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「オケバトル!」 60. いくら何でもズルすぎません?


60.いくら何でもズルすぎません?



 疑惑の……ならぬ魅惑のメヌエットの合わせが終わった時点で、指揮の有出絃人はハープとサキソフォンのエキストラをねぎらいつつ、一応お尋ねしたいんですが、と遠慮がちに前置きをした上で、皆の前で二人に打診した。

「お二方、この後の〈ファランドール〉にも乗っていただくことは可能でしょうか?」

 おっと! この人は早速、何てトンデモナイことを言い出すんだ? と、仰天するBの面々。
 ハープもサキソフォンも、〈ファランドール〉の編成には入ってないはずだが?
 番組が雇ったエキストラを勝手に使ったりして良いわけ?
 しかも我々に同意を求める気配も、皆無なんですね。

「番組との契約上の問題がなく、こちらの依頼による予定外の出演によって、続くAチームでの〈メヌエット〉の演奏に何ら支障が及ばなければ、の話ですが」
 フェアでないとは言わせないとばかりに、絃人はひと言つけ加えておく。
 さあ、どうでしょう? と、既に馴染みとなっているハープの女性は首を傾げて思案するも、初出演で恐い物知らずのサキソフォン奏者の男性は迷うこともなくすらりと答えた。
「契約では、『バトル参加者からの、番組指定外の演奏などの要請については、各自の判断で、受けるも断るも自由』とされてたはずなので、大丈夫ですよ」
 快諾するも、追加手当の保証はされてないんですがね……、などと無粋なことは、あえて申さず。
「でしたら私も」
 ハープ嬢も手を挙げて気持ちよく同意する。
「楽譜さえあれば」
 そして彼ら用のパート譜はない。どちらの楽器も〈ファランドール〉の編成には、元々ギローが入れていないのだから。
 有出絃人が言う。
「このチームで足りなくなってしまってる中間音辺りを補っていただけたら、非常に助かるんですよね。楽譜は……、どうしようかな。ちょっと時間もらえれば書けるかな」
 思案する絃人の様子に、サキソフォン奏者が、
「現時点の編成で、一度聴かせていただければ。スコア見ながら抜けてる音をピックアップしていけばいいわけですよね」
 そんなのちょろいもんさとばかりに助け船。
「そういうことでしたら、アドリブでいいのでしたら、私もオーケーです」
 同じく、ハープもプロ根性を示してくれる。
「はーい、スコアならありますよ」
 と、管首席陣の幾人かが差し出してくる。先の打ち合わせで有出絃人から、スコアを手元に置いておくよう指摘されたことを素直に受け止め、早速ライブラリーから競い合うように借りてきたものだ。人気はやはり気軽に手元に置けるミニチュア版。
「サックスは、ホルンの第四パートを主に、出番のないところではトロンボーンなんかから拾って頂くとして、ハープは木管群、オーボエ、クラ、ファゴットの各々第二パートの和音辺りをできたらお願いします。どちらの楽器も、全体を聴いただけでは入ってるのが分からないくらいに溶け込んでいただけるとありがたいです。ハープ特有のアルペジオなんかは抜きにして」
 有出絃人のてきぱきとした言いように、つまり目立つなと言いたいわけかと、むっとすることもなく、大人なエキストラ二人は「了解です」と了承する。
「まず管の皆さんに、逆に抜けてるパートだけ吹いてもらおうかな。フルートはメロディーなので基本、乗らなくていいですが、音の流れがあまりに分かりにくそうだったら軽く流してあげてください。では、どんな音が足りなくなっているのか、確認しておきましょう」
 いきなり絃人が振り始めようとしたので、各パートの首席陣は、ちょっと待ってえー! 第二パートの譜面なんて、手元に置いてないですよ。と、舞台袖にパート譜を探しにゆくべくあたふたする者も。
「二管編成のスコア上、少なくとも自分の楽器に関しては、どのパートの音も責任を持って把握しといて欲しいんですよね。場合によっては一番手より大切な音だってあるんですから。各自の判断で臨機応変に必要な音を取捨選択するよう、僕、お願いしましたよね」
 あーあ、せっかくスコアは一生懸命入手してきたっていうのに、今度はパート譜のことで、また文句言われちゃった、まったく気が抜けないんだから。と、縮こまったり、ふてくされる者も。
「時間が勿体ない。誰もが知ってる〈ファランドール〉なんですし、手元に楽譜ない方は、正確でなくてもいいので勘で吹いてみて」

 冷たく言い放ち、絃人は容赦なくタクトを振り上げた。

 中間音のボーボーいう音群だけが続くが、これはオーケストラ全体にとっては新鮮な響きであった。中間音がどのような厚みを出しているのか。このバトルが始まってからは課題曲をやっつけでこなすだけで、普段は目立つことのない仲間の音に、こうして耳を傾け合おうなんてゆとりはなかったものだから。エキストラの二人はスコアをめくりながら、ふんふんとうなずき、パート譜なしでも楽勝ですよという姿勢を見せていた。

 次に正式に全員で通してみる。

 地下のリハーサル室で周囲が気にしていた「指揮者からコンマスへの秘密指令」がどういうものであったか、ここでようやく判明した。クライマックスの下降音型が勢いよく落ち込んだラスト九小節目で、コンサートマスターが、さっと身をかがめたのだ。
 その瞬間、フォルテ四つという最大音量で鳴り渡っていた全合奏が、はっとしたように、いったんわずか控えめに抑えられ、すぐさま続く上昇音型とともに元の大音量に一気にクレッシェンドしていった。

 こうした演出は、善し悪しの判断は別として、明確な効果をもたらすもの。

 あえて事前に仲間に知らせておかなかったのは、コンサートマスターのリードに対し、皆がどれだけ的確に即時反応できるかを、トップの二人が見極めたかったからである。結果、弦の多くの者は瞬時に従い、追いつきそこねた管打の面々は、「ここは落とす」と肝に命じてパート譜に「注目すべし!」を意味するメガネマークを赤鉛筆でしっかりと書き込むのだった。
 この流れに関して指揮者は何も語らず、コンサートマスターと暗黙の目線を交わし合うのみ。
 当のコンサートマスター別所氏も一同に「ここで音量をいったん下げて」などと注意を促したりはしない。こうした細かなニュアンスは、コンサートマスターの動きに従えば良いだけで、言葉や説明など必要なかろう。もちろん本番でいきなり仕掛けるのではなく、事前のリハーサルで示しておくべきではあるのだが。

 音域音量バランスにも何ら支障はなさそうで、異色のエキストラ二人が加わったことで、ホールの音響効果もあれど地下のリハーサル室での合わせ時より、遙かに音に厚みが増したように感じられる。掟破りの危険を冒しているのでは? という一同の不安も、いつしか拭い去られていた。有出絃人の機転はやはり正しかったようだ。

 リポーターの宮永鈴音に撮影クルー他、その場に居合わせた番組スタッフは、こうしたBチームの目論みについては、彼らが本番を終えるまで、暗黙の了解で沈黙を守ることにする。プロデューサーにして審査委員長の長岡幹に事前に知られては、待ったがかかるに決まっている。こんなに奇想天外でズル過ぎる作戦は、是非とも決行して頂かねば。音響調光室で高みの見物のディレクター、鬼アザミも、当然のごとく面白がって黙っているに違い。ディレクターが知っていて止めなかったとしたら、責任は彼女にのしかかること間違いナシなのだ。

 本番まで30分。まだまだ時間のゆとりはあったが、注意点や要求を挙げ始めたらきりがない。しかしこれだけは。
 あとひとつだけ、と有出絃人は皆に注意を促した。
「ラストになだれ込む直前の、『栄光のトランペット』の輝かしい響きが、まったく聞こえないんですよね」
 栄光のトランペット? 
 何ですか? それは。聞いたことも意識したことも、ありませんよ。
 という一同の疑問に答えるべく、トランペット首席の上之忠司が、その輝ける八小節を控えめな音量で ── しかし張りのある非常に美しい音色で ── 吹いてみせる。

 え? どこ? 
 そんなメロディー、隠されていたとは???

「Pのとこ、ピカソのPのところですよ」
 絃人が補足する。
「確かに主旋律ではないものの、今の旋律、はっきり聞こえるといいんだけど。周りがフォルテ四つを三つに減らすとか、音量を落とすといった単純な配慮でなく、ここは皆がトランペットに耳を傾けて、悲劇の中に差し込むひと筋の光だとか、天からの啓示のラッパだとか栄光の響きだとか、何かしら輝かしいものを感じとって、彼の存在を意識して欲しいんですよね。そうすれば自然に、高らかな歌が浮き上がってくるはずですから」
 やってみますか? という別所の問いかけに、絃人は、うーん? と思案する。当然ながら全員で意識も新たに音量を確認しておくべきなのだろうが、下手すれば輝かしい瞬間が作り物になってしまいそうな気がする。本番の奇跡にかけた方が良さそうな……、

「大音量の中でも良くとおる音を心がけようじゃないか! 任せてくれたまえ」

 ラッパおやじの頼もしいひと言で問題は解決。後ろ髪を引かれつつ本番に期待をかけ、新生Bチームのリハーサルはこれにて終了となる。




「今宵はジョルジュ・ビゼーの劇音楽から主題をとった、エルネスト・ギローの編曲による《アルルの女》第二組曲から、まずは先攻Bチーム、続いて後攻のAチームにより、第三曲〈メヌエット〉と終曲の〈ファランドール〉を、続けてお届けしました」
 司会の宮永鈴音により、隠れた編曲者のギローをこうして積極的に紹介していく形で進められたアルル対決は、審査員陣の間で様々な物議を醸すことになるが、結局は大方の予測どおり、有出絃人率いるBチームの初勝利となる。

「まずは後攻のAチームだが」
 舞台に残る、真面目な頑張りを見せたAの面々に対して長岡がねぎらいの言葉をかけた。
「まったくもって正統派の、こうした名曲のお手本とも言えそうな、気持ちの良い演奏でしたね」

 辛口の委員長にしては珍しい賛辞を受けつつも、しかし素直に喜べないAの仲間たち。先攻のBチームが果たしてどんな演奏を展開したのか、自分らは聞いていないのだ。この言いようには、何か裏がありそうじゃないか。
 対する客席のBチームは、とどのつまりAは平凡な演奏だったってわけねと高をくくりつつも、多少の不安は隠せない。
 元のチームの内部事情を知る有出絃人は、Aの指揮がヴァイオリンの浅田に、コンマスが稲垣と、今回はお決まりの五十音順でなく、既にこのバトルで表舞台に立ってきた経験者で人望も厚いベテランの二人で手堅く決めてきた戦略に、内心感心していた。敵対ではなく、元の仲間も応援したい気持ちだって山々なのだ。

「そして、フルート対決の〈メヌエット〉については、だね」
 長岡委員長が講評を続けていく。
「星原淳くん、きみは実に素晴らしいよ!」
 そこで舞台のAの仲間から称賛の拍手が起こる。客席のBメンバーも、昨日までの仲間であった可愛い少年に対して、おざなりではあるが拍手で讃える。
「この曲が本当に美しく爽やかで、心地よい音楽であることがしっかり感じられる、素直でいい演奏だった。フルートという楽器の魅力も最大限に視聴者に伝わることと思うね」
「夢のようなひとときでしたね」
「本当に、時間が止まってしまったかのように」
 青井杏香とアントーニア嬢も、うっとりと夢見心地の口調で感想を述べる。
「しかし心底仰天したのは、Bのフルートなんだよね。えっと、彼女は……」
「紺埜怜美さんです」
 と、鈴音が長岡に伝える。
「いやあ、ノックアウトされましたよ。往年のフルート奏者にしか出せないような、まさに魅惑の調べとはこのことか、といった具合で……」
 絶句してしまった彼は隣の青井杏香に、自分はもはや言葉が見つからないので続きを頼む、と話を振ることにする。
「あらまあ、長岡さんも人の子でしたのね」
 杏香は委員長をからかいつつも、
「でも、おっしゃるとおり。胸にぐっときてしまう演奏──、というより歌、でしたね。芸術の世界に触れていると時折、突然、思いもかけず崇高な場面に出会えることがあるけれど、まさにそんな瞬間でしたね」
 と、涙声になりながら優しく語る。
「私も。涙が自然にあふれてきて、止まらなくなってしまいました」
 胸に両手を合わせ、震える声で同意するアントーニア。
「ああ、審査員の先生方は言葉も失ってしまうほどですが、私たちスタッフだって、みんなうるうるだったんですよ」
 とは司会の宮永鈴音。
「番組の歴史に残る名演奏を披露してくださった、紺埜怜美さんにも、改めて拍手を!」

 懸命に拍手するBの仲間に、今度はAの面々が少々しらけつつ、おざなり拍手でおつき合い。どんな名演だったか知らんけど、あーあ、美人って得だよね、といった不機嫌調で。
 さあ、困ってしまったのは当の怜美さん。言うべきか、黙しているべきか。チームに不利になりそうな発言は控えるべきだけど、淳くんにとっても、やはりこんなのはフェアじゃない。やっぱり言わないと!
「あの、すみません!」
 手を挙げつつ客席から立ち上がる。
「実は、違うんです」




61.「やった者勝ちの、あり得ぬ特典」に続く...




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