「オケバトル!」 80. 透明な音楽の意外な効果
80.透明な音楽の意外な効果
「そもそもファーストのせいだけにするってのも、どうかと思うんですよね」
今回、初のコンサートマスターが回ってきた男性による、指揮の有出絃人への意義申し立てが続いてゆく。僅かばかりの先輩風を吹かしつつ。
「三小節目からセカンドが加わるとこで、一気に重く引っ張られるような気がしますしね」
そう言って、今度はセカンドヴァイオリン首席の若手女性をチラリ。
ファースト全体じゃなくてコンマス一人がつまずきの張本人で、彼のセンスの足りなさこそが要因と、本人、気づかないのかね? 当のファーストヴァイオリンの面々も含めた大方が感じるも、まだそれを指摘できる段階ではなかった。あからさまな失態を演じていただかない限り、彼をコンマスの座から引きずり下ろすのは、まだに難しかろう。
「あくまでも主旋律を引き立てるよう、音量も極力抑えているんですけどね」
とは、むかっときたであろうセカンド首席。分からんちんのコンマスおやじに罪をなすりつけられまいと、地声より低く強い声色で凄みを利かせて抗議する。
「あくまでも軽く。入ったことすら気づかないくらいに。聞こえなくても潜在意識にはきちんと響く。そんな具合に調整して入ってるんですよ? 引きずるどころか、むしろメロディーを軽く押し上げるくらいの気持ちで。セカンドのそうした役割とか心意気、あなただって、このバトルで何曲もセカンド担当してるんだし、そのくらい当然分かってらっしゃると思うんですけどね」
うんうんと、大きくうなずいて同意するセカンドの面々。コンマスの野郎、我らに責任転嫁しやがるとは。まったくもって、器じゃないね、コンマスの。
プロオーケストラの場合、ヴァイオリンは最初から、ファーストかセカンドかを決定の上での入団が基本。なので今回のようなバトル期間中、パートの入り乱れは奏者も混乱気味となるのだが、他の楽器から見れば、入れ替わりなんて大したことないと思えてしまうもの。そこで外野の管楽器陣から奇抜かつ無責任な提案が出されるのだった。
「この際、ファーストさんとセカンドさんを、丸ごとチェンジってのはどうでしょね?」
「首席ごと? つまりコンマスも入れ替わるってことですか?」
今回コンマス氏の力量に疑問を感じていた高みの見物の面々は即、嬉しそうな反応で同意の姿勢。対する猛反対は、すべてのヴァイオリン族。
「嫌です」
「そんなのムダですよ」
「この30分、譜面をさらってたってのに?」
矢面に立たされたセカンド首席も、いきなり我が身に回ってきそうなコンサートマスターの責務には及び腰で、
「総入れ替えしたからって、うまくいくとは……」
と、口ごもる。
じゃあ、ちょっとセカンド首席さん弾いてみて、という言葉を絃人は何とか呑み込んだ。彼女がすらっと弾けるとも、あまり思えなかったから。頼れる別のコンサートマスターを見つけるしかないのだが。
「たったの四小節といえども、この曲のすべてが、ここにかかってるんです」
という指揮者に対し、らちが明かないと踏んだコンサートマスターが、ぴしゃり。
「そもそも全部あなたの好みの話ですよね?」
いよいよ抵抗も大胆になってゆくようだ。
「ここは思い切りヴィブラート利かせてたっぷり歌って……、優雅なアプローチだってあるわけなんですし」
そうだそうだと口に出すまでもなくも、せめてうんうんといった応援のうなずきを期待して周囲を見回すが、皆は固まっているだけの無反応なので、更に続けていく。
「むしろそうしたほうが、なんかぶっきらぼうに淡々と弾くより、こういった音楽番組では演出として受けるはずでは? 審査員にも、視聴者にも」
そういう話になってきたか。ああもう、どんどん先に進めてかなきゃならないのに、ヴァイオリンのとこだけで、こんなに手間取ってしまうとは……。半ば苛つきながら見守る一同は、コンマスさんに同意どころか、「受け狙いなんて言語道断。音楽家がそうしたことを考慮し始めたら、もはや終わりですよ」と、我らが有出絃人がぴしゃりと制する展開を予測するが、
「そうだ!」と、当の絃人はコンマス氏の抵抗のぼやきが全く聞こえていなかったかのように、と、ポンと手を叩いて提案する。
「ヴァイオリンばかりに任せてないで、手の空いてる皆さんも呼吸を合わせて歌っていただけますか?」
ええっ、なんで?
歌っちゃうの? いいんですかね?
いや、意表を突く演出は斬新で面白いかも。
といった一同の反応に、
「もちろん心の中で歌うってことです。音は出さずに。初っぱなのリスト、〈レ・プレ〉でも皆でトライしましたよね?」
やってませんよ。
うちら指揮者、立てなかったしね。
我がチームが負けた最初のバトルではないか。敵さんは、そんな風に工夫を凝らしてたって訳でしたか。ふうん?
とたんに流れるしらけた空気に絃人も気づく。
「ああ、前のチームの話でした。失礼」
「そうなんです! 冒頭の、ヴァイオリンのピッツィカートが中々揃わなくて」
そこで移籍トランペッターの春日拭子が手を挙げて割って入った。
誰? 何者? ああ、昨日の助っ人さんか。そういえば彼女、上之のおやじさんと入れ替わったんだね。と、一同改めて気づくも、冷ややかな反応は変わらない。
「初顔合わせってこともありましたけど」
新参者が思わずしゃしゃり出てしまったが、Aチームの技量の足りなさを印象づけてはいけないと、とっさのひと言も添えてから、拭子は高めの早口で話を続けていく。
「私たち金管も、ただ何も出来ずにじりじりと、そう、今のこの状況みたいに『早く先に進んでよ』って、少しは苛つきながら傍観するばかりだったんですが、でも、有出さんが、『演奏してない者も一緒に、皆で呼吸だけでも合わせてみましょうよ』って。半信半疑でしたけど、とたんに上手くいったんです」
そこでコンサートマスターからの、一応は冷静な横やりが入る。
「しかしですよ、最初が肝心だとしても、すぐに音はオケ全体に広がっていくんだから、他の皆さんだって、最初から棒に合わせてリズムを刻んでるんじゃないですか? 当然、呼吸だって合わせてたはずで」
今更そんな、何ですか。という呆れ面のコンマス氏であったが、お堅いAチームに比べて遙かにノリのいいBの面々だったので、
なら、やってみましょうよ!
どうします? 心でハミングする感じ?
それとも各自、己の楽器を奏する気分で?
と、コンマス意見は完全無視で話は進む。
どちらでも、自由で良いです。という指揮者に応え、一同、リズムを掴むだけでなく、ファーストヴァイオリンのメロディーと一緒に、大いに真剣に心の中で奏してみる。
「何だか余計におかしくなったかも」
指揮者の言葉に皆がっかり。せっかくうまくいくかと期待したのにね。
「張り切って高らかに歌ってみせなくていいので。ただ淡々とさらっていただけます?」
再度試みるも、簡単には上手くいかない模様である。
「いっったんファースト抜きで。セカンドは途中から普通に入って」
容赦なき指示に、コンサートマスター率いるファーストヴァイオリン陣の形相が蒼白になるが、お構いなしでタクトは振られた。
「うん! いい感じ」
これがAチームだったら、
「嘘だろ?」
「冗談ですよね? 有出さん」
と、指揮者の精神状態が疑われたかも知れないが、何しろここBリハなのだ。呼吸を合わせた一同も妙に納得してしまう。
その場に居合わせた撮影チームは、透明人間ならぬファースト抜きの透明音楽が意外にも指揮者の評価を得られたことで、あまりのばかばかしさにあっけにとられるばかり。過激なバトルが謎めいたスピリチュアル番組に転じてしまったか。
リポーターの宮永鈴音には、そうした感覚が分からなくもなかったが、コメント次第では自身の精神性も疑われそうなので、この場は黙して成り行きを見守ることにする。
こうなってくると、もはや当のコンサートマスターに残された道はただひとつ。
「分かりました。指揮者と方向性が違う以上──」
ため息交じりのあきらめ口調で、ゆっくりと彼は立ち上がった。止めるのなら、どなたか引き止めてください、といった未練も少しは残しつつ。「というか、矛盾な要求が理解できない以上、降りるしかありませんね。指揮者が、ではなく自分の方が」
指揮者に百歩譲るかのように見せつつ、実は自信のなさからの逃亡計画であるとは誰も気づくまい。プロオケどころか、アマオケですらコンマス経験が皆無であったため、もはやはったりは通用しまい。バレる前に潔く辞退という即席の筋書きであった。
しかし自分も今からセカンドに回って曲をさらい直すのは嫌だったし、総入れ替えの案は、ヴァイオリン仲間のためも却下せねばと、とっさに別な案を画策する。
誰か別のコンマスを……。
別所と目が合いそうになるが、いや、奴はダメだ。と、すぐさま却下。明らかにコンマスの器すぎる。自分との差が歴然としてしまうのは避けねばならない。既に名も知れて仲間からの信頼も厚いが、見た目はペーペー感がなくもなく、自分の後釜にちょうど良さそうな人物は……? いたいた。
「ウィーン辺りの空気に強そうな浜野さんなんか、コンマス、どうでしょう?」
恰好の標的を見いだし、彼は爽やかな態度で名指しした。
今回もまた、指揮もコンマスも首席もさせられることなく、名もなきトゥッティ族に埋没できるのだと、ファーストヴァイオリンの後方に溶け込んで安心しきっていた浜野亨。
いきなり前置きなしに自分の名が出され、えっ? 何? またしても重圧が降り注いで来るわけ? ダメダメ、絶対に席を移動するものかと、身を固くして楽器を握りしめながら、とっさに免れ案を出す。
「我々ヴァイオリンが出だしを一人ずつ弾いて見せて、有出さんの意図に一番ぴったりの人がコンマスを務めればいいんですよ」
言った瞬間、もしかしてヤバい? と思った浜野亨であったが、後の祭り。
じゃあ、まずは言い出しっぺの浜野さん、どうぞ! と、当然の流れとなってしまう。
「端から順番でいいでしょう」
「言い出したんだから、責任持って見本示してよね」
周囲の強面年輩女性陣に半ば強制的に促され、亨はやむなく楽器を構えるも、わざとしょぼく弾こうか、いやいやしょぼい弾き方にだってセンスが必要なのだと葛藤中に、絃人が容赦なくタクトを振り上げたので、え? 指揮に合わせるの? と考える間も与えられず否応なしに弾かされる。
思い切り無難に目立たぬよう、ぶっきらぼうに近いくらい表情もつけずに、さらりと軽く。自身の持つ〈田園〉のイメージも、多少は浮かべつつ。
「オーケイ! ブラヴォ。ファーストの皆さん、今の感じでお願いします」
え? メチャクチャ適当に弾いたんですけど? とは口に出せずの浜野マエストロ。
指揮は全く同じ振り方なのに、元のコンマスの時と、ずいぶんとまた違ったものだな。こんなにも曲が劇的に変わってしまうなんて、ある意味、恐ろしいかも。と、弦楽器の面々だけでなく、管打のメンバーも改めて指揮とコンサートマスターのセンスや力量、互いの相性の大切さを思い知らされ、驚きを隠せない。
指揮有出とコンマス浜野か! 初組み合わせであったが、これはいけるかもよ? と、一同は「自分は降ります」発言の本来コンマスの存在も、マエストロ浜野の意向も完全無視の期待モードに気分を上げる。
かくのごとく元コンマスの策略は成功した。
どうも馬が合わないのは仕方ないのだ。これが時間制限付のバトルであるからには、ゆっくり時間をかけて歩み寄るなんて悠長なことはしてられないから、どちらかが潔く身を退く。まあ制作側の編集次第としても、チームのために、横暴指揮者との無駄な争いを避けた「善い人」として好印象を残せたかも。時間もエネルギーも無駄になるぶつかり合いを避け、身を退くのも選択肢の一つで、英雄的行為なのだと。
自分がコンマスの器でないとか、年下のいばりんぼ指揮者に負かされたとかいった悔しいもやもやを払拭すべく、爽やかな笑みまで浮かべてスマートに、浜野享に席を譲ってみせるのだった。
81.「ブリューゲルじゃ、ダメなんです」に続く...