『会うたびに「感じのいい人」と言わせる大人の言葉づかい(齋藤孝/大和書房)』を読んで、テキストベース社会の生き方を考える。
「最近の若い者は・・・」、
その昔、ドラマや小説、漫画の中でよく目にしていたセリフだ。
気づいたら、そのセリフを言うような年代に、自分が突入していた。絶望か。
若手世代と接していると、「言葉の選び方」に違和感を覚えるシーンが増えてきた。
いや、もちろん上の世代にもそういう人はいるし、自分だってそういう時もあるんだろうけど、最近如実に増えてきた、と感じる。
それはおそらく、「テキストベースのコミュニケーション」の比重が高い社会になってきた、ということも関係しているのだろう。
表情やジェスチャー、声のトーンなど、「言葉」以外の要素も多くを占める対面のコミュニケーションと違い、テキストベースのコミュニケーションは、文字通り「言葉」のみで構成されるからだ。
そんなことを感じている今日この頃だからか、書棚の中で本書が目に止まり、読み返してみた。
やっぱり、まだまだ自分も勉強不足だな、と感じた。
例えば、以下のことなどは知識として曖昧だった。
・「珠玉」は本来、小さなものをほめる時の言葉。
・放っておくなら「なおざり」、いい加減なら「おざなり」。
・「破天荒」は「今までできなかったことを初めて成し遂げること」。
・「つかぬこと」の「つかぬ」は「付かぬ」で、それまでの話とは関係のないこと。
・「つつがなく」の「つつが」は、病気や災難のこと。
・「うがった見方」は「物事の本質をとらえようとする鋭い見方」が正しい意味。
・「ご教授」は、学問や技芸を教えること。一般的に何かを教えて欲しいという時は「ご教示」がふさわしい。
「そんな細かいこと気にするよりも、1秒でも早く書類作成やメール送信をする方が有用だ」
そういう主張もあるだろう。仕事の面では一理あるとも思う。
それでもやはり、「正しく」「美しく」「伝わりやすい」日本語でコミュニケーションを取ることができたら素敵だな、と思う。
日本語は、たとえば助詞のたった1文字が変わるだけで、大きく意味や印象が変わってしまう、とても趣の深い言語だからだ。
「これからの社会のコミュニケーション」について考えさせられる一冊でした。
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