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それでも兄妹間の会話は中国語になり、中国語の番組を見るようになった。

北京で生まれた日中ミックスの息子と娘。
中国語に囲まれた環境のなか、
子供の身近にいる唯一の日本語を話す人間として
できるかぎりの努力はしてきたつもりですが、
それでも、下の子が幼稚園に入るとまもなく、
兄妹間の会話はみるみるうちに中国語に切り替わり、
小学校に入って自分でテレビチャンネルを選べるようになると
中国語の番組を見たりするようになりました。

日本語を伸ばしていくために
日本語のテレビを見せたいという気持ちはありましたが、
子供が中国語のテレビを見ていても禁止はしなかったし、
兄妹が中国語で会話することも止めませんでした。

それは、中国で生まれ、中国人の父を持つ子供たちにとって
中国は母国なのだから、中国を悪く言うとか、
中国語を話すことにマイナスイメージを持つ可能性があることは
できるだけ控えよう、と思っていたから。

子供が中国語のテレビチャンネルを選ぶと
親として内心は穏やかではなかったのですが、
(負けた!みたいな気持ち。。。笑)
表向きは、

「どっちを見てもかまわない」

という態度を取り、平静を装っていました。

下の娘が生まれた時、義母は病気がちで
孫娘の世話を焼くことがほとんどできない状態だったので、
娘は3歳までは母のわたしべったりで、
中国語はそれほどできませんでした。
だから兄妹の会話も日本語だったのですが、
娘が3歳で現地幼稚園に行き始めると、中国語が飛躍的に伸び、
兄弟の会話もあっという間に日本語から中国語に切り替わりました。
子供は幼稚園入学以降、社会生活を送る場所の影響を
大きく受けるようになります。
やはり一日の大半を幼稚園で過ごし、そこで中国語で話していたので
中国語が子供にとっては一番身近な言葉になっていったんですね。

ここで

「家での会話は日本語」

というおうちルールを徹底してもよかったのですが、

「子供たちにとっては中国語での会話が一番自然なのだろうな」

という気持ちがあって、
無理やり日本語で会話させることはしませんでした。

「中国語のテレビはダメ、日本語のだけ見なさい」
「兄妹は中国語で話しちゃダメ、日本語で話しなさい」

といったことをしようとすると、
家庭内がすごくしんどくなるような気がして
(習慣になればそう大変でもなかったかもしれませんが、
 「ダメ」という言葉をあまり言いたくなかった)、
子供は話しやすい言葉で話せばよいということで、
特に強制はせず、
ただ、裏では、おもしろそうな日本語の本を揃え、
子供が起床する直前に日本語のテレビをつけておくなど、
日本語への誘導を必死にやっていました(笑)。

そして、母子の会話だけは、日本語を死守しました。
子供も、生まれた時からわたしとの会話は日本語だったので、
それが中国語に置き換わっていくことはありませんでした。
毎日、子供と日本語で会話する時間と読み聞かせの時間を
持つようにしていました。

つづく。


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