「オケバトル!」 2. 殺人バトル、あるいは椅子取りゲーム ②
2. 殺人バトル、あるいは椅子取りゲーム ②
「質問!」と、客席から声があがる。
「今後の課題曲ですが、楽譜は、事前に頂けるんですか?」
空気の流れが変わったことに安堵しつつも、司会の宮永鈴音が慎重に言葉を選ぼうとしている様子に、主導権を握っていると思われる年配の男性スタッフが上手からすたすたと現れ、代わりに答えた。
「曲目は毎回、リハーサルの直前に知らされます。大概はリハーサル室の入口にパート譜が用意されますが、時にはあなた方のお部屋のドアの下から夜中にそっと楽譜が差し込まれる、なんてこともあるかも知れません」
そこで軽い笑いが生じるが、
「その場合、各パートの席次は主催側による指定となります」という続きの言葉。
笑い事ではなかったか、と場内に緊張が走る。
オーケストラの場合、楽器ごとの首席争いは熾烈を極め、ともすれば永遠に首席の座を得られず二番手のまま、ということもある。そうした者は、目の上のたんこぶである首席の「引退」、あるいは「死」を、心の底から願っていたりするから恐ろしい。
このバトルにおいて各楽器の席次は、コンサートマスターも含めて各チーム内で決める暗黙のルールであったが、誰もがそのことに関しては話題を避けていた。椅子取りゲームのごときに、その場になったら自分が有利な席をとっさに陣取れば良いのだと。
「加えて申し上げますが」
先の責任者の男性に促され、司会が注意事項の説明を続ける。
「いかなる理由があろうとも、脱走者はもちろん失格です。脱落者以外、つまりオケメンバーとして生き残っている限り、この館から抜け出すことはできません。音楽家としてのキャリアにかかわる重要な仕事が入ったとしても、です。このバトルを、番組出演を優先して頂きます」
そのためにオーディションは皆が仕事の調整ができるよう一年も前に行われ、合否の結果も迅速に発表されたのだった。
まあ、その辺りは応募要項に明確に記載されてましたよね、と大方の説明が締めくくられる。
「さあ、バトル開始です!」
宮永鈴音が高らかに宣言し、巨大なさいころが舞台に持ち込まれた。
「奇数が出たらAチームの先攻、偶数ならBの先攻になります」
果たして~? と司会者が見守る中、スタッフがさいころを転がす。結果は「2」であった。
「Bチームの先攻!」
司会の発表の声に、Bの男性メンバーの何人か──主に金管連中──が、「よしっ」と気合いの声を上げる。実は先手か後手、どちらが有利かは状況によるのだが、Bとしては、とりあえずはヤル気満々の反応を見せつけておく必要があった。
「今夜に限って、リハーサルは直接、舞台で行われます」
それは初めて演奏するホールにおいて必ず行われるべき音響チェックや、配置決めへの配慮からであったが、そうしたことも勝敗を決定づける重要なヒントになってしまうので、舞台リハーサルの理由は明かされない。自身の演奏のみに集中しようとするのでなく、常に全体を把握し、音響や音量のバランスを見極めることのできる有能な人材が、どのくらい各チームに存在しているかどうかを、主催者は把握しておきたいのだ。
「舞台袖の下手側、つまり舞台に向かって左手ですね。こちらはAチームの領域で、上手、つまり右側は、Bチームの領域とします」
既に課題曲のパート譜の乗った譜面台や、椅子が舞台袖に用意されてあるが、セッティングは、チーム内で配置を相談の上、各自で迅速に行うよう説明がなされる。
「とはいえ、逆リハになるので、まずはAチームが舞台を先に使ってください」
「逆リハ」は、最後にリハーサルで舞台を使ったグループが、そのままのセッティングで本番に臨める、手間も時間も省ける無駄のないシステムであった。
「つまりリハーサルはAチームからですよー。持ち時間は1時間きっかり」
1時間! 参加者に動揺が走る。寄せ集めオーケストラの初顔合わせで、しかもリストの名曲を? ありえない。たった1時間で何ができると言うのだろう。
「今後のルールとして、互いの本番を見学するもしないも自由ですが、リハの見学は一切できません。なので皆さん、いったんこのホールから退出なさってください」
その間、どこでどうしていろ、との指示はあえて出されない。待機時間をどう使うかも、各チームの勝敗に関わってくる重要な鍵となるのだったから。
Aチームのリハーサルは6時半から開始との指示。
さあ、誰がどうやって仕切る? などと遠慮し合っている場合ではなかった。客席に集合した時点で周到に楽器を持参していた者はぞろぞろと舞台の下手に移動し、手ぶらの者は自室に楽器を取りに戻るべく、ダッシュする。
まずはオーケストラの配置をどうすべきか。十分後の6時半きっかりには譜面台や椅子を持って舞台に乱入、自分たちで定めたセッティングに従い、すぐさま音出しができる状況にしないと命取りなのだ。
「弦楽器はひとまず平行配置でいきましょう」
有出絃人がまず口を開いた。
「今後どうするかは別として」
どうして? 両翼配置の方が洗練されてるのでは? 弦の面々から疑問の声が上がる。
ヴァイオリンのファーストとセカンド、二つのパートが指揮者を挟んで両翼に分かれて向かい合う形の両翼配置に比べると、両ヴァイオリンが下手側に平行に肩を並べる平行配置は統制がとりやすく、学生やアマチュアのオーケストラは圧倒的にこのスタイルが多い。こうした寄せ集めオーケストラでも、またしかり。
「〈レ・プレリュード〉だからです!」
苛つきながら絃人が押し切る。
なぜって、この曲、ファーストもセカンドも始終ほぼ似たような動きに書かれてるので──オクターブの違いだけでなく、まったく同じ譜面をなぞらえるシーンもあり──、隣り合っている方が断然合わせやすいし、音響面でも効果的。
まったくもう、曲を知っていれば当然分かるはずなんだけどな。
「説明してる暇はないんで。とにかく弦はこれで」
反発は覚悟の上だ。
木管は定番の配置があるので問題なかろう。金管に対しては一家言あったが、ここは百歩譲って当事者らの判断に任せることにする。
「時間になったら迷わず舞台に席を置けるよう、管打の方々は今、この場で配置を決めといてください」と言いながら、
「万が一、もめそうな場合は、自分に仕切らせて下さっても構いませんけど」
と、一応控えめに付け加える。
そうした間、この舞台袖では誰もが冷静さを装いつつ、実は必死でパート譜の乗った自分の譜面台を探しだし、首尾良くゲットするのに殺気立っていた。
椅子取りゲーム改め、譜面台取りのバトル。
一つの譜面台を二人で共有してプルトを組む習わしの弦楽器の場合は、同時に手を伸ばした者どうし互いに顔を見合わせてにっこり。仲良くその場でペアを組む。ただし気になるは、二人のどちらがプルトの外側か、内側になるか。内側の者にはちょい面倒な譜めくり役が課せられるので、にっこりの笑みの陰には「自分が表だから」といった威圧のニュアンスが隠されていたりするから油断がならない。
管楽器の争いは更に熾烈を極める。
主旋律や重要なソロが回ってくるのはほぼ一番手のみで、中間音が主体の二番手以下とでは、実力発揮のチャンス、活躍の度合いにかなりの差が出てくる。何が何でも首席の座は勝ち得なければならないのだ。
部屋に楽器を取りに戻っていた者は、舞台袖に到着した時点で自分が初っぱなから出遅れちまったことに気づくが、後の祭り。首席の譜面は既にライバルに入手されていたり、タッチの差、目の前でかっさらっていかれたり。トイレに寄るんじゃなかった、鏡で身だしなみチェックなんてしている場合じゃなかった、と心から後悔する始末。
中にはワンテンポ遅れをとりながらも、正々堂々と年功序列を振りかざす強者がいたりもするが、基本は早い者勝ち。
どちらが上手いか、といった配慮の必要はなかったし、遠慮していてはバトルに生き残れないと誰もが認識していた。
3.「して、指揮者はいずこに?」に続く