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「オケバトル!」 88. シューマニアーナの使命


88.シューマニアーナの使命



 両チームの特色を考慮して決定したばかりのプログラムを、全交換せよと?

 新たな審査員である森脇遊の、意地悪な横暴ぶりにバトラーの一同は呆れるばかりか、底知れぬ怒りに、恨み、憎しみまでが湧き起こる。

「遊さん! AとB、チームそれぞれが持つ独自の魅力を最大限に活かして決めたんですよ?」
 仲間を代表して、有出絃人が今度こそは意気を申し立てる。
「あなたは両チームの演奏も聴いてないでしょうし、特色もご存知ないのに、どうして総入れ替えなんて、勝手に決められるんですか!?」

 Aチームには音楽家の家系出身の、いわゆる2世、3世といった、ある程度方向づけられた道を当然の如く堂々と歩んでいる者が多い。たとえ寄せ集めオーケストラであろうとも、彼らの演奏は整然と整い、大地に根差したような一糸乱れぬ心地良い正確さ、安定さが魅力でもある。
 片やBチームは、有出絃人のように趣味として音楽を愛する家庭環境に育ち、自ら好んで楽器を選択し、音楽を心から楽しもうとする意欲に満ちあふれている者が大半であった。奏される音楽は生き生きと輝き、新鮮な感動が呼び起こされたり。優れたリーダーがいなければ大破綻の危険と隣り合わせでありながら、奇跡的な名演が生まれることも。

「聴かなくたって分かりますよ。AかBか? 赤か緑? 番組の狙いどおりのチーム分けじゃないですか」
 非難の視線を一身に浴びつつも、森脇は何ら動じることなく淡々と話す。
「僕、両チームの『実力』を最大限に引き出すことって言ったんですよ? 『魅力』とか『特色』とかじゃなくて、『実力』。真なる力、ですよ? 分かります?」

 たら〜。
 何か恐ろしく冷ややかなものが、抗議の主である絃人を始め、一同の心の中を支配してゆく。

「互いが単に取り組みやすい曲を選んでどうするの? これ、バトルなんですよ? 無謀とも思える選曲に果敢に挑んでこそ、更なる実力が、隠された底力が引き出されるんじゃないの?」

 このピアニストが、決して気まぐれで我々に試練を突きつけてくるのでなく、本気で勝負をかけているのだと思い知らされる。

「明るく元気、晴れやかなライン河の雄大な流れ? 確かにBチームが奏したら、そんな風にストレートに伝わるでしょうね。だけどシューマンは、ラインへの愛や憧憬だけでなく、畏敬の念すら抱いていたはず。それこそ、計り知れない。
 まあ、誰が振るかにもよるけれど、単純明快なBよりも、生真面目なAチームだったら、そうした深く崇高な精神が引き出せるんじゃないかとね。
 逆に2番のシンフォニー。Aが奏したら、わーいい曲! シューマンって、いいなあ! で終わりかも知れないけど、Bだったら、そこに音楽の持つ、計り知れない感動や喜びがもたらされるのでは? それこそ、両チームの真の実力が際立つことで、シューマンの音楽の本質も明確に見えてくるんでないですかね?」

 侮れまいぞ。森脇氏。

「おっしゃるとおりです」
 天下無敵の有出絃人も、もはや降参するしかなかった。深いため息をついて暴言を謝罪する。
「すみませんでした」

 あのクールな拒絶男、有出絃人が謝った!?
 なんか、いきなり体育会系のノリですか?
 誰もが我が目、我が耳を疑うが、当然と言えば当然のこと。
 不信感や不満を抱えた一同の思いを代弁してのこと。1人責任を背負い込んでくれた彼に、皆も反省しつつ敬意を払うのだった。
 なんか有出さん、知り合いだからって、えこひいきどころか、かえって厳しくされちゃってるみたい。みんな賛同してのことだし、彼だけの責任ってわけじゃないのにね。
 そう。我々だって......。

「有出さんじゃなくて、我々皆で決めたことでして、失礼しました。認識が甘かったです」
 今やAチームの上之忠司が言い出し、
「マチネ公演はBチームに決まりって言い出したのは自分ですし、安易な発言でした」
 決めのひと言を提案した稲垣が後に続く。
「候補の曲が上がった時点で、よし、やりましょう! って、うちのチームからどんどん声が上がって、当然の如く」
「〈ライン〉やピアノ系は自分たちが......って、すんなり決まっちゃったんです」
 Bチームの別所や浜野も説明を添える。
 
「はい。分かりました」
 半ば呆れた調子で、森脇もすっぱり謝罪を受け入れた。
「楽しいサークルのノリなんかじゃなくて、プロ集団として本気でお願いしますよ」

 あーあ、叱られちゃったし、出足くじかれちゃった。何だかこのピアニスト審査員、委員長の長岡さんより相当なうるさ型かも。と、一同うなだれ反省しつつ、気を引き締めてゆく。

「じゃあ、あとはよろしく。僕、安心してもうちょっと弾いてこようっと」
「遊さん、ちょっと」
 収録の続きをすべく、再びホールに向かおうとする彼をさっと追いかける有出絃人。何を弾くのか非常に気になるところであったが、聴きたくなってしまうだろうから尋ねるのはやめておく。
「Aのメイン、イ短調のピアノ協奏曲は、弾いて頂けますよね?」
 皆にはあまり会話が聞こえないよう、そっと確認する。森脇が彼らの前ではあからさまに言動を変えてくるのを知っての配慮であった。
「んー。どうかな」
「僕、協奏曲断章の方、弾きますから」
「分かった。百歩譲ってどっちかは、じゃあ弾くとしても、一応、両方とも練習しといてね」
「了解です!」
「まあ、きみのことだから、練習しないでぶっつけ本番でも、2曲ともいけちゃうんでしょうけどね」

 それは遊さんこそでしょう? と、絃人はこの先ホールで奏でられるであろう森脇遊のシューマンの世界に想いを馳せた。

「申し訳ないんですが、今回パーカッション、全く出番ないんですよ」
 皆の前に戻った絃人は、改まって打楽器奏者の2人にすまなさそうに詫びる。
「あと、トロンボーンも2番の交響曲だけなので、出番ない方々、立ち位置考えといて下さい。まあ、トロンボーンは足りない楽器を補うってことになるんでしょうが」
「1曲でも舞台に乗りさえすればオーケーってことでしたら、譜めくりでも良いですかね? クインテットのピアノパートとか」
 Aチーム、パーカッションの平石昇が確認する。指揮だけは絶対にできないという意思表示でもあった。
「助かるかも」
 実はその曲も暗譜でこなせる有出絃人であったし、譜めくリストにヘマをされたら嫌なので基本、譜めくりも自分でする主義とはいえ、出番がないなら仕方ないと、一応感謝の素振りを見せる。
「解説トークは入れないんですか?」
 今度はBチームのパーカッショニスト、谷内みかから質問が。こちらも、指揮だけは絶対するまいという意思表示。
「入れたいのは山々だけど、1時間の中にお話って、時間もったいないので、今回は演奏の映像にテロップで解説を流してもらおうかと」
 例えばパーカッショニストは当然ティンパニも叩けるので、従来のティンパニ奏者と交代で舞台に出て頂くとか、何かしらの策はありそうだが、そうしたことはチーム内で話し合ってもらうべきと、絃人はこの場では言及しないことにして、すみませんね、と谷内に申し訳なさそうな素振りだけ見せておく。
 そしてテロップ用の楽曲解説は、全て自分が書くつもりでいた。自分にしか書けない、自分ならではの解説を伝えたいと意欲を持って。

「じゃあ僕、楽譜調達してきますので、Bチームは30分後、リハ室に集合して下さい。Aチームは午後から音出ししますので、それまでに〈協奏曲断章〉のパート譜の写譜、仕上げといて下さいね」
 絃人がそこまで言ったところで、ちらっと不満の声が聞こえてしまう。
「ホントは写譜、Bがやるはずでしたよね」
「やろうじゃないか。って、元気に言ってましたもんね」
「やっぱり我らが写譜しなきゃならないわけ?」
「言い出しっぺのBがやってくれれば良いのにね」
 有出絃人は優秀な演奏家の例に漏れず、感情のコントロールにとりわけ長けていて、滅多なことではカチンときたりしないのだが、今回ばかりはブチ切れた。
「聞こえましたよ」
 それでも決して、怒りをあらわに激昂したりはしない。
「お偉いAチームの皆さん方は、写譜なんて範ちゅう外と?」
 だから尚更おっかない。
 絃人は冷静に命令した。
「ならば貴重な経験ですし、未知なる曲をしっかり把握して頂く為にも、各自、己の楽器以外のパートを写譜して下さい」

 えーっ!?
 そんなのヒドい、ヒド過ぎる!
 記号だって、ト音やへ音ならまだしも、ハ音記号とか慣れてないと、やたら時間かかっちゃいそうだし。
 あ〜あ、チームから離脱で、有出さんもあちら側、番組側の横暴人間と化しちゃったか。
 有出よ、お前もか?
 絃人さ〜ん、あんまりですよ〜。

 というAの面々の心の悲鳴を無視して絃人は続けた。
「その方が、潜在意識レベルで曲に馴染めるし、よそのパートが何してるか把握できますし、一石二鳥、三鳥ですもんね!」

 Bの人たちは「マヌケなAの奴らめ」と、腹では笑いつつ、ここで「してやったり」なんて表情を見せると妙なとばっちりが回って来そうなので、涼しいポーカーフェイスを一生懸命保つことにする。
 対するAチームに多岐川勉から回された小型版スコア。
 まったく。一部のバカ連中が余計な文句言ったせいで、とんだとばっちりだわ。
 まずは拡大コピーをパートの数だけコピーして......、とAチームのメンバーは、諦めて写譜の手順を考え巡らしゆく。
 昨夜の段階で、バトラー全員がスマホやパソコンを再び取り上げられたとはいえ、実のところ、事務室のコピー機同様、ネットさえ使わなければ、状況次第でパソコンも自由に借りられ、スキャンしたスコアをパートごとに振り分け分解して、プリントすることだって可能であった。
 しかしそんな風に便利な作業ができるなんて、そんなことをしても良いなんて、誰1人思いつかず。
 しかも誰がどのパートを写譜するのかといった、有出のせいでややこしくなった写譜の割り振りを誰が仕切るのか、五線紙に手書き? それともコピーを切り貼りで良いの? 鉛筆で良いのかね? それともペンでなきゃダメかしら? 出番のない者も当然手伝わなきゃな。作業はどこで? 各自の部屋? 皆でカフェで顔付き合わせて? リハ室にテーブル並べようか? といった、あれやこれやに翻弄される羽目となる。
 有出さん、かつては心ひとつに共に闘った同志だったのに、Bに移ってからは完全に敵モードだし、今度は鬼アザミ級の意地悪を仕掛けてくるなんて。

 古巣のAチームからは二重裏切り者のレッテルを貼られてしまうも、当の本人は嫌われ役は全く平気な人間どころか、むしろ嫌われたがり屋でもあるほどだった。不満の集中砲火を浴びようと、どこ吹く風。楽譜宝庫のライブラリーで、
「あった! やった! 良かった!」
 アンコール用にと目論んでいた、シューマンの小品の、お目当てのアレンジ・スコアを見つけて、1人大喜びしていた。ラストの曲をこれで締めれば、シューマニアーナとしての使命もまっとうできるというものだ。

「絃人さん? 楽譜、運びますよ」
 トムくんを筆頭にBチームに所属する数人の男性が、キャリーカートをガラガラ押してライブラリーに助っ人で現れた。
「僕たちでやっときますから、絃人さんはスコア見られるなり、ソロを練習されるなり、時間、大切になさって下さい」

 Bチームが奏する、
 ヴァイオリン協奏曲、
 第2番の交響曲、
 アンコール楽譜。

「じゃあ、こちらはAのリハ室に運んどきますね」

 Aチームの、
 〈ライン〉第1楽章、
 歌曲集《ミルテの花》より〈献呈〉、
 ピアノ五重奏曲 第1楽章
 ピアノ協奏曲 イ短調。

 気のいい面々は、ライバルチームの楽譜までも、何の疑問も持たずに運んで差し上げるのだった。



89.「シューマニアーナの試練」に続く...

♪ ♪ ♪ 次週予習の為の厳選動画をご紹介 ♪ ♪ ♪

Schumann: Klavierkonzert a-Moll op. 54
Justus Frantz
Wiener Philharmoniker
Leonard Bernstein
Oct. 1984, Musikvereinsaal, Wien

シューマンのピアノ協奏曲Op.54を 森脇遊が弾いたら、98%このような感じになります。
ラストのチラ見(29:50〜)、ほんの 2分30秒だけでも、ぜひチェックして頂けますと、とてもとても嬉しいです♡

※ コメント欄に補足「シューマニアーナの独り言」アリ



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