緊張感のあるお店とそれを支援すること
おはようございます!やまじゆうきです。
うちのお店の隣にあるcafe haven't we metさん。
僕が20歳くらいの時に通うようになりました。行くペースが落ちたり上がったり色々ありましたが、35歳になる今も(細々と)通い続けている。
うちのお客様もそうだと思うんですけど、ペース的には各々タイミングがありますよね。毎日か、1年に1回か。
その中でも、最悪のパターンは離脱されてしまうこと。
つまり3ヶ月に1回、のペースでも常連さんであることに変わりはなくて、つまり、離脱されるよりは長く細く通ってもらえる方がありがたい、ってことです。
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話は戻りまして。
このお店にはほぼ読書をしにいく。
そして、不思議なもので”適当な服装でこのお店には行けないな”と感じるので余所行きの格好で行くことが多い。
余所行きというか…「手を抜いていない格好」で行くようにしています。
カフェに行くことには「ある程度の緊張感が含まれているべき」だと最近、特に感じる。
ダラダラ過ごすだけであれば、自宅や自分の部屋で間に合う。
好きなものに囲まれて、部屋着で過ごすのが一番リラックスできるに決まっているからです。サードプレイスなんて必要ない。
ダラダラ、というのは「生産性のない状態」のことです。
でも、それ以上の何かを求めてカフェに行くんですよね。
そこには、ある程度の緊張感やストレス、負荷などがかかっていることが大事なんです。逆に緊張感のないお店なんか行かなくてもいいし、価値がない。
どのお店を選ぶか、ということがすでに経済活動で、それはつまり「どのお店を支援しているかという決意表明」に繋がる。人の数だけそれが存在する。
ただ、なんとなく利用することが多くなってしまうけど
「誰を応援したいのか」
っていうお店の選び方もいいなぁ、と感じる。
僕も休みの日は自分のマガジン(こちらですね↓)の購読者さんのお店になるべく行くようにしています。
「そのお客さんに会える」だけで満足度はかなり高くて飲食自体の内容は二の次。
やっぱり「モノ検索」から「ヒト検索」になっている時代だなぁ、とひしひしと感じます。
そこばかりに頼ると飲食店は危ういけど、ヒトで選ばれている場合の破壊力というか、そこに発生する結びつきと影響力はかなり強いのも事実です。
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話が行ったり来たりしますが。
この冒頭のお店に来ると、パソコン開いたりスマホをいじったり、そんなことが野暮な気しかしなくて、そういう気分にはなれない。
「おい、緊張感持てよ」と20年近い歴史のあるお店の重みに言われている気がして、それがたまらなく好き。
オーナーの佐藤さんやBGMが柔らかく、ずっとそこに留まりたくなる。
先日はRHYEとコーネリアスの話で盛り上がったんだったか。
僕はこのお店をずっと支援していく。なぜなら定期的に自分の体たらくに喝を入れてくれて自分を正しい流れの中に戻してくれるからです。それらの浄化活動は全て自分の肉体と精神の中で行われるものであるけど、そのきっかけとしてそのお店を含め、いろんなカフェに行くこと、が作用している。
こういう緊張感をもたらしてくれるお店が大好き。
その「好きなお店を支援すること」という経済活動は実は自分のためにもなっているんだよなぁと思うゆうきさんであった。