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「オケバトル!」 55. 当然「指揮」でしょ


55.当然「指揮」でしょ



「指揮とコンマス、どちらになさいますか?」

 A棟の自室をさっさと引き払い、フロントに荷物を預け、楽器を手にBチームのリハーサル室へと赴いた有出絃人は、既に集まっていたBの面々から歓迎の挨拶もそこそこに尋ねられた。
 Bではヴァイオリンばかりでなくヴィオラの人数もかなり減っているようだからと、一応両方の楽器を携えてきた絃人。いずれかのパートの後方辺りでチームを観察しつつ徐々に馴染むつもりが、いきなり仕切り役の選択を迫られるとは。単にAを無力化する目的での引き抜き作戦ではなかったか。まさか自分が期待されてるとは。

「指揮ですか? それともコンマスがいいですか?」

 ヴァイオリンを手にしたベテラン風の男性が再度促してくる。威圧的といってもいいほどだ。もしよろしかったら、お願いしたいところなんですけれど、いかがなものでしょうか……、なんてへりくだった物言いをする気もなさそうなのは、人数激減の彼らが切羽詰まっていてゆとりもないから?
 いやいや、油断してはならない。自由に仕切らせておきながら本番で反乱を起こし、こちらに失敗させた上で責任をとらせて脱落に追い込む魂胆なのかも知れない。絃人は慎重に言葉を選びつつ、まずは拒絶モードで様子を見ることにする。
「気を遣ってくださるのはありがたいですが、ライバルチームから移籍直後の新参者なんですし、上手くいくとは思えない。遠慮しときます」
「有出さん、うちらはあなたを我がチームに招き入れるために、罪のないヴァイオリニストの尊い命が一名、犠牲になってるんですよ」
 今やBのヴァイオリンのリーダー格にして、有出絃人のお目付役を任された別所が、有無を言わさぬ勢いで彼に告げた。
「そこんとこ、ご理解いただきたいんですけどねえ」
「つまり指揮かコンマス以外に選択の余地はないと?」
 絃人は確認した。
「中間策でセカンドかヴィオラの首席ってのはどうでしょう」
「もう諦めて、覚悟を決めてくださいよ」
 う~ん、と絃人は思案する。ぐずぐず抵抗するのは性に合わなかった。では百歩譲って、
「課題の曲目と……、指揮をやるならコンマスが誰か、コンマスの場合なら、どなたが指揮されるかによりますかね」
 少々謎めいた有出絃人の返答に対して、
「アルル第二組曲の、メヌエットとファランドール」
 別所がてきぱきと続ける。
「指揮を選ばれるならコンマスを、コンマスをされるなら指揮者を、有出さんが指名して下さって結構ですよ」

《アルルの女》か! これは面白くなりそうだ。Bの演奏は折に触れて客席から観賞してきたとはいえ、個々の奏者の力量まではいちいち観察していなかったんだがな。誰を選べと言われても……。
 絃人は考えを巡らせた。
 仮に自分が指揮台に立ったとして、コンマスが裏切ればオケ全体の制御は難しかろう。逆にコンマスの座に就いたとしても、指揮者が無能ならどうしようもない。

「躊躇なんてしてる場合じゃないんです」
 別所がせき立てる。
「我がチームでもガンガン仕切って勝利に導いていただきたい、というのが、我々の切なる願いでして」
 オーケストラにおいては指揮者が絶対君主でコンマスはあくまで臣下の立場にすぎない。この未知のオケを効率的に仕切るなら当然、指揮を選択すべきと絃人の直感は語っていた。その上で、コンマスを信頼のおける忠臣に仕立てゆけばいいだろう。

「では、あなたがコンマスを。僕、振らせてもらいます」

 わあっと拍手が起きる。年齢層が全体に低めなのか、ノリが半端でない。歓声のトーンもこのチームの方が高らかで明るいようだ。

 今宵のリハーサルは舞台にて行われる。Bチームは先攻を選んだので、逆リハということでAチームが先に舞台に乗るという流れ。
「それは正解でしたね」
 舞台リハまでに打ち合わせの時間を少しでも稼げる。絃人は楽器庫から借りっぱなしの、ほぼ私物化したも同然の指揮棒、PK55をヴァイオリンケースから取り出した。
 一曲目の〈メヌエット〉は、主役のフルートに伴って細やかな彩りを添える要のエキストラであるハープもサキソフォンも、この場にはおらず。フルート女性の音楽センスが最重要の鍵となるが、こちらは個人レベルでどうとでも調性できよう。
「先に〈ファランドール〉から通してみましょう」
 まずは互いの腕試し。このオケの感触を把握するにはもってこいの曲ではないか。

 ビゼー作曲、ギローの編曲による《アルルの女》第二組曲の終曲〈ファランドール〉では、プロヴァンス地方の長太鼓タンブーランが民族舞曲の短いリズムをひたすら繰り返し、主役級の活躍を見せる。
 先の〈ボレロ〉で、小太鼓を延々休みなしで叩き続けたパーカッション奏者に続けざまに課せられるプレッシャー。先に〈ファランドール〉をやっつけて、〈メヌエット〉の間、パーカッションを少しでも休ませておこうとの絃人の配慮もあったが、当の女性奏者はどこ吹く風で、タンブーランなんて珍しい楽器だから当然、舞台リハで初めて触れるだけで、自主練や事前リハでは他楽器による代用を強いられると思いきや、地下のリハ室にも周到に用意されてるなんて、ずいぶんご親切な配慮だこと、と感心することしきりの様子。

「管も大分抜けちゃってるんですね」
 まずは編成を確認する絃人。
「でも大丈夫。《アルルの女》って、劇音楽として初演された際、ビゼーはたった26人の編成でこなしてるんですし」
 と、皆を安心させるように言った。
 とはいえ、今回の組曲版はビゼーの素描を元に、彼のオーケストレーションの特徴を尊重しつつ、親友ギローが原曲を遙かに超越した独自の楽曲として絶妙アレンジを施しているわけだから、初演時の少人数編成云々なんて実は関係ないのだが、それくらいは誰もが知っているだろうと、余計な言葉は語らないことにする。

「手元にスコアをお持ちの方は?」
 誰も手を挙げず。
 絃人は落胆しつつも冷静に皆に釘を刺しておく。
「とにかく人数が少ないんですし、スコアどおりの編成を再現するのは不可能なんですから。課題曲が発表された時点で、明らかに編成が足りない楽器は、スコアやパート譜とにらめっこして、音の取捨選択をあらかじめ検討しといて欲しいんです。まずは自分で判断して、必要な音を調性して、バランスが変だったらリハで互いに指摘し合えばいいんです。他の楽器に代用してもらうとか、逆に音を消し去るとか。ここのライブラリーにはスコアもパート譜も、いくらでも余分があるようですし。まあ、様々な版があるから、配付される楽譜とは多少の違いはあるかも知れませんが。時間は限られてるんですし、たまたま前に立たされた指揮者なんて当てにしないで」
 新参者という身分も忘れ、一気に説教してから気を取り直し、では手短にと、課題曲の編成を決めていく。
「ホルンは三人だけなんですね」
 のどかすぎる藤木のどかさんが、〈オランピアのアリア〉の指揮で脱落したので。
「木管四つと、金管は、ラッパが二、ホルンとトロンボーンが一台ずつ足りないわけか。とりあえず全体バランスを予測して、各楽器どのパートを諦めるか、あるいは二種のパート譜を並べて必要に応じてチェンジして。フルートは持ち替えナシでピッコロに専念するしかないですね。では、行きますよ」
 え? まだ奏する箇所を決めてないのに? ちょっと待ってくださいよ~。と、皆は慌てるも絃人はお構いなしにタクトを構える。
「響きの調整は舞台でできますから。今はテンポや方向性の確認ということで」

 最初のひと振りで、そのオーケストラの性質は大概分かるもの。

 これは音色だとか、技術レベルだとかのオーケストラ独自の個性や魅力といったもの以前の性質の問題であるが、単純に分けたとして、指揮者のタクトに対する反応が、「速いオケ」と、「遅いオケ」とがある。棒の動きとほぼタイミングが一致する音の出と、ワンクッション置いて時間差で音が出される場合と。プロオケの多くは後者のスタイルが主流で、アマオケは前者の方が上手くいく──あるいは前者のようにしか演奏できない。
 加えて、指揮者の要求を瞬時に呑み込んで音に表す「軽いオケ」と、反応の鈍い「重いオケ」、というのも大きな特徴のひとつである。これは一種の空気抵抗のようなもので、まあ、曲にもよるのだが、軽めのオケの場合、指揮者は何ら力まずともそよ風を操るかのごとく音楽を自在にコントロールできるが、重いオケだと指揮者は強風に逆らって歩みを進めているようなもの。余分な力を必要としてヘトヘトになる。
 この曲の冒頭のテーマ、「三人の王の行進」のフォルテシモによる全合奏で、うっと絃人も気づいた。

──違いすぎる──。

 折に触れて客席からは観てきたものの、Aオケとのあまりの違いに愕然とする。極端なまでに違いすぎる、この連中の、棒のタイミングに対する反応の速さと、そして従順すぎるほどの軽さに。軽すぎるせいか、こちらの要求をもはや通り越してどんどん先走ってしまうではないか。
 でありながら、コンマスを筆頭に弦も管も、ほぼ全員がやたら身体を動かしすぎる様子が、無用な動作を極力抑えるスタイルの絃人にとっては、どうしても矛盾に満ちたオーケストラめいて映ってしまう。音量バランスはめちゃくちゃだし、どんなに制御しようと走ること走ること。通してみるなんて言わなきゃ良かった。と後悔しても後の祭り。ダメダメダメ! 何やってんですか、まったくもうっ! と、途中で幾度も止めたくなるところをぐっと抑え込んで、どうにかラストの大団円まで行き着くことができたものの、これはどうしたものか、指揮を選択したのは大いなる過ちだったのか?

 たった三分半という短い曲ながらも、重厚さと迫力、あふれる活気に緊迫感を伴った勢いの奔流と、非常に手応えの感じられる曲だけに、皆、満足しきった様子で頬を紅潮させ、誇らしげに目を輝かせている。

 何と単純な連中なんだろう。

 しかしこれがBチームの特色なら、それを活かしてこそ最高の演奏を導けるのではなかろうか。枠にはまった優等生型のAでは到底できそうにないミラクルな瞬間が、このオケでは起こり得るかも知れない。短時間でどれだけ仕上げられるか……。




56.「抑えてこその魔法の瞬間」に続く...



★ ★ ★ 〈ボレロ〉で脱落の追加人物 ★ ★ ★

Bチーム Vn. 「あの子が欲しい」ルールによる有出絃人引き抜き作戦の、「この子はいらない」名もなきギセイ者

Aチーム Va. 初敗北による貧乏くじの、名もなきギセイ者




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