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「オケバトル!」 2. 殺人バトル、あるいは椅子取りゲーム ①

2. 殺人バトル、あるいは椅子取りゲーム ①



 舞台の袖からヴァイオリンの音。リストの〈レ・プレリュード〉の一節、輝かしい勝利の主題が近づいてくる。

 それだけでも、客席に待機していた総勢 118名の演奏家の誰もが、このホールの音響の豊かさに息をのんだ。
 しかしすぐさま、深い落胆のため息が吐き出される。
 希望に満ちた素晴らしいメロディーのはずなのに、どこかへなちょこで、素人っぽく情けない音程、乱雑な音色。何かがおかしい? と、誰もが感じ、不安を覚えた。

 ヴァイオリンを奏でながらゆっくりと下手から登場してきたのは、ラメ入り深紅のイブニングドレス姿も麗しき美女。テーマのさわりを少々雑にささっと弾き終え、粋なモデルウォークで舞台端のスタンドマイクの前に進み出る。
「はあい、みなさん。バトルシリーズへ、ようこそ! これから一ヵ月に渡って繰り広げられる、このバトルの司会兼サポーターの宮永鈴音です!」

 某ミスコンの優勝経験もある華やかな美貌を売りに、メディアで活躍する彼女の存在や、ヴァイオリニストとしての実力を知る者も、知らない者も、多くの参加者の希望がここで打ち砕かれた。
 まじめな音楽番組と思いきや、あんなのが司会だなんて! この企画もたかが知れたものだぞと。しかもこれから先、折に触れてこうした下手っぽいヴァイオリンや、軽薄っぽいお喋りを聞かされ続けるのかと。音はともあれ、なんて美しいんでしょう! と憧れのまなざしをを向けた一部の素直な若い女性陣は別として。
 基本、女性だらけの音高、音大で学び、異性との密な音合わせや共演を日常としてきた者たちは、舞台でのしゃれたドレス姿も含めて、女性の美しさに対する免疫ができているのだ。

「ただいまの曲はフランツ・リスト作曲の交響詩〈レ・プレリュード〉、つまり〈前奏曲〉ですね。そしてこれが、『バトル・オブ・オーケストラ』、略して『オケ・バトル』、もっと短く『オケバ!』でもオーケー。この番組のテーマ曲になりまーす」

 バトル・オブ・オーケストラ、通称「オケバトル」。

 栄光のバトル・シリーズは、CS放送のアート系専門チャンネルによって年に一度のペースで企画される人気番組で、これまでのバトルテーマは、写真や絵画、ペーパークラフト、服飾デザイン、歌や踊り、料理にベイキング等々と多岐に渡る。
 テーマごとに「バトル・オブ・◯ ◯」と題され、実に興味深い戦いが、画家や写真家、シェフ、パティシエ、ダンサーに歌手、デザイナーといった才能豊かなアーティストらによって展開されてきた。
 コンクールやコンペティションという表現ではなく、あえて「バトル」という言葉が使われるほどの過酷な戦いを、参加者は強いられる。その分野の専門家による容赦のない批判の言葉を仲間やカメラの前で否応なしに浴びせられる厳しい審査、ライバルとの励まし合いや足の引っ張り合い、裏切りに駆け引き、短時間で仕上げねばならない無理難題な課題。
 心身ともに極限まで追い詰められ、自己をさらけ出し、戦い抜いていく──あるいは脱落していく──挑戦者の様が視聴者の共感を呼び、既存のアイドルなどではなく、一般人に溶け込んで日常生活を送っている無名ながらも個性、才能、魅力あふれる出演者の各々に、熱狂的なファンがつくほどで、カリスマアーティストも多く誕生している。

 そして「マイスター」の栄冠を手にする者は、ただ一人。

 しかしながら百人をも超える演奏家が集結して競い合うという、今回のような大規模な設定は、番組史上初の試みであった。個々の音楽性だけでなく、オーケストラメンバーとして絶対不可欠な資質である協調性や、互いを思いやれるといった人間性も含まれた厳選なる審査を経て、勝ち残った一名のみに「オーケストラ・マイスター」の称号と、賞金一千万円が授与される。
 音楽家にとっての夢を実現できそうな、ソロ・リサイタルや、ソリストとしてプロオケとの共演、CDリリース、海外留学などのうちから、勝者がどれか一つ、自由に選べる豪華な副賞のおまけ付き。

 宮永鈴音が説明を続ける。
「そして最初の課題曲こそが、この〈レ・プレリュード〉となります!」

 マジかよ。
 受けて立とうじゃないか。
 無茶だ。
 やばい、やばすぎる。
 やった! 
 わくわく、ドキドキと、一同の反応は様々だったが、それでも素晴らしきこの名曲に挑戦できる幸せに、誰もが目をきらり、あるいはぎらりと光らせた。

「このあとAチームとBチーム、それぞれに演奏して頂きます。審査の結果、今回まず最初に勝ったチームの演奏が、もちろん一部分ではありますが、これから12回に渡って放送される番組の冒頭で毎回、テーマ曲として流される栄誉を授かります」
 15分ほどの名曲の、どこを切り取るのだろうか、と参加者は思いを馳せた。冒頭? それとも当然あそこか? あるいはクライマックスのあの部分か。
「そしてこのチーム戦における重大なルールのひとつですが……」
 ここで司会は参加者に死刑宣告でもするかのように、長いフェルマータ。それから低く太い厳粛な声色で続けた。
「負けたチームから、一名ないし二名、あるいはそれ以上の脱落者が出ることになります」

 司会の狙いどおり、客席は静寂に包まれた。

「毎回です。これから皆さんはたくさんのオーケストラ作品を演奏するわけですが、そうした課題曲ごとに勝敗が決定し、誰かがこの館を去ることになります。脱落者は基本、チームのメンバーどうしの話し合いで決めて頂きますが、稀に──」

 参加者の間にどよめきが広がり、司会の言葉が遮られる。自分らの判断で仲間から犠牲を差し出せってか? と。

「稀に、目に余るマナー違反や不正、完全なる実力不足、明らかに失格と見なされるべき奏者は、審査員や主催者、こちら側の判断で即刻番組から降りて頂くケースも生じます」
 司会の説明が淡々と続く。基本、バトルは一曲ずつ。短いリハーサルの後、舞台での本番。審議の末の結果発表。脱落者の選出。それが午前、午後、夜間と、曲の長さや種類にもよるが、おおよそ一日三曲のペースで進んでいく。といった大まかなルールが司会によって説明される。部屋は完全防音なので、自主練はルームメイトと譲り合いつつではあるものの、存分に音出しができる、云々。
「『相方が、脱落すれば、一人部屋』ですよお~」
 と、小悪魔っぽい口調で司会は冗談を言うが、客席からは軽蔑や呆れといった恐ろしく冷淡な反応。基本は台本どおりとはいえ、たまにこうしたアドリブを入れると、すべてが外れに終わるのが彼女のセンスのなさの現れであった。
「お互いがライバルですからね、多少の足の引っ張り合い、ズルや抜け駆け、小競り合いは、常識の範囲で心置きなくどうぞ。ただし、自殺も含めて殺人は、ナシです」
 客席の参加者は、ここで笑うべきか「失礼な」と、怒るべきか迷うところであったが、先のアドリブ失言も含めて、こうした発言はこれまで放映されたバトルシリーズでもしばし言い渡されるブラック・ジョークと知っている者もいたので、一応おざなりな笑いに包まれる。
「番組が中止になってしまいますからね。加えて脅迫や窃盗、傷害や器物破損といったいかなる暴力行為、破壊工作も許されません」

 ばかにすんなよ、と何人かがぼやく。客席からのそうしたつぶやきは当然予測されているので、動揺、あるいは怒りを抑える参加者の表情はカメラも逃さない。

「ちょっと失礼!」と手を挙げて、ヴァイオリンケースを脇に抱えた中年の女性が客席を立つ。
「さきほどからずいぶんと聞き捨てならないことをおっしゃってますが。私たちは良識のあるプロの音楽家として参加しているんです。学か真摯に音楽に向き合うために、希望を、胸に──」
 ここで彼女は感極まったのか、うっと言葉を詰まらせる。
 誰かが「そうですよ」、「そのとおり!」と励まし、続きの言葉を温かい応援で促してやる。

「あなた、お名前は? なんておっしゃるんです?」
 内心むかつきながらも司会が穏やかな調子で尋ねる。実は挑戦を意図する質問であったのだが。

「Aチーム、ヴァイオリンの山岸よしえです」

 この時点では、ホール客席に散らばって座っている面々が各々どちらのチームか、まだ互いに把握しきれてはいなかった。既に意気投合して肩を並べているルームメイトどうしは別として。Bのメンバーの中には、この面倒くさそうな勇敢マダムと同じチームでなくてほっとする者も少なからずいたし、AはAで、「やばいおばさん」と警戒心を抱く者もいたが、基本は同じ志を抱くアーティストとして素直に声援を送りたいところであった。

「私のようにいっときは引退した者も、これからたくさんのことを学ぶべき若いアーティストも、皆が、あらゆることを犠牲にして、他の仕事も断って、この番組に参加しているんです。最初から参加者を見下して、余計な言葉で刺激してライバル心をあおって、混乱を招くような姿勢はやめて頂きたいんですけどね」
 怒りを押し殺すように、彼女は締めくくった。
 そうだそうだと、多くの参加者による盛大な拍手がわき起こる。だが最初から反発を抱いた者は、「ええかっこし」だの、「お涙ちょうだいの点数稼ぎ」、「おばさん、そんなに熱くならんで下さいよ」と完全にしらけきった冷たい反応を見せる。

 困ったのは司会の宮永鈴音だった。
「さあ、どうでしょう……」
 と、とりあえず大げさに首を傾げて時間を稼ぐ。台本どおりを語っているだけなのに、憎まれ役だなんて! 自分は今後、参加メンバーを支えて励ますサポーター役も仰せつかっているというのに、初っぱなから反発を勝ってしまうなんて、とんだ計算違い。内心すっかりうろたえてしまうものの、司会のプロとしてのプライドをかけて踏ん張り、下手に謝罪するよりも優位に立つ姿勢を貫くことにする。
「今に分かりますよ」
 と、勝ち誇った笑みを浮かべる。
「これが、たった一人の生き残りを賭けた熾烈なバトルだということを、お忘れなく」

 参加者らを洗脳して醜い争いを巻き起こす策略なんだな。誰がその手に乗るものか。と、その時点では誰もがそう思っていた。自分たちが崇高な精神を持った芸術家であるということに誇りを抱いていた。
 しかしそうした崇高な心意気など一日たりとも持たないことになろうとは、誰が予測したであろうか。




② に続く


♪  ♪  ♪ 今回初登場の主な人物 ♪  ♪  ♪

宮永鈴音(りんね) 華やかMC

山岸よしえ Violin 熱血マダム






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