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【高1・2】フリースクールへ通う生活

地元に比較的近い所にある、多部制単位制定時制高校に通うことになる。

新しくできた高校らしく、高校入試にしては異常に高い倍率だった。

進学しなければならない事情を訴えたところ、面接と作文のみの審査においてなんとか通った。

正直嬉しいというより、行き場が見つかって少しホッとした気持ちだった。

ただ、不登校生活の延長線上で、いきなり進学とともに高校へ通えるわけもなく、私はフリースクールへ通うことに決めた。

本当ならば中学のうちに通っておくべきだったのだと思う。

高校には色んな人がいた。

バイクを教室に置いて、たむろするようなヤンキー、最前列の席を陣取り、前のめりに授業を受ける高齢者や社会人の人、プロの囲碁棋士、バンドマン、妊婦さん、DEATH NOTEのLのコスプレをして授業を受けるふりをして志望校の赤本を解く私。

特に自由な校風だったと思う。

大学のように朝から夜まで時間割を自由に作成でき、4~6年かけて卒業する。

私は昼の部に所属した。

理由は、朝が弱かったから。

それでも、1年間で取れた単位は10単位もなかったと思う。

中学での不登校期間が長かったから無理もない。

フリースクールにも色んな人がいたが、みんな共通していたのは不登校であること。

そこでは色んな体験をさせてもらった。

勉強はほとんどせず、キャンプや釣りをしたり畑を耕したり、バスケをしたりギターを弾いたり。

縁があって、元ブルーハーツのドラマーの梶原徹也さんや、阪神野球の球団の藤川球児さんと交流できたりした。

何よりここでは初恋を経験した。

初めてフリースクールに見学に行った日、彼女はアコースティックギターを弾いていて、大きな目でこちらを見て笑いかけてくれた。

それが私のような引きこもりには眩しかった。

だが彼女には当時mixiで知り合った年上の彼氏がいた。

分別をわきまえた今なら身を引いただろうが、当時の私には関係がなかった。

映画「恋空」に誘ったり、ミスチルのライブに一緒に行き彼女を送り届けた先で終電をなくしてしまうなど、とにかく彼女にアタックを続けた。

一方彼氏の方は彼女に冷めていたらしく、クリスマスも自分と過ごすチャンスが巡ってきた。

そこで告白した結果、私の片思いは実を結んだ。

初めてキスをして、セックスをした。

ただ彼女も問題を抱えていて、極度のいわゆる寂しがりだった。

20分に一度は必ずメールを返したし、会う頻度も多く、お互い学校も行ってないので昼間からカラオケに入り浸り(彼女は高校を中退していた)、帰り際には必ずと言っていいほどもっと一緒にいたいと私を困らせた。

最初は可愛らしく感じられたが、徐々にこれは程度が過ぎるのではないかと思うようになった。

それでも彼女との交際は2年に及んだ。

最期は私の方がなんとなく冷めていたし、別れ際には受験生とそうでない者の立場の違いが浮き彫りになり、彼女を振る形となってしまった。

友達に戻るなんてことはなく連絡を断ってしまうが、この5年後に通信制の高校を何とか卒業したとの報告を、Facebookのメッセージ機能で受けた時は自分の事のように嬉しかった。

これは彼女と付き合う前の話だが、フリースクールと並行して、不登校生が集まり演劇をするというサークルにも通った。

演劇を通して、自分を客観視する力を身に着けたいというのが一番の理由だ。

そこで2歳年上の統合失調症を患っている女の子と仲良くなった。

最初はなんの気なしにサークル外でも2人で出かけたり、こちらが家まで送り届けることもあれば、あちらはお弁当を作ってくれたりもした。

気付いたら恋人のような関係になっており、気が付くと彼女は私に好意をいだいてくれていた。

それと同時に、彼女が私に求めるものも大きくなっていった。

それが当時の自分には重かった。

演劇の本番が終わると同時に彼女との連絡を断った。

私は彼女から逃げた。

10年以上経った今でも実家に無言電話がかかってくることがあり、それが彼女であることを最近知った。

高校へスムーズに通えるようになったのは2年目からだった。

高校生活やアルバイトが忙しくなり、フリースクールは2年目で卒業した。

人生初のアルバイトは、15歳の時だった。

派遣に登録し、葬儀屋で花の片付けなどを依頼された。

家に帰ったら母親に塩をまかれたが。

長く続けられたらと思い、コンビニでアルバイトを始めるが、3ヶ月目に店長から「君は接客に向いていない。当たり前のことができない。」と指摘され、半年程度で辞めてしまった。

接客は未だに苦手なので、店長の言うことは正しかったのだろう。

それ以来、イタリアンや蕎麦屋のキッチン、派遣の倉庫内作業などの業種を選んだ。

また、制服を着ている同級生を見ると無性に腹が立った。

気付けば制服アレルギーになっていた。

劣等感の塊だった。

ただ高校では、現在でも活躍する某バンドのメンバー達と劇的な出会いを果たす。

詳細は次の記事で綴ることにする。

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