭しと掲載されていた。
もちろん、生徒たちの顔写真もクラスごとに整理されている。
基本的に小学校時代の思い出など、よほど大事なイベントでない限り忘れ去ってしまったのだが、この卒アル用の写真撮影をした日のことはよく覚えている。
「笑え」と言われて全然笑えず、撮影を長引かせてしまったことが、少しばかりトラウマになったからだ。
めげずに待ってくれた当時のカメラマンさんにお伝えしたい。
辛抱強く私が笑うまで待ってくれて、ありがとう。
おかげで満面の笑みの写真が残りました。
さらに卒アルのページをめくり、写真たちのパートが終わると、卒業生による文集のパートが現れた。
皆、おもいおもいに6年間の思い出のシーンについて振り返って文章に残している。
だが、何人かの作品を読んだところであることに気がついた。
ほとんどの人が、露骨に主要な学校行事のことについて語っているのだ。
修学旅行
林間学校
音楽祭
体育祭
…
また、テーマの統一感もさることながら、書かれている内容も
「音楽祭でみんなで協力して、私のクラスが学年1位になれたのが嬉しかったです」
とか
修学旅行での班行動が楽しかったです。
など、なんだか優等生的というか、いかにも模範解答です、というような作品が多いのだ。
もちろん、テーマがありきたりであっても、メッセージに強烈な個性がなくても、何の問題もない。
それが正しいのだとも思う。
むしろ、小学生の書く卒アルの文集に突飛な面白さを求めようとする私にこそ問題がある。
さて、勝手に同窓生の文集への感想ばかり述べているが、では自分のはどうなんだという話だ。
現在はこうして文章を書くことを趣味としている手前、小学生当時の自分の書いた文章がどんなものだったのか、自分でも気にはなった。
そして名前の順に並べられた文集パートをパラパラと送り、私の文章が掲載されたページにたどり着いた。
そのタイトルは、「六年間通った通学路」だ。
◇ ◇ ◇
率直に、嬉しかった。
きっと自分も修学旅行か音楽会か、無難な学校行事について当たり障りないことを書いているのだろうと、そう思っていた。
だが、違った。
私が寄稿した文章には、六年間、毎日歩いた通学路について振り返ったという内容が書かれていた。
我ながら、「そこに目を付けるか…」と少し感心してしまった。
具体的には、以下のような内容が書かれていた。
ぼくは、六年間歩いてきた、通学路をふり返ってみました。通学路は毎日、登校や下校の時に歩く道です。
低学年の時は、算数道具やお道具箱を持って帰る日は、重くてつらかったです。高学年になるにつれて、持って帰る物が重くなったりしました。でも、低学年の時よりも、つらく感じなくなりました。そう考えると、自分が大きく成長したことを感じることができました。
(中略)
通学路は、六年間の数々の思い出の出発地点です。これまで通るときに、様々な思いを持って通りました。通学路での思い出を忘れないように大切にしたいです。
なかなか独特の視点で振り返りを試みているようだ。
そしてこの文章を読んで、二、三思うところがあった。
まず一つには、「欲張りな性格は変わらないな」ということ。
どういうことか。
おそらくだが当時の私の脳内でも、企画段階で「修学旅行」や「音楽会」などの学校行事について書こうというアイデアは浮かんだことだろうと思う。
ただ、一つに絞れなかったのだと思う。
そこで欲張りな私は、全部ひっくるめて振り返れる手段として、毎日通った通学路をテーマに書いたのだ。
この欲張りで総取りしたい性格は、今にも通づるところがあるように思う。
また別の観点で、「あえて非日常でなく日常的なテーマを選定している」ところにも私らしさが出ている。
通学路なんて、本来あえて振り返るようなテーマではないだろう。
どうせなら大きなイベント、つまりは非日常の出来事について振り返りたいものである。
ただ少なくとも現在の私には、そういう「意識しないと見落としてしまいそうな日常の些細な事象にこそ、意味をみつけたい」という価値観があって、この卒アルの文集からはどことなくそのエッセンスを感じるのだ。
最後にもう一点、気がついた、というか思い出したことがある。
それは、「私はこの文集を通して、通学路との和解を試みていた」ということだ。
これまたどういうことかと疑問に思われるだろう。
まず前提として、私の実家から私の通っていた小学校までは、小学生当時の歩幅で歩いて1時間弱はかかるほどの距離があった。
今でこそ20分ほどで歩けてしまうが、当時は毎回の通学がそこそこ長旅だったのだ。
そんなわけで当時、私は毎日のように不平不満を垂れていた。
通学路のことを憎っくき敵のように思っていた。
ただ不思議なもので、六年間戦い続けてきた宿命の相手とのお別れを前に、筆を取ったときにふと、「どれ、最後にこの好敵手について書いてやろうではないか」と思ったのだ。
大事なことを、思い出した気がする。
◇ ◇ ◇
繰り返すが卒アルの文集に学校行事のことを書いていたって、なんにも間違いなどではない。
ただ私は変わり者の代表として、変わった角度で六年間を振り返り文章を残した当時の自分を、少しだけ誇らしく思った。
そして、当時から変わらない自分のパーソナリティの片鱗を確認したのだった。
ただ、それだけの話だ。
では、また。
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