"問いは、「良い答え」を導くためのものである"...は本当か?
なぜ問いを立てるのか。問いのデザインはなぜ重要なのか。問いをデザインすることの意義については、さまざまな意見があるように思います。
たとえば、問うことは人間の本能に近い営みのため、問うことは、生きることである、という意見もあるでしょう。ジョン・デューイも人間の根源的な衝動の一つに「探究的衝動」を位置付けていましたから、私自身もその考え方には共感するところがあります。
他方で、私が問いについて「デザイン」という言葉を使う際には、デザインの基礎的な態度である「問題解決」に主眼を置いているため、問いもまた、問題解決のための手段として位置付けています。
なぜ問題解決に「問い」が必要なのか
さて、それでは問題解決を推し進めていく上で、なぜ「問い」にこだわることが重要なのでしょうか。
一つの考え方としては、「問いによって、導かれる答えが変わるから」「良い答えを導くためには、良い問いが必要だから」という考え方があります。これは、書籍『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』の中でも、問いの基本性質の一つ目として解説しています。(※本の中では、基本性質は7つ紹介しています)
問いの基本性質(1)
問いの設定によって、導かれる答えは変わり得る
(『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』より)
このことについては、すでに様々な書籍でも述べられています。たとえば書籍『問いこそが答えだ!』では、そのタイトル通り、正しい答えに到達するための問いの重要性について事例を通して主張されています。
創造的なブレイクスルーがいかに生まれたかを調べていくと、問いが誰かによって変えられた時点にたどり着くことが多い。例えば、スナップ写真が登場したときのことを考えてみよう。写真の技術が発明されたのは、コダックの創業者ジョージ・イーストマンが生まれる1854年よりずっと前だ。イーストマンは子どもの頃から写真に興味を持っていた。ところが24歳のとき、外国旅行の準備をしていて、写真撮影の機材があまりに運びにくく、しかも高価であることを知った。(中略)イーストマンの胸には次の問いが浮かんだ。写真撮影をもっと手軽で簡単なものにして、一般の人にも楽しめるものにできないだろうか。(『問いこそが答えだ!』より)
新しい問いを立てることで、すぐに新しい発見がもたらされる場合もある。そんな当たり前のことになぜ今まで気づかなかったのだと思わず自分の額を叩いてしまうような、画期的でありながら自明ともいえる解決策が見つかる場合だ。そういう場合には、問いの中にあたかも新しい答えが組み込まれていたかのように、問いを立てると同時に答えが導き出される。ふつうは答えが見つかるまでにはもっと長い時間を要するが、問いを立てることで答えを追求することは可能になる。(『問いこそが答えだ!』より)
私たちミミクリデザインの事業開発のプロジェクトにおいても、問いが生み出すアイデアの質を左右することはさまざまな場面で痛感してきました。たとえば以下の家具のイノベーションプロジェクトでは、「生産性が高い家具とは?」などとストレートな問いは捨て、そもそも「オフィスとは何か?」「ベンチャーにおけるオフィスの役割とは何か?」を問いながら、アナロジカルに「神社が持っている場の力とは何か?」とひねりのある問いを経由したからこそ、新規性の高いアウトプットが生み出せたと感じています。
問いのデザインの意義は「答え」にあるのか?
しかしながら、問いの重要性は「答え」だけではないように思います。そもそも現代の企業、学校、地域の問題解決においてなぜ「答え」が出せないのか、その原因の分析が重要です。
経営学者の宇田川元一氏は、著書『他者と働く』のなかで、ロナルド・ハイフェッツの問題の整理を引用しながら、現代社会に積み残された多くの問題は、ノウハウで解決できる問題ではなく、集団の関係性の中で生じる問題(=適応課題)であることを指摘しています。
これだけ知識や技術があふれている世の中ですから、技術的問題は、多少のリソースがあれば、なんとかできることがほとんどです。つまり、私たちの社会が抱えたままこじらせている問題の多くは、「適応課題」であるということです。
見えない問題、向き合うのが難しい問題、技術で一方的に解決ができない問題である「適応課題」をいかに解くか──それが、本書でお伝えする「対話」です。(上記の画像含め、https://cakes.mu/posts/27398から引用)
現代の組織やコミュニティにおける課題を適応課題として捉えたときに、問いの意義は単に「答え」を導くツールを超えて、違った価値が見えてきます。それは、問いは、集団において凝り固まった固定観念と関係性を揺さぶり、わかりあうための「対話」を生み出すためのきっかけとなりうる、という側面です。
問いは、集団が関係性を編み直すための「学習」を駆動するメディアである!?
以下の図は、書籍『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』の第1章でで紹介している問いの基本サイクルです。
上記のサイクルの通り、問いはそのデザイン次第で、問われた側に思考や感情を刺激し、創造的対話のきっかけを生み出します。
問いに対峙しながら集団の創造的対話のプロセスが回り始めると、自然と人々は自身が暗黙のうちに形成していた認識に気がつき、ときに問い直し、またお互いに共有することによって、関係性が変化し、新しい気づきやアイデアを生み出す契機となります。
認識と関係性が編み直され、一定の「答え(解)」を得た人々は、そこで探究を止めず、新たな問いを生み出し、またこの探究のサイクルを回していくかもしれません。あるいは、問いのデザイナーとしてのファシリテーターが、新たな問いを投げかけることで、また新たな探究をファシリテートするかもしれません。
これが、問いを介しながら人々が認識と関係性を編み直していく、つまり集団が「適応課題」を乗り越えていくプロセスです。したがって、問いのデザインにおいては、「答え」は副産物ではありますが、ゴールではありません。むしろ、問いを問うプロセスにおいて生まれる「学習」にこそ意義がある、というのが、私のスタンスなのです。
以上を踏まえて、書籍『問いのデザイン:創造的対話のファシリテーション』では、問いを以下のように定義しています。
「問い」の定義
人々が創造的対話を通して認識と関係性を編み直すための媒体(メディア)
本書では、以上を考えの基礎としながら、企業の商品開発・組織変革・人材育成、学校教育、地域活性化などの複雑な課題解決において、問題の本質を見抜き、正しい課題を設定するための思考とスキル。そして関係者を巻き込み課題を解決するためのワークショップデザインとファシリテーションのエッセンスについて解説しています。是非お読みください!
ミミクリデザインが運営するファシリテーションの実践知が学べるオンラインプログラム「WORKSHOP DESIGN ACADEMIA(通称WDA)」では、ほぼ毎日音声/動画のコンテンツを配信していますが、早速「問いのデザイン」の特集なども始まっています。5月限定で、1ヶ月無料キャンペーンを実施しておりますので、この機会に是非お試しください!今ご入会いただけると、過去のコンテンツなど含めて視聴し放題です。