あなたの言葉と私の言葉
言葉って面白くて、同じ言葉でも人によって感覚は微妙に違っている。
私の言葉については、感情と映像をセットにして理解している。つまり、頭の中の映像に言葉を吹き込むように会話をするのだ。
たまに小さい子が覚えたての言葉を乱用することがあるけれど、その気持ちもなんとなくわかる気がする。
体にその言葉を馴染ませて初めて「新しい言葉」が「自分の言葉」になっていくし、馴染むまでの感覚は、未知の世界に出会った時くらい心を奪われるから。
最近「言い得て妙」という言葉が自分の言葉に加わった。
言葉は分かりやすくあるべきだ、って思っていたのに。こんな日が来るなんて思ってもみなかった…笑
人生何があるかわからない。
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最近は色んな人の会話や文章に触れて、言葉を音や文字で理解する人もいるらしいと知った。
「言い得て妙」、「ノミの心臓」、「諸行無常」など、仲のいい後輩が話す言葉はとても難しい。
彼女は、映像よりも音や文字を言葉に当てはめるタイプのようだ。
テレビを見て不思議には思っていたが、教科書の問題に出てくるような言葉を日常の会話で使う人は実在していたらしい。
大好きな落合陽一さんも横文字や難しい言葉をたくさん使うし、より多くの人から色々と吸収するために語彙力は必要なんだろうと思う。
なぜ難しい言葉を使う人は、わざわざその言葉をチョイスしているのだろうか。
そりゃあ人それぞれなんだろうけど、多分その言葉がその人にとって「言い得て妙」なんだろう。
言い得て妙:巧みに言い表しているさま。
引用:https://kotobank.jp/word/言い得て妙-430591
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落合さんの個展で知った「幽体」という言葉を落とし込めた時、人生が広がったように感じたことがある。
その作品の雰囲気と今まで味わってきた感覚が一致し、題名に使われていた言葉に感覚が宿ったことで自分の言葉に加わったのだ。
それと同じように、人にはその人にあった言葉が存在しているのだろう。
それなら、「難しい言葉を使わないで」と言ってその人の言葉を奪う前に、「あなたの言葉の意味を教えて」と言える人になりたいと思っている。
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例えば他国の人を理解しようと思った時、英語でも他の外国語でも、その人の言葉を理解しようという姿勢が大切だろう。言語はその国の文化をも表すらしい。
つまり他人の言葉を理解するには、自分の言葉以外に耳を傾ける必要があるということではないだろうか。それは日本語でも外国語でも変わらない。
そう考えると、コミユニケーションというのは思っているよりもシンプルなのかもしれない。
言葉はどこまで行っても言葉であり、捉え方は違えど感情の代替というツールでしかないのだから。
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難しい言葉をたくさん知った上で、私は伝わる人を限定しない「自分の言葉」を模索していきたい。
やはり会話は噛み合った方が面白いし、感情の共有は言葉を通さなければ成立し得ない。
言葉が通じないことはすなわち、思いが伝わらないことに等しいのかもしれない。
それならたくさんの言葉を自分の中に落とし込み、相手と共通する言葉を選びながら会話を楽しみたい。相手との感情を共有できるような言葉を知りたい。
そんなことをずっと考えている。
この言葉は誰かに何かを伝えられているのだろうか。
まだまだ言葉の勉強をし続けていきたい。
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