「オケバトル!」 12. ねずみ対スイスの貴公子 ②
12.ねずみ対スイスの貴公子 ②
「指揮者が必死で抑えようとしても、全体の勢いはもはや止まらず、ラストに向けてひたすら突っ走ってしまいましたよね」
とのジョージの批判に、責任を感じた阿立コンサートミストレス以下、客席で審査員の講評を受けるBチームの多くがうなだれ気味に背を縮こませた。
しかし続くジョージの言葉は意外や、
「あふれんばかりの凄まじいエネルギー、全身で演奏を心から楽しんでいる様子は、整然と整ったAの演奏から受ける印象とは、全く別次元のもの。とどまり知らずの情熱が舞台からどーっと押し寄せてきて、息も詰まるほどでしたよ」
という熱き感動の言葉だった。
え? 何? もしかして、うちら褒められてる? と、期待しつつ首を傾げるBの面々。
「いや、それはアマチュアの世界の話だね」
冷酷に釘を刺す長岡プロデューサー。
「演奏側からの感動や情熱の押しつけは、聞き手にとっては大迷惑なんだよね」
再び肩を落とすBの仲間。
「私も長岡さんと同意見ですが」
と、いったん前置きした上で、客観的視点で意見を述べる青井杏香。
「たとえば俗にいうヴィルトゥオーゾ的な、つまり名人芸的な演奏を求める聴衆のように、奏者本人からの圧倒的エネルギーを受け取りたくて舞台に熱心に足を運ぶ方たちが多いのも、現状ですよね」
そしてもう一度、長岡さんの言われるように、そうした押しつけがましい演奏、私は好きではありませんが、と念を押した上で、
「一般の視聴者は、Bの演奏の方が面白いと感じるかも知れませんね」
「これが視聴者受け狙いの楽しいバラエティー番組だったらね」
と、長岡プロデューサー。
「しかし我々が長年、このバトルシリーズで目指してきたのは、見せかけのパフォーマンスでなく、真の芸術家の発掘と、優れた芸術性を見極める視聴者の眼識を養ってもらいたい思いからなんだよ」
「そうでしたね」
ジョージがすかさず反応する。
「素晴らしい番組姿勢ですよね」
「Aのように冷静、客観的な演奏姿勢からこそ、楽曲の本来持つ、無限のエネルギーというものが導き出せるんじゃないかな。感情や情熱を内に秘め、焦ったり走ったり、破綻することなく。そうしたことが出来た時こそ、音楽に携わる真の喜びというものを得られるんだ」
長岡氏、そう語ってから客席の山寺充希を探すように後ろを見やり、
「その点、指揮者は常に冷静だったね。とはいえ、途中からスコアを見なくなったのは、演奏にのめり込みすぎてスコアどころじゃなかった、ということかな?」
「はい、ここです」
客席後方から手が上がり、ミッキー氏が立ち上がった。
「持ち慣れない指揮棒で拍子をとりながら、左手では頻繁にスコアの譜めくりをしつつ、同時にそこここで各パートに合図を送る、なんて、到底ゆとりがなかったんです」
「暗譜にかけてスコアは捨てて、オケへの指示に集中したというわけか」
「いえいえ、暗譜なんて、とても」
ミッキーは正直に告白する。
「ですが、こうした有名曲のこと。どこでどの楽器が出るかなんて、愛好家ならお客さんだって分かるでしょうし、もちろん、このBチームの仲間は指揮者からの指示なんて当てにしなくても、的確なタイミングを各自で判断できる実力者ぞろい。だから、指示のためにスコアを諦めたのではなく、ただ楽譜から離れて、目の前で起こっている音楽の流れの奇跡に集中したかっただけなんです」
「そうなんだ!」と、ジョージ。
「もう、どうにも止まらない音楽の流れ、ね。本番でこそ起こりうる奇跡の流れ。そうしたことに、僕は感動したんです。それは杏香さんが言われたような、名人芸の見せつけや大迫力の押しつけなんかじゃなく、あくまで純粋な音楽の喜びからくる素直な感性として、ね」
トランペットに続くファンファーレの、ホルンの誰かが音を外して悲惨だったとか、
中間部のイングリッシュ・ホルンの歌い方に一貫性がなくて、上に乗せる軽やかな小鳥のさえずりを思わせる見事すぎるフルートが実にもったいなかったとか、
そのため、それに合わせる弦のピッツィカートもバラバラだったとか、
ピッコロの音が始終キンキンしすぎて耳がおかしくなりそうだったとか──、と続けるジョージに、長岡委員長が、
「それ、全部Bチームのことだよね?」
自分は分かっていながらも、視聴者のために確認を入れる。
「そうです」とジョージ。
あんまりだ、ジョージさん。味方についてくれたんじゃなかったの? と裏切られた気になったBの面々だったが、次の言葉に救われた。
「そうした難点も全部忘れさせてしまうくらい、Bの勢いは素晴らしかったから、僕はBチームに勝たせてあげたいな」
「残念ね、ジョージ」とは青井杏香。
「私はAだし、長岡プロデューサーだって、当然Aですよね」
「もちろんだ」
「ですが、昨日の3対0よりは、進歩しましたね!」
司会の明るい声が、審査員どうしで険悪になりそうな流れをやんわり遮断する。
「今回は、2対1なんですもの」
「仮にAチームの演奏が先だったなら──」
ジョージがひと言つけ加える。
「Aの方がいいと思ったかも」
ムンクの「叫び」状態となったBのメンバー。ジョージさ~ん、頼みますからもうそれ以上、何も言わないでー! と客席からジョージの背中に懇願の念を送った。
長岡プロデューサーの、おいおいジョージ、それはないだろう? という視線に対し、
「僕、審査のプロってわけではないし、曲を熟知しているわけでもない。テンポや勢い、緩急や強弱のメリハリ、最初に聴いた印象が素晴らしいと感じたら、それが植え付けられちゃうから」
「ひと昔前のフィギュアスケートなんかで、最終滑走者が有利とされていたのとは、逆ってことですね?」
と司会の宮永鈴音。
現代のルールは完全点数制で、そうした影響はないようだが、かつては最終滑走者が最高の演技をした際のために、それ以前の選手は得点を抑えられがちになるという不利な状況が、競技ではしばしば見受けられた。
言ってから、ちょっと発想が違うかしら? とも鈴音は思ったが、必要なければどうせカットされるから大丈夫、と自分に言い聞かせる。気の利いた何かを言わぬよりは、とりあえずは言っておいた方が良いのだ。
「どちらも等しいくらい演奏が良ければ、の場合ですよ」
先攻が有利、と判断されてもいけないので、ジョージは一応念を押しておく。
「それでは決まりでよろしいでしょうか?」
司会が審査員陣に確認する。
ジョージが抵抗を諦めたので、〈ウィリアム・テル序曲〉の勝利は、再びのAチームとされた。
今回も脱落者は二名。との発表に、また今度は誰がいけにえにされるのかを案じ始めたBチームをよそに、
「審査の先生方、他に何か講評やアドバイスなどはありますか?」
と司会が明るい調子で促す。
「Aチームのピッコロだがね」
昨夜に習って舞台に留まっている後攻のAチームに、長岡氏が質問する。
「ラスト近くの音階について、説明してもらえるかな?」
審査に公平を期するために、審査員らにはリハーサルの様子や各チームの内部事情は、本番前にはいっさい明かされない。先入観なしに本番の演奏のみで、チームの勝敗を決定するためである。
まず褒めるでもなく、けなすでもなく、長岡がピッコロ女性にこういう言い方をしたのは、本人の反応を確かめるための巧妙な罠だった。
責められるのか、褒められるのか? ピッコロ本人も含め、多くの者が緊張に身を固めた。
責められるなら、とうぜん有出のせいにすべきだが、仮に褒められるとしたら、最終的には自分の判断での調整なのだから、有出のアイディアという事実を持ち出すこともないだろうと、ピッコロ女性が答えあぐねていると、
「どのように聞こえましたか?」
ピッコロの相方フルート首席が助け舟を出してやる。
「舞台では我々、明確な音響効果は分からないんです」
質問の答えに窮した場合は、質問によって返す。これはバトル生き残りを図るための必須手腕のひとつでもあった。
「では質問を変えよう」
その手には乗らない長岡氏。
「どのような意図でスコアに修正を加えたのかな?」
コンサートマスターのすぐ後ろに座っていた有出絃人は、この審査員が百パーセント、こちらの配慮を認めているのだと自信を持っていた。自分の提案に最終的に従うことを決めたのは彼女なのだから、口を出す必要もないだろう。あとはフルートの二人が長岡氏の巧みな引っかけに気づいてさえいれば。
「我々の意図ではなく、ロッシーニの意図として、ですね──」
再び首席の男性が慎重に口を開くと、
「首席でなく、ピッコロを奏した本人が答えてくれたまえ」と、ぴしゃりとやられる。
長岡氏の苛ついた様子に恐れをなしたか、ピッコロ女性は席を立ち、
「私のせいじゃありません!」と叫んだ。
ああ、そうきたか。と、がっくりするAの仲間たち。うちが勝ったからいいようなものの、卑怯な「責任逃れ女」は今後、脱落の筆頭候補に挙げられたな、と誰もが軽蔑の念を抱いてしまう。
「しかしだね、ひとたび本番で音を出したのなら、どんな事情があろうとも全責任は奏者本人にあるんだよ」
長岡は首を傾げた。では誰のせいだと言うのかね? と、相手に合わせての質問は、もはやレベルが低すぎるので、さっと話をまとめにかかる。
作曲当時どうだったかは知らないが、今にして思えばロッシーニだって、全体の印象としては音階を下げていきたかったのではないかと思えるんだよ。それをいたずらに楽譜を書き換えるのではなく、会場の音響を配慮した微妙な調整で、目立ちすぎるピッコロのみ、音階の二度目の音量を落としたことで、音楽が実に自然な流れになった。きみのせいじゃないと言うなら、誰のアイディアなのか大方予測はつくし、彼のような人物が、「オーケストラ・マイスター」の筆頭候補になってゆくんだろうね、と締めくくる。
「彼」と言ったな。と、Aのメンバーは気づいた。彼は、「彼」が誰かを知っているんだ。知っていて、かまをかけてきたな。ピッコロが功績を自分の手柄とするか、失敗だとしたら、仕切り役の有出のせいにするかを見極めたかったのだろう、と。
しかし実際は、ピッコロは二度目の音量を落としたのではなく、吹かなかったのだ。
うまく調整できないというレベルだけではなく、有出の言いなりになりたくなかった、という抵抗の意思もあった。
その事実を知っている者は本人と、気づいてしまった隣のフルート首席、そして全体の音響に慎重に耳を傾けていた有出絃人のみ。
審査員らにはその思惑がバレなかったらしいと、ピッコロは胸をなで下ろした。
ライバルチームのそうした内部事情は露とも知らず、客席で感心しながら彼らの演奏を聴いていたBチーム。よく分からない展開に首を傾げつつも、Aの演奏が、どこか格調高く洗練されて無駄な響きがなかったと素直に納得する。
悔しいけど認めよう。
しかしアーティストのジョージは、我々の味方についたのだ! これは大いなる自信につながろうと──先攻有利の発想は聞かなかったことにして──、午後からのバトルに向けて意欲を燃やすのだった。
13.「ねずみ対、今度はウクライナの軽騎兵」に続く...