月には2種類しかない。欠けているか丸いかだ。
自分の中では月の存在なんてその程度のものでしかなかった。
小さな頃に見たアニメの影響で「本当に月にはウサギが住んでいるのか」と不思議に思ったものだが、そこにこだわりはなかった。どっちでもよかった。
「うさぎが餅つきしているように見えるでしょ」と言われても全くそういうふうには見えなかったし、自分にだけそうは見えないのだろう、くらいにしか思っていなかった。人にはできて自分にはできないことが多かったから。
小さいころによく夜遅い時間に出歩くことが多かった。父が好きだったのだと思う。コンビニでアイスクリームを買ったり、当時でいうビデオを借りに出かけたりしたものだった。
「月の位置が変わらない」
それに気づいたときに不思議な気持ちになったのを覚えている。
影も自分にピッタリついてくるが、月も同じなのだな、と。
コンビニまで父と競争したことがあって、多分わざと負けてくれたのだと思うけどたまたま勝ったことがあった。すごい嬉しかったが月は遠くにあった。追い越すことはできなそうな気がした。
まぁ今となれば当たり前なんだけど。
あるときこういう詩に出会った。
遠くからこの世の中ずっと見ていた
人が狂えば君のせい 迷惑だよね
白く光る 言葉もなく
まるで全て哀れむように
月がその気になれば本当に
全ての人はおかしくなるさ
僕の愛する可愛いあの娘も
きっと変わり果ててしまうよ
だから時折赤く光る
月に僕は怯えるのだろう
そんな事 思っては
月の歌唄う
作詞作曲 吉井和哉
月のことをこういうふうに見つめたことがなかったのでハッとした。僕らは自分の都合で月のことを常に改竄しているのだ、と思った。
「月は人を狂わせる」「満月の日は犯罪が多くなる」
いろんな噂が絶えない月だが、確かに言われてみれば不都合なことは全て押し付けられているように思えた。
普段は「綺麗なもの」として存在しているし、しかもうさぎが餅をついているとまで言われるファンシーで美しい存在にも関わらず、人間が困ったときには悪者扱いをされるのは実に不憫だ、と。
責任の所在を不確かなものにおいてしまえば人間の醜さに目を向けずには済む。
汚いは綺麗
綺麗は汚い
月も表裏一体なのだな、と。
しかしながらそれは見るものの心をも写している。月そのものに裏と表があるのではなくて、見る側に裏と表があって、月はそこにただあるだけ。
うさぎがいたり、赤く光ったり、人を狂わせたり、もしかしたら全てが月の本質かもしれない。
たったひとつ言えるのは、月の本当のところは誰も知らない、ということだ。
最近月を見上げることもなくなった。
たまには見上げてみよう。
お店にも来てくださいね〜〜!!