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「オケバトル!」 77. ひとたび選曲したならば


77.ひとたび選曲したならば



 ざわついていたリハーサル室が、突如しいんと静まりかえる。ニ拍ほど置いて、有出絃人の口から絶対条件も添えられた。
「〈田園〉でしたら」

〈田園〉なら絃人さんが振ってくれると?
 その言いようだと、他の候補曲を振る気はナシ、と。
 なら〈田園〉しか、選択肢はないじゃないですか!

 皆がぐるぐる思考を展開させる中、
「よしっ、我らは〈田園〉ってことですね!」 
 別所が力強く、鶴の二声目を発した。
 それを合図に、わあっ! と気合いの声に、指揮の責任を担う絃人への激励も込めた拍手が沸き起こる。

 だったら最初から言ってよね! この話し合いの時間、どれだけ無駄にしたわけよ? なんて思う輩もいたのだが、有出絃人にしてみれば、一同の様子を探りつつ、彼らに本気のヤル気を出させるタイミングを見計らう必要もあったのだ。
 独裁者的無理強いは士気を貶めかねない。
 経験上、団結オーケストラに対する指揮者ならではの孤独感、疎外感というものも、絃人はそこそこ知っていたから。しかし話が中々思惑どおりに進まなかった為、駆け引きの末の、結局は有無を言わせぬ意思表示。

 ベートーヴェンの交響曲の中でも、古今東西の指揮者の多くが、とりわけ第六番〈田園〉を心から好み、是が非でも振りたがるもの。

 有出絃人は指揮者でないにせよ、いっときは指揮者を志していた時期もあり、オーケストラの弦楽器族に身を置きながらも、時に指揮台に立ち、リーダーの視点でも仲間や楽曲に慣れ親しんで来たので、指揮者に共通のそうした想いも自然に養われていた。

 何としても〈田園〉を振りたいと。

「今から30分、個人練習タイムでお願いします」
 絃人の指示に、朝メシ前の話し合いのはずだったんだけど……、てことは朝メシは抜きかあ、なんてがっかりする呑気者もいれば、言われるまでもなく入口付近の机に積んである各パート譜から自分の分をダッシュでかっさらい、必死で譜読みを始める者もいれば、弦楽器などは各パートごとに、気の利く若手が迅速に仲間に配って回ったり。

 この曲中、各々ソロの活躍場面のある木管の生き残り四人組とホルン首席は、すまし顔ながらも内心大張り切り。彼らの想いはハイリゲンシュタットの遥かな田園地帯へと向けられる。
 やはり罠は七番で、あのじいさんによる、いかにもハイリゲンシュタットの田園地帯を歩いてそうなベートーヴェンの扮装は、やはり重要なヒントだったわけだ!

 いやあ、散歩ならハイリゲンシュタットに限らず、ウィーン中のどこだってベートーヴェンはあんな姿だったろうに……、という少数懐疑派の見解も無きにしもあらずだが。

 重圧のリーダー役を有出絃人が自ら引き受けてくれたことで、満面の笑みと共に心底ほっとしたのは、何れの課題曲に転んでも出番のなかったパーカッションの谷内みか。下手すれば指揮台に一直線の運命を背負わされるところだった。あぶない、あぶない。
 打楽器奏者という種族は、大曲中、ミクロレベルの完璧タイミングで鳴らさねばならない、たった一度の肝心要のシンバルなど、一発集中の重圧も多く、強心臓や太っ腹を持ち合わせていないと生き抜いてゆけないもの。
 それでも、このバトルは本当に心臓に悪い。
 あまりの安堵から、つい口元が綻んでしまう。あぶれ者も舞台に乗るルールであるなら、譜めくりでも解説トークでも、何でも致しましょう♪  なんて楽観視していると、
「出番のないパーカッショニストさんは、ピッコロの代用になりそうな楽器、何か調達してきてください」
 早速、指揮者から声がかかる。
「できればピッコロに限りなく近い音色のものがいいんだけど」
 つまり今回は、打楽器奏者がピッコロの、つまり足りないフルート奏者の代わりをせよ、と?
 パーカッションは「打楽器」というだけに、基本は打つ、叩くといった行為を伴うパートであるものの、木管楽器では構造上表現できないような特殊な鳥の鳴き声とか、どんちゃん騒ぎのホイッスルといった笛系の、息を吹き込む「吹く」楽器も編成によっては回ってくることもある。
 とはいえ、実際のスコアに正式に記されたフルートパートをパーカッションが受け持つなんて、身が重すぎる。明らかな範ちゅう外。彼女が拒絶とも懇願ともとれる哀れっぽい表情で、鬼の有出氏にもの申そうとするも、
「ティンホイッスルとか、カズーとか、音程が違おうと音色が派手になろうと何でもいいので、嵐の場面に溶け込んで高音をピィーとやらかしてくださればよいので」
 まあ、仕方ないですね、これはバトルなんだからね、何でもアリですよ。と仲間に慰められ、谷内みかも覚悟を決める。
「あ、もちろんピッコロ吹けるなら、ピッコロで」
 吹けるわけありません! 絃人からの一応の付け足し言葉は聞こえなかったことにして、指揮を免除されるなら何だってやるしかないかと、要望の楽器を探しに地下の楽器庫に走るのだった。

「できたらバロック・トランペットに、あと、ティンパニもバロック型を使ってもらえるとありがたいんですが」
 トランペットとティンパニ奏者にも指揮者から注文が入る。
「楽器庫にあると思うんですよね」

 手持ち以外の楽器、しかも珍しきバロック・スタイルときましたか。まあ、プロなら当然のごとく使いこなせるべきなんでしょうが、一応でも、
「吹けますか?」
「叩けますか?」
「どう思われます?」
 といった本人への確認は、ナシですか……。
 と、皆が己の譜面を目で追いつつ、耳をダンボに様子を見守っていると、
 新参春日拭子と古参青年のトランペッター2人は顔を見合わせ、「はあい」と素直に出てゆくも、
 一方のティンパニ奏者は、
「無理です」
 と、きっぱりお断り。

 このバトルに「無理」という言葉は禁句では? それを有出が許すのか? リハーサル室はとたんの緊迫ムードに包まれた。
「どうして?」
 有出指揮者は表情ひとつ変えず、しかし容赦のない口調で問い返す。「できない」とは言わせまい。納得の理由があるなら述べよとばかりに。

「ともかく時間が足りない。セッティングだって、バロック式は従来のより小型とはいえ、そもそもティンパニって、フルコンのピアノを運ぶより、実は大変なんですよ。第一にまず、こいつらをどかさなきゃならないんだし」
 と言って両腕を広げ肩をすくめ、手元に置かれたティンパニ群を軽く叩いて示し、まったく、楽器のこと何も知らないインチキ指揮者めが! といった怒りを腹に抑えた低い声色で説明を続けていく。
「仮にバロック・タイプが楽器庫にあったとしてもですよ。どのくらい長い間、放置されてたか分かりゃしないんです。調整にどれだけ時間がかかるやら。使うんなら、はっきり言って昨夜のうちにでもメンテナンスの必要があったでしょうね」
 一気に正当な理由を述べる貫禄のティンパニ奏者に対し、
「こっちも気分でお願いしてるわけじゃないので」
 どこ吹く風で絃人は言葉を返す。
「あの楽器庫番人の、何でも屋の砂男じいさんが、既に調整してくれてますよ。ベートーヴェンの扮装まで周到に準備してたくらいなんだから。我々が選びそうな楽器の調整を、彼がしてない訳がない」

 なんという理屈なんでしょう! 楽器庫マイスターがそこまですると踏んでるとは。一同びっくり呆れるも、しかし確かに一理あるかもですね、さすが絃人さん、何もかも承知の上での提案なんですね! とすっかり納得してしまう。

「ダメ元でも、とにかく確認に行ってください。使えそうなら、直接舞台にセッティングしてもらえばいいんですよ。それなら我々で運ばなくても、ステマネさん方、番組スタッフがやってくれるでしょう」
「でも、舞台リハの話なんて聞いてませんよ」
 絃人の提案に意義を唱えるティンパニスト。
「感触つかむ機会もナシに、ぶっつけで叩けと?」
「舞台リハ、ないのかな?」
 絃人は首を傾げ、リハーサル室の隅に陣取っていた宮永鈴音ら撮影隊に、何か聞いてませんか? と尋ねてみる。
 鈴音は、さあ? と首を傾げるも、傍に居た撮影スタッフの一人が、イヤーレシーバーに情報が入ったらしく、さっと手を挙げた。
「舞台リハ、あります!」
 この素早い返事のタイミング。彼がレシーバーで上に尋ねた様子はなかったし、誰か権限のある者、噂のおばさんディレクターか誰かが、一部始終を観察してたってわけ? こんな話し合いまで見張られてるんだね。うっかり何も言えないわねと、一同少々落ち着かない気分になってしまう。
「逆リハで、皆さんは、10時から11時までが持ち時間です。但し現状復帰でお願いします」

 現状復帰。というからには大型楽器、やはりバロック・ティンパニの存在を意味するのではないか。確信を持った絃人は、宮永鈴音にステージ・マネージャーの所在を尋ねてみる。
「宮永さん、ステマネの岩谷さんとは常に連携されてらっしゃるんですよね?」
「ええ、まあ」
「我々Bチームはバロック・ティンパニを使用する旨、伝えといて頂けます? あと、セッティングも」
 何で私が? 連絡係しなきゃならないわけ? という言葉を鈴音は一応、呑み込んだ。カメラが回っていたので。
「サポーター役って、そうしたことも含まれてるんでしょう? すみませんが、よろしくお願いしますね」
 とだけ述べて、指揮者は鈴音の返事も聞かず、今回のコンサートマスターとの協議に入ってしまう。

 有出ペースに乗せられたくないので、鈴音は「いいえ違います」と、有出の背中に声を投げ、
「サポートは、あくまで精神面でのサポートってことなんですけど、まあ、この際だから伝言くらいでしたら」
 と、大らか対応で好印象を残すことに。そしてリハーサル室を出たところでカメラに向かって振り返り、
「Bチームをサポートした分、Aの方々にも何かして差し上げないとね」
 と、皮肉をチクリと言うのも忘れない。それから急に改まって声色をチェンジ。

「課題となったベートーヴェンの三曲中、あえて最も難しいとされる〈田園〉を選んだBチーム。既に使用楽器の悶着が生じている模様ですが──」
 と、リポーター・モードの宮永鈴音に豹変する。
「ひとたび選曲がなされたからには、あらゆる手段を駆使してゆこうという新参の有出氏に、Bの皆さんがどのくらい応えられるか? そして対するAチームでは、どのような選択がなされているのでしょうか?」

 元々Bチームの個人練習につき合うつもりもなかったし、岩谷へ確実に伝言した後はAチームの話し合いの場へ向かうことにする。

「我が国では〈運命〉の愛称で親しまれている第五番か、Bチームと同じく第六番の〈田園〉になるか、あるいは第七番か……」




77.「無難に七番、指揮者ナシ」に続く...




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