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「オケバトル!」 58. 女神は三銃士のために


58.女神は三銃士のために



 撮影クルーはどうした?
 これはかなり絵になりそうな、実に危うい展開ではないか!
 その場に居合わせた施設スタッフの三人は、「何か面白い事が起きてますよ〜」と、番組関係者に通報すべきとも思ったが、つい目が離せず二人の様子に釘付けになってしまう。

 今しがた地下のライブラリーで借りてきた、この曲のフルート独奏用の楽譜をピアノの譜面台の端に乗せて、さあ吹いてみてと、有出絃人は彼女を促した。
 その時になって初めて、紺埜怜美は自分が肝心のフルートをこの場に持ってきていないことに気づいた。
「だけど曲、違いますよね?」
 時間稼ぎ、あるいはごまかすために一応、指摘してみる。
「いいんです」
 同じビゼーによる異なる曲でも、自分が彼女に要求したいこと、彼女に感じてもらいたいことは充分に伝わるはずと、絃人は踏んでいた。
 今の彼女に必要な、微妙なニュアンスや大胆な歌い加減。対するAチームで首席の番が回ってくるはずの、あの少年には到底出せないであろう色艶のある大人の雰囲気。それも彼女自身の個性や魅力、技術力、豊富な経験を充分に活かした奏法で。
 ベテランのフルート奏者なら、独奏曲としても幾度も繰り返し向き合ってきたはずの今回のメヌエット。
 彼女が萎縮することなく、無駄に傷つくこともなくして、秘められた実力を短時間で引き出すには、問題の曲そのものをこの場で徹底的にさらうよりは、むしろ異なれどフルートとハープが主役という編成や雰囲気の似かよった別な曲でアプローチしていくほうが効果的、との判断から。
 それにこの《カルメン》の間奏曲だって、元々は《アルルの女》のために書かれたものなのだし、関連性がなくもない。

「普段はこんなこと、間違ってもしませんが、これはバトルですからね」
 前置きをした上で、絃人が手短に説明する。
「対抗チームでは、この世のものとは思えないほど信じがたい美しく透明な音色で、審査員を完全に悩殺してしまう天才少年が、同じ曲を吹くんです。しかもフルートを奏でる姿だけでも番組史上に永遠に残りそうな世界遺産レベルの光景でしょ」

 そこまで言うか……。「ちょっと、大げさなんじゃない!?」と、怜美は喉まで出かかるが、もしや有出さん、好みのタイプの美少年との夢の共演チャンスをチーム移籍のせいで奪われて、腹いせにあたしに八つ当たりしてたりして? と疑惑が沸き起こり、とりあえずは黙して様子を見ることに。

「真っ向から太刀打ちできないとしたら、少年ごときには到底真似できない大人の魅力で勝負するしかないんです。あなたなら、それができる」

 天才の美少年と比較され、ぼろくそにけなされているのか、おだてられているのか判別不能。やっとのことで、彼女は文句を言った。
「そんなことを言うために、わざわざバーに呼びつけたりしたんですか? 私、今のうちに個人練習しておきたいんですけど」
「今こそが、個人練習タイムなんです」
 さあ、とにかく吹いてみて。と、絃人が再び先の曲の伴奏パートを弾き始める。
「でも、肝心のフルート、持って来なかったんですよね……」
「何やってんですか! 早く取って来て!」

 自分は何を勘違いしてしまったんだろうと、混乱しながら慌ててリハーサル室に戻り、楽器と楽譜をつかんで猛ダッシュでとって返した怜美さん。
 そんな彼女の姿に、Bの仲間の間に再び疑問符が渦巻くことになってしまう。

 さっき有出さんが「バーラウンジで」って言ってたみたいだけど、やはり聞き違いでなかったか。
 彼女、すっかり取り乱して息を切らしてたし、頬が紅潮してたし、なんかフラフラで、ちらっと酒の香りまでしたぞ。
 我らがBチームのマドンナを、仲間を尻目に堂々とバーなんかに誘い出したあげく酔わせちまうなんて!
 しかもフルートは今宵の主役だってのに?
 有出氏、早くもあからさまな破壊工作を仕掛けてきたわけ? 
 ライバルとか関係ナシに、純粋に曲作りに情熱を注いでくれると信じての、こちとら命がけの引き抜き作戦だったのに。プロの音楽家として恥ずかしくないんだろうか。 
 目論みどおり我々が失敗したとして、責任取って自分が落ちるなんて心配はしないんでしょうかね。

 そんな風にBの面々から疑いを向けられているとはつゆ知らず。大ボケフルート女性を待つ間、有出絃人は《アルルの女》や《カルメン》に出てくる様々なメロディーのさわりなどを、静かに、とりとめもない調子で自由に奏でていた。
 ベヒシュタインのピアノはタッチが重めだが、温かくまろやかな音質は、こうした歌心のある曲調や伴奏にはもってこいなのだ。
 ドン・ホセがカルメンに向かって思いの丈を切々と歌い上げる〈花の歌〉に至っては、その甘く切ないメロディーと、例のごとくの絶妙オリジナルアレンジのあまりのロマンティックさに、聴いていた三人の男性スタッフ陣までもが思わず「これは……!」と、くらりときてしまう。有出氏があのフルート女性に説いていた大人の魅力とやらは、こうしたところに原点があるのだろうか。
 しかし彼なら、カルメンにもらった花を大切に抱き続ける湿っぽいホセよりも、カッコイイ闘牛士のエスカミーリョでしょ。というのが、スタッフらの素直な感想であった。

「ごめんらさい。私、何だか気分が……、少し酔ってしまったみたい」
 ようやく戻ってきた怜美は息を切らしつつ、しどろもどろで言い訳した。
「この状態で演奏なんて。呼吸困難になりそう。ああ、走ったりするんれなかった」
 この女性が急発進急停止のエレベーターに酔ったのではなく、アルコールに酔ったのだと知った絃人は、この期に及んで酒に手を出すなんて、いったい何考えてるんですか? と、先輩格の女性をあからさまに叱りつける。
「ですがバーラウンジと言えば、軽く一杯やりながら、しらふでは中々話しにくい内容について腹を割って語り合うという筋書きでは?」
 という彼女の言い訳がましい疑問に対し、絃人は、
 一、仲間のいるリハ室では落ち着いて音出しができない。
 二、スタインウェイのあるメインロビーは、スタッフがAチームの舞台リハをモニター画面で見物している可能性も。そんなとこで音出しなんてマナー違反。それにあそこは吹き抜けで天井がやたら高く、美しく響きすぎて、実際の音をつかみにくい。
 三、今は舞台リハ中だから当然空いてるはずのAチームのリハ室を勝手に使うのは、いくら自分の古巣とはいえ、図々しすぎる。
 四,よってピアノが自由に使えて誰にも邪魔されず、迷惑にもならない場所といったら、このバーラウンジくらい。しかも、そこそこの空間だから自分の奏でる音も、まやかしでない現実の音として、しっかりチェックできる。以上。と、説明した。

 で、何故か《カルメン》なんですね。と、ため息をついて怜美はしぶしぶフルートを構え、ようやく音出し特訓が始まった。
 最初のテーマを終えたところで、待ったがかかる。
「意識して歌おうとしなくていいですから」
「でも、大人の魅力とやらが必要なのでしょう?」
「それは憧れに満ちた上昇や、切なげな下降音型の絶妙なさじ加減や、フレーズの終わりの儚げな余韻といった、楽譜に秘められた微妙な感覚のことであって……」
 本当にこの女性はベテランのプロ奏者なのだろうか。たぐいまれな美貌で選ばれただけなんじゃないか、と疑いを抱きつつ絃人は返した。
「叙情的に歌ってるな~、なんて聴き手に歌いっぷりを感じさせてしまうのは低レベルのヘボ奏者のやることで、そんなの芸術っていえるかどうか」
「ずいぶん手厳しいですこと」
「僕がさっき皆に言ってた『ニュートラルに』って、あなたは元々できてるんですよ。皆がしゃかりきになってるようなとこでも、さほど構えたところがなくて」
 と、一応認めておきながら、一応釘も刺しておく。
「さっきのリハ時や今みたいに、妙に意識さえしなければ」
「やっぱりリハのソロは話にならなかったってことなんですね」
「まあ、『本気で』なんて言った自分にも責任ありますが」
 要のソリストが完全気落ちしてしまってはいけないのだ。気休め言葉も添えておく。
「自然な演奏って中々できないもので、それも才能なんですよ。自身をピュアに保たなきゃならないから」
「自分で言うのも何ですが、この歳になっても『清純さ』が売りでして」
「まったく正反対のことを」
 そこで絃人が核心を突く。
「その割りには、周囲から『妖艶美女』だとか『魔性の女』みたいに言われてません?」
「本当に迷惑」彼女は頬を膨らました。
「貞淑な人妻なのに」
 奥のカウンターから、こらえきれずの笑い声がどっと聞こえてしまう。
「ですがそうした自称正統派のタイプがソロであえて『聴かせよう』とすると、どうしても無理が生じて今みたいに不自然な音楽になっちゃうんです。なんかこう、千鳥足みたいな」
 くすくす彼女が笑い出す。
「確かに私、酔っちゃってるかも」

 本性が出てきたな。絃人は察した。この人はもしかして、酔って羽目を外すくらいがいいのかも知れない。しかし本番を控えて冒険は禁物だ。そこで冷たく言い放つ。
「隠そうとしたって無駄なんですよ」
「か、隠すって、何を?」
「自然と生まれ持った色香を、あなたは本能的に隠そうとしてますよね」
「はあ?」
 いきなり何を言い出すのやら。まさかこの人は、美少年に対抗して女の色気で勝負しろとでも言っているのか。
「だけど、ひけらかす色気より、清楚にしているほうが、よほど女性の魅力が引き立つって知ってます? うっとおしい男どもにモテたくないから、あえて女を隠そうとしてるんでしょうけど、逆効果。隠すことで、かえって色香を際立たせてしまってるんですよ」
「クールなハンサムウーマン系の方が、ゴージャスな肉弾系よりも色っぽいと?」
 訳の分からないことを言い出す男だわね、と怜美は首を傾げた。
「それって、あなた自身の女性観や好みの問題では?」

 確かに自分のファッションスタイルは、カジュアルでもフォーマルでも基本、モノトーン路線。シックにしたいのは女としてどうのこうの以前の問題で、オケ人としてもソリストとしても、華やかなドレス姿ばかりが印象に残って音楽の妨げになってはいけないから。
「そりゃあ舞台って、聴衆を現実からかけ離れた世界へと誘うものだから、アーティストは装いにも気遣わなきゃならないけれど、自分を素敵に見せたくて着飾るよりも、舞台の主旨やプログラムに沿ったスタイルをまず考慮しないと。だけど伴奏のかたが派手なドレスになってしまうのを気にされるといけないので、ソリストとしては、そこそこの存在感も必要ですよね」
「あなたは何もせずとも存在感、充分あるから大丈夫ですよ」

 たまたま居合わせ、こうした二人のやりとりを興味津々で見物していた施設スタッフらの間でも、ひそひそ話が交わされる。
「でも彼女の飾らないファッションセンスって、美人ならではの話ですよね」
「元がいいから、自分を良く見せようとしなくていいわけよ」
「目鼻立ちがはっきりしてるのに、甘さも、ちょっと妖しげなところもあって、彼女って何とも魅力的」
「すらりとしたスタイルも完璧だから、シンプルなドレスでも充分舞台映えするんですね」

 鬼監督の有出絃人はこの茶番をさっさと片付けるべく本題に入る。
「自分を飾ろうとしないスタイルを、演奏面でも打ち出そうとしてるでしょ」
「え? そんなこと、意識してませんけど」
 まずは否定する怜美であったが、
「まあ、フルートですからね、透きとおっていたいですよね」と、半分認める形をとる。
「妖艶って言葉が嫌いなのは分かりますが、それを打ち消すべく常にニュートラルでピュアな音楽性を目指しちゃうから、妙に幼い感じだったり、そっけなかったり。トゥッティではそれで良しとしても、完全ソロだとねえ......」
「つまり、あたしの演奏が子どもっぽいとおっしゃりたいのね」
 彼女はむくれて反撃する。
「だけどあなたの理屈だと、ひけらかしより隠す方が魅力が際立つんじゃなかったかしら?」
「基本は楽曲の本質を伝えるべく、まずは感情を抑え、客観的に音楽に向き合っていく。アーティスト個人の魅力は、それができてこそ、後からついてくる。だけどあなたの場合は、無理に抑え込もうとして不自然になっちゃってるんですよ。あなた自身の持つ芸術の本能が、もっと素直に、自然に語り、歌いたがってるのに」

 話がこんがらがってきたので、遠巻き見物のスタッフ陣も、自分らなりに話の方向性を見極めようと、再びこっそり意見を交わし合う。
「演奏面でも飾ろうとしない姿勢が、無頓着な演奏に聞こえてしまうわけか」
「しかし隠されてる魔性のせいで、音楽性に矛盾が生じてしまう」
「しかも今回は若造の美フルートに差をつけなきゃならない」
「ですが有出氏らしくないですね。大人の女性の魅力にやけにこだわって。彼、ライバルに差をつけるとか、そんな小細工、逆に毛嫌いしそうだけど」
 そこで彼らの出した結論は、

「彼女の表現力の乏しさを、プライドを損なわぬよう、うまいこと色気に結びつけてやんわり指摘しているのだろう」
 ということで落ち着いた。

 しかし納得できない彼女。
「でも矛盾してません? 本物の大人の色香がひけらかして生まれるものでないとしたら、大人な音楽だって意識して創り出すものじゃないでしょ」
「ですからあなたが持って生まれた女性らしい感性、本能的に隠そうとしている甘さや愛情を、解放してやりさえすればいいんです」
 と言って絃人はカウンターの男性陣を見やり、
「ああして温かく見守ってくれているスタッフさん方への感謝や愛情を込めて、彼らのために吹かれてみてはどうですか。聴かせよう、聴いてもらおう、じゃなくて、心を込めて贈るんです。女神レベルの崇高さで」

 興味津々で高みの見物を決め込んでいただけで、温かく見守っていたわけではないものの、そこで「えへん」と、さりげなく姿勢を正した三人に、本番を客席で聴いていただくことは可能かどうか、絃人は尋ねてみた。
 リハーサルへの出入りには制限があったが、スタッフが客席で本番を観賞するのは自由とされていた。彼らは顔を見合わせ、シフトチェンジしてもらえば何とでもなるし、喜んでお受け致しましょう、と快諾する。
 お色気路線に走らされずにすんだことに安堵した怜美も、
「それでは三銃士の方々のために奏でてみましょうね」
 と、素直にその提案を受け入れることにする。

 とたんに彼女の音が変わった。
 音色そのものの色艶や優しさが隅々にまで行き渡る。それは人工的な怪しさとはかけ離れた崇高な世界。穏やかな聖母レベルの母性愛に満ちているかのよう。彼女は果たして、ダルタニアン絃人と銃士隊を優しく支える人妻コンスタンスか、あるいは銃士の彼らが命をかけて守るべきアンヌ王妃といったところであろうか。

 一方、カウンターの三銃士のほうは、粋な雰囲気のバーテンダーが伊達男アラミス役に決まりとして、残り二人のうち、どちらがリーダー格のアトスになるかで、こそこそともめていたが、やはり恰幅の良い方が怪力ポルトス役ということで話は落ち着いた。




59.「魅惑のメヌエット疑惑」に続く...




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