
今日も明日も吉祥人
「アレクサ、羊文学の『おまじない』流して」
「はい、『おまじない』とそれに似た楽曲をシャッフル再生します」
(相変わらず気がきくなあうちのアレクサは)
🎵🎵🎵
さて、昨日は吉祥寺のカフェでの一幕をだらだらとご紹介するとともに、私の"変わり者"論を展開したのだった。
私が周囲から変わり者だと思われる要因の一つとして、人間関係があまり得意ではないという特徴が挙げられる。
わかります、呑気に語り挙げている暇があったら直せよと言いたいあなたのお気持ちは。ただ、そう簡単にもいかないから困っちゃってる次第。
というのも、その原因は「自分に自信がない」というところにあるのだと最近気がついたのだ。
自信がないから必要以上にオープンにしない。勝手に殻に篭ろうとする。そのくせ殻の中から外の世界を眺めては「いいなあ、羨ましいなあ」などと言ったりする。もうこの時点で変わり者の烙印を押されている。
私は葛藤人間だ。
葛藤人間かそうでないかを測る指標として、自己矛盾の大きさがあると思っている。もちろんそれだけではないのだが。
その点私は自己矛盾の塊で、自動的に葛藤人間代表だ。
もう少し葛藤人間の解像度を上げていこう。
例えば、私は人との交流を心の内では望みながらも、実際には人混みを避けるように行動してしまうところがある。カフェで隣の席に座った人に話しかけたいと思いつつ、結局スマホの画面に目を落としてしまう、など。あのカラフルニットの彼は何を書いていたのだろう。普段どんな場所をホームとしているのだろう。聞いてみればよかった。こんな具合に。
一方で、そんな自分に少々歯痒さを覚え、なんなら苛立ちながらもどこかで「これでいいのだ」と自分で納得してしまうところもある。自己矛盾ここに極まれり。
さらに言えば、私は新しいことに挑戦するのが好きだが、同時に劇的な変化を恐れ安パイに落ち着きがちだ。例えば私がすでに知っているレストランに行き、メニューを見て「今日は何か新しい料理に挑戦しよう」と思いつつ、結局いつもの定番料理を注文してしまう、など。カフェでコーヒーかココアか散々悩んで結局コーヒーを注文した回数のギネス記録があれば、間違いなく私がその記録保持者だ。
以上のように、私の中には常に二つの声が響いている。
一つは「冒険しよう、新しい自分を見つけよう」という前向きな声。
もう一つは「安全な道を行こう、リスクは避けよう」という慎重な声だ。
この二つの声が絶えず葛藤し合っている。
しかし、この葛藤こそが私を「変わり者」として特別な存在にしているとも言える。普通の人が持っている一貫性のある行動パターンとは異なり、私の行動はおそらく側から見ればだいたいが予測不可能で、時にはコミカルなほど矛盾している。友人たちは私のこの性格を楽しんでいるようで、大変ありがたいことに私のことをいつも温かく見守ってくれている。
結局のところ、私たちは皆、何らかの形で葛藤を抱えて生きている。と思う。
最初に自分と周囲との差異に気がついた時、もしかしたらそれをコンプレックスのように思ってしまうかもしれない。
だが、私が自分の変わり者さを受け入れることで「ずっと面白い人でいよう(interestingの方な)」という価値観が生まれ、自分の変人ぶりに誇りを持つに至ったように、いずれそのコンプレックスが武器になる日が来ると思う。
自分が嫌になったら、吉祥寺のカフェに行ってみてはどうだろうか。
あなたも私も吉祥人。
🐏
おまじないちょうだい
おまじないちょうだいよ
わたしを許せるわたしになりたい
いっか、まあ、だめでも
思うよりも先は長い
では、また。
▼前編 「あなたも私も吉祥人」