店を閉めるということ
僕らは変化を受け入れいかねばならない。ずっと変わらないものなどないのだ。
先日東京の店舗を閉めた。東京に来る前に、地元仙台でやっていた店を閉めたから、店を畳むのは今回で2回目。
コロナ禍に無理して出した店舗だったから、チューニングがそれほどバチっと決まらないままだった。「寂しい」はあったけど、「悲しい」がなかったから、ほんとうは自分はずっと前から店を閉めたかったんだなとそこで気づいた。東京で一生やるんだと自分で勝手に決め込んだけれど、まやかしだった。
お客様からすれば残念なことだし、悲しいのかもしれないが、こちらは覚悟してしまえばかなりスッキリと、終われる。
少し恋愛に似ている。覚悟が済んでいない別れが辛いだけで。
前回は、東京出店のために店を閉めたので、「さ、次、次!」というポジティブな感情があったけれど、今回は「やっと終わるぜ」という感じだった。
とはいえ、お客様には満足していたし、CSデザインアワードで準グランプリをいただいたり、本当に格好いい店だったし、スタッフも最高だった。でも、100パーセント満たされることがなく、なぜか心の中でずっとチューニングがずれていた。何回も合わせようとしたけど、何かが違った。
お店を閉めるとか畳むとかいうと、誰もがいろんな理由があると思うけど、今回は自分の中で、ただ気持ちに委ねただけだった。
店を作ることはそれほど大変じゃないし、特別なことでもないけど、店を閉めることもそれと同じだと感じる。
つまり「深い意味なんかない」
変わらないことは恐ろしい。死に方は選べないので死にたくはないけど、永遠に続くということを想像すると、それも耐えることができない。
人生は死ぬまでの暇つぶしというけれど、限界がある。
だからゆっくり奇跡のように変わりつづけることを望んでいる。
生きることも死ぬことも、作るのも壊すのも、全部ただの変化でしかないのだ。楽しいとか寂しいがくっついているだけで。
全てがちょっとしたトピックでしかない。
永遠があるなら変わらないことを受容してもいいが、永遠はないのだから変化を受け入れなければならない。
そして最も難しいことは、自分で変化を起こすことだ。
周りの変化はあなたの変化じゃない。
変化は革命だ。