「オケバトル!」 6. 破滅への前奏曲 ①
6. 破滅への前奏曲(プレリュード) ①
我々の人生は、厳粛なる最初の第一音が「死」によって奏される、知られざる歌への一連の前奏曲であらずして、何であろう。
「愛」は生きとし生いけるものすべての、あけぼのに輝く光明……
リストが交響詩〈レ・プレリュード〉の冒頭に記した詩の一節が、司会の宮永鈴音の格調高き朗読によって感動的に紹介されていく。
客席に対抗チームの姿はなく、三名の審査員のみが中央付近の、いわゆる演奏会の主催者が招待客のために用意するような音響的にも視覚的にも特等の席に鎮座していた。
舞台俳優もどきの仰々しい暗唱なんて、どうでもいいからさっさと始めさせてよ、しらけるだけだし、と既にチューニングも終え、苛つきながら舞台で待機していたBチーム。
彼らは無謀にも指揮を立てず、コンサートマスター1人が全責任を背負い込む羽目になっていた。しかも二つのヴァイオリンパートが左右に向かい合うという対向配置。とりわけこの課題曲の終盤、ファーストとセカンドが交互に音階を奏する掛け合いの場面では──チームAの指揮者が格別のこだわりを見せていたところ──、左右の動きがはっきり分かれるので視覚的にも見応えがあり、サウンドのステレオ効果も大いに期待できそうな……、はずだった。
頼れるコンサートマスターの元で一致団結、リハーサルの段階でも充分な手応えをつかみ、意気揚々、自信満々だったBチームであったのだが。
「Bの全員を落とそうかと思ったね」
とは、後ほど改めて紹介される審査委員長の談。
何がいけなかったか?
それはライバルチームが細心の注意を払い、制限時間内で寸分を惜しみながら調整し、最大限の集中力をもって仕上げていった箇所でさえ、なおざりにし、ただひたすらの勢いやエネルギーに溺れ、破滅に向かって──そうとも知らずに自らは大いに楽しみながら──突き進んでしまったからに違いなかった。
それは破滅へのプレリュード。
森に隠れた小さな秘密の宝石箱とも言えるほど響きが豊かで美しいホールにおいて、配慮のない無神経な大音量で、音割れなんて何のそのとばかりに全員でがなり立てるばかりでなく、残響の余韻も無視して先へ先へと進んでしまうせっかちさ。決定打は例のクライマックス、ヴァイオリンの二つのパートの勇ましき掛け合いが、ひとつのパートがなめらかに続けて弾いているように聞こえねばならない感動的なあの箇所が、ブレスが入るかのごとくはっきりと完全にぶっちぎれていたというお粗末さ。
恐るべきは演奏を終えた瞬間、この曲の偉大さに圧倒されたBチームの多くの者が、自分たちの成し遂げた演奏に満足し、勝利を信じて疑わなかったという事実である。彼らの達成感といったら。
素晴らしきかな音楽!
もう充分だ。このまま家に帰ったっていい。
いや、もはや音楽家をやめたっていいくらい燃えて尽きてしまった気さえする、と。
そして自分がこうしたイベントに関われたことを、心から誇りに思い、幸せをかみしめたのだった。
演奏を終え、次はAチームの演奏を高みの見物してやろうと決め込んで、半ば放心の状態で客席にくつろいでいたBチームであったが、舞台に登場したライバルチームの整然とした服装に「やられた!」と反応。
Bチームのほとんどがカジュアルな装いのまま舞台に乗ったのに対し、Aでは「本番というからには、正装にすべき」との意見が出るくらい、服装を意識して本番に臨んだのであった。とりあえず初回は様子見ということで、基本はモノトーン路線に設定。男性にはドレスシャツにブラック、もしくはホワイト・タイの着用が義務づけられ、ジャケットの有無については各自の判断に任された。女性陣はブラックのセットアップやシンプルなワンピースなどでクールに決めてきた。
服装までは頓着しなかったBの面々。悔しさと、ちょっとお粗末だったかな? と、多少の恥を感じたものの、「いやいや、外見は問題でない」と、自らに言い聞かせる。
いないはずの指揮者の登場にも、「ずるい!」と、焦りを感じたが、「指揮なしでもやれるチームのほうが有能なのだ」と自分たちの選択を信じ込むことに。
しかしリハーサルの段階で余力を残しておいたAチームが、さらなる本番マジックと、最大限の集中力をもって一分の隙もない見事な演奏を生み出してゆく様子に、客席では一人、また一人と、「うちのチームの誰が脱落することになるんだろうか?」と、いけにえにされるべく人物と、その理由をどうでっち上げるか案じ始めてしまう。
全合奏による勝利の和音の最後の決定打。いさぎよく気持ち短めに全員が呼吸を揃えたことで、かえって残響の余韻が神々しいほど見事に響き渡った。すべての音が消え去り、静寂が訪れたところで指揮者が腕を下ろし──指揮棒は持っていなかった──、客席に向き直りながら、挨拶をすべく仲間に立ち上がるよう促した。
コンクールなどでは演奏後の拍手が禁止されることもあるが、Bのチームは騎士道の掟に従い、「敵ながらあっぱれ」とばかりに相手チームに盛大な拍手送った。
とはいえAチームの大方は、自分らの出来に納得などしていなかった。何という曲だろう。何と偉大な作曲家なのだろうと、楽曲そのものには震えるほど感動しつつも、自分の演奏にはいつだって納得できない音楽家の習性が、哀しきかな身にも心にも染みついているのだ。
まだまだだ。もっとやれたはずだ。しかし時間が足りなかった。負けは目に見えた、と。
やがては自分が脱落するのではないかと案じ、別れの挨拶シーンの撮影はあるのだろうか、などと感動的な台詞──あるいは言い訳の言葉──まで考え始める者までも現れるほど。
Aチームはそのまま舞台上で着席して待機との命を受け、司会によって審査員陣が紹介される。
「この番組の制作総指揮、そして審査委員長の長岡幹氏です」
アート系のドキュメンタリー制作において長年にわたり数々の賞を受賞している大御所のプロデューサー。芸術全般にわたって深い眼識を持ち合わせ、生涯をアーティストの育成や舞台芸術に捧げており、バトル・シリーズでは企画だけでなく、審査員としても初回から関わっている。多少の好き嫌いはあったとしても決してえこひいきなどはせず、誰にでも常に公平な姿勢を貫いてきた。辛口にせよ、褒め言葉にせよ、的を射た彼の意見により、番組に参加したアーティストらは自らが気づかなかった可能性を見いだされ、格段の成長を遂げていく。
そして今回の開口一番が、先の「Bの全員失格」発言であり、きつい脅しにすぎなかろうと解釈した呑気なバトル参加者よりも、常日頃から彼の厳しさを嫌と言うほど知り尽くし、散々振り回されているスタッフらの方が震え上がった。彼が「全員落とせ」と言ったら、本気の本気で、決して脅しではないのだ。
初回から半数になっても番組は最終回まで持たせねばならない。
「同じ課題曲で、リハに与えられた制限時間も同じ、楽器構成も同じ。すべての条件が一緒なのに、こうも音楽が違ってしまうなんて、作曲家はどう思うんだろうね」
宮永鈴音は一応ヴァイオリニストという身分でありながらも、その艶やかな美声や滑舌の良さをを生かして、トーク付の演奏会のみならず、異業種交流会やパーティーなどで長らくMCを務めてきた経験がある。会場の空気が危うくなった折に機転を利かして事態を回避する術は充分に心得ていた。
「長岡氏による、いきなりの手厳しい講評ですね」
何ら動じることもなく、穏やか口調で感想を述べてから、声のトーンを上げて明るく言い放つ。
「ですが、これぞバトル・シリーズ。皆さん、お覚悟を!」
これ以上、長岡審査委員長に辛辣な批評を言わせる隙を与えまいと、司会の宮永鈴音は次なる審査員の紹介にさっと話題を進めることにする。
「杏香先生!」と、二人目の審査員に向かって手を振ってにっこり。
自分が少女時代から彼女の作品の大ファンであると個人的にアピールしてから、ああ、つい興奮しちゃって、と改まり、
「作家で、音楽評論家の青井杏香先生です」と紹介する。
30代半ばと思われる宮永鈴音が少女の頃から愛読? となると、この作家はいったい何歳なんだろうか? 落ち着き、洗練されたエレガンスを備えた大人の女性には違いなくも、そんな歳には見えないが? と頭の中で計算を始める参加者もいたが、彼女はむしろ年齢を重ねていることを売りにしているといっていいくらい実年齢よりはるかに若く見えることもあってか、52歳という年齢も平然と公にしていた。
「同じ曲にして、真逆の演奏。それだけ無限の可能性がある、ということではないでしょうか」
早口の長岡氏とは対照的に、落ち着いたゆったりトーン語る青井杏香。
彼女は児童文学作家としても名を馳せているせいか、元来の心優しい人柄ゆえか、意地悪な発言は決してしない。辛口プロデューサー長岡氏が自分の「なだめ役」として、自ら推薦しての起用であった。
「聴いているだけで漠然とですが、物語が生まれてきましたよ。不思議なファンタジー」
夢見るように、うっとりと遠くを見つめている。もはや心ここにあらずといった調子である。
「それが、BとAの音楽で、まるっきり異なる印象でしたから、頭を整理するのがタイヘン。今すぐお部屋にこもって一気に書き上げてしまいたいくらい。すみません、審査なんて忘れて、どこか別の異次元世界に誘われてしまいそう」
「それこそが、番組の求めているものなんだ」
と長岡プロデューサー。
あのホルンに胸を打たれたとか、あの少年のフルートの音色は天上から降りてくるかのようだとか、指揮者はいったい何者なんだ? とか、そうした個々の奏者の印象を超越して、
「ああ、リストの曲は何と素晴らしいのだ!」と感動する。
番組を見終えた視聴者が調べるのは、参加奏者のことよりも、まず、リストの名曲について。楽曲そのものに加えて、偉大な作曲家の音楽や生涯について興味を持てるきっかけができること。そして早速ネットで探して曲を聴いたり、CDや関連図書を注文したり、できれば図書館や音楽書籍を扱う書店に楽器店、CD売場なんかに直接、いそいそと足を運んで欲しいものだがね。
こうした視聴者の流れこそが、我々が地道に番組を作り続けてきた真意なんだよね、と熱く語るのであった。
「演奏から生まれゆく、聞き手の人生にささやかな変化をもたらす無限の物語、ということですね」
司会が少々の脱線を軌道修正しながら進行を続けてゆく。
「長岡幹、青井杏香のお二人方がレギュラー審査員で、最終の勝者、『オケ・マイスター』が決定する最後の回までおつき合いいただきます」
ここで宮永鈴音が拍手を促しそびれたので、カメラに写らない舞台の隅に待機していた番組スタッフが頭上で手を叩くそぶりを見せ、参加者に「拍手せよ」の合図。壇上の者は、客席の者同様に手を叩くが、弦楽器の半数ほどは弓で軽く譜面台を叩く仕草を拍手の代わりとした。
「そして今回の『バトル・オブ・オーケストラ』、初回ゲスト審査員は、昨年バトルの優勝者、ジョージー!」
再び大きな拍手に包まれる。
6.「破滅への前奏曲」② に続く...
♪ ♪ ♪ 今回初登場の人物 ♪ ♪ ♪
長岡 幹(もとき) 番組制作総指揮 & 審査委員長
青井 杏果(きょうか) 心優しきレギュラー審査員
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?