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ゆく秋やちりとり退けば塵の線/榮猿丸
ゆく秋やちりとり退けば塵の線/榮猿丸
掃けども掃けどもちりとりを退けばそこに塵の線ができる。作中主体はここにゆく秋を感じているのだ。
これは学生時代にも、家庭でも確かにあった光景。またその塵の線も掃こうと、ちりとりの向きを変えたりして何度も何度も箒を這わせたものだ。
掃き掃除にではなく、掃いた後のちりとりを退かした場所に残った一筋の塵の線に
「ああ、秋が行くなあ」と感じる。
あ、落葉を履いているのかも。
腰でも伸ばした時にふと吹いた風かもしれないし、秋の匂いかも知れない、でもそのきっかけ、ゆく秋や、に気づいたのは退けたちりとり後に残っていた塵の線なのだ。
何度も師の俳句について書いている事だが、この小さな些細な誰もが経験しているであろうそして、決して句にすることさえなかろうミクロを掬い取る。これは、師、榮猿丸の繊細さと天才的な感性なのである。
大きな素晴らしい景色、詩的表現はそこに圧倒的な存在としての当然の情景、状態が存在する。
しかし冒頭でも書いた、誰もが見ていてもさほど気にも留めないミクロな世界にスポットを当てる。当たり前の感動すらない場面に絶妙な季語を添えて作品にする。
この句を一読して玄関の掃き掃除を丁寧にした私は、改めて唯一無二の存在である師に感謝と偉大さを感じている。