ニホンゴを意味のある言葉として認識して理解するまでに時間がかかる話
「…き……ん…!…き…らさん!おーい、ゆきひらさん!!」
悲しいことにこうなることがよくある。
わたしは耳からの情報にめっぽう弱いのだ。
音としては認識しているのだが、それを言語として受け止めるのに時間がかかる。
コロナ禍で在宅の人も増えているかと思うが、うちも例に漏れず在宅していいことになっている。
わたしはできるだけ出社したくない。
準備に時間がかかる、通勤が面倒くさい、などいろんな理由があると思うが、私の場合、周りの目があって気を遣うことのほかに誰かが話しかけてくるかもしれない、という緊張感を常に持っていないといけないからだ。
普通の人は意識しなくても音が届くこと、それを意味のある言葉として認識することがセットで処理されているのだと思う。
でもわたしは聞こえることと理解することがセットになっていないので、ニホンゴとして理解するには意識してスイッチをオンにしておかないと届かない。
前に記事で脳内キャパの話をしたけれど、CPUが極小なので工数を減らすために基本的に何か作業をしているときはそれにフルでリソースを割いている。
「聴く」モードになっていないのだ。
音を受け止めることと、言語として認識することにラグがあるので、通常の会話でも聞き直した時に理解する、ということがよくある。
よく母親に怒られたものだ。
耳遠くない?何回言わせるの?と。
それにプラスして最近気がついたのだがわたしは視覚優位のタイプなので、情報処理は「見て」理解をしている。
たとえ日本語音声であってもNetflixなどは字幕をつけて見ていることが多い。
なにか説明を受けた時は(可能であれば)ノートに書き出し図式化してインプットしようとするから、全体像が見えてから詳細を説明してもらった方が理解しやすいこともわかってきた。
ただ幼少期の親や学校からの指示、会社での指示はほとんどが口頭で行われる。
自分の特性に気がつく前は大変苦労した。
ちゃんと聞いていたとしても耳からの情報を処理するのに長けていないからどこかが抜け漏れる。
理解する前に次の音(情報)が入ってきて処理が追いつかない。
そうこうするうちに未処理の情報で溢れパンクしてしまう。
今の職場は指示がテキストベースなのと、言った言わないの問答にならないように文字として証跡を残す文化があるのでだいぶ助かっている。
これを認知特性というらしいのだが、聴覚優位タイプや言語優位タイプなど人によってどうやって情報を受け取るかでかなり向き不向きが出るので、こんな認知の仕方をする人もいることを知ってほしい。
同じような人を見かけたら、その人の努力不足と思わずに得意を見つけて情報伝達してみてほしい。
同じように困っている人がいれば、自分の得意やクセを見つけて克服する一助にこの投稿がなれば嬉しい。
<あとがき>
書き終わった後のタグづけで気がついたのだが、どうやら聴覚情報処理障害(APD)という言葉があるみたいで、ドンピシャでこれだった。
聞いてないわけではないので、理解が広まってくれたら嬉しいな…