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「オケバトル!」 54. スパイは壁に背を向ける


54.スパイは壁に背を向ける



「もしかしたら有出絃人その人こそが秘密工作員で、番組側の回し者なのかも」

 落ち着いた趣の和食処にて簡単に早めの夕食をと、大盛りの丼物を中心に、負けた上に主力メンバーを奪われた腹いせのやけ食いをしていたAチーム金管テーブルの席で、斥候役のホルン青年の口からぽつりとなされた爆弾発言。一同が一斉に箸の手を止め、疑惑の目線を交わし合う。

「あえて公に紹介されたトロンボーンのスパイ、あれは我々の目を欺くための単なるおとりで、有出氏は二重スパイだから、今後はBチームを勝利に導きつつも内部からじわじわと破綻させ、そのうちにまた我らのチームに何食わぬ顔で戻ってくるとか」
「そういうの、二重スパイって言いますかね?」
 首を傾げながら、安条弘喜がはっと気づく。絃人の演説によって、かろうじて脱落を免れた、おっとりトロンボーン氏である。
「もしかして僕をかばってくれたもの、無能なトロンボーン奏者をAに残しておこうって魂胆だったわけ? しかも大間抜けのボケ野郎なのに陰の支配者ならぬ立役者とか言ってよいしょしたのも、我々を破滅させる巧妙な計略と?」
 そりゃあ素直に喜ぶ気なんてなかったけど、そうなると、つじつまも合いますね、と寂しそうにうなだれる安条氏。

「事実上は私だって『教えてあげなかったお隣さん』の一人だったのに、皆さん優しくうやむやにして下さったけど……」
 舞台でトロンボーンの安城氏とは反対隣にいたトランペットの女性が不安げに言った。
「となると有出さん、無能なラッパだからと私を残そうとしたってことになりますよね」
「そんなこと……」
 ホルンの女性がそっと慰め、
「皆さん考えすぎですよ」
 そのルームメイトのヴィオラ嬢もやんわり批判する。
「第一、今の話、有出さんが番組側の潜入工作員だって前提でのことですよね」
「そんな節は、どう考えたってありえないでしょう」
 他の男性陣も否定するが、ひとたび疑い出すと、妄想はパラノイア的に広がりゆくもの。

 そもそも昨日〈こうもり序曲〉を終え、長岡審査委員長が指揮者を交代させて敵対するチームを振らせるべく命令した折、有出絃人は「ライバルチームを振る訳にはいかない」と、脱落覚悟で毅然と仲間意識を貫いたというのに、今回は移籍の要請を抵抗もせずにすんなり受け入れ、悲しむどころか嬉々とした様子であっさり仲間を捨てて「いち脱けた」してしまったのだ。
 残されたAの仲間としては、裏切られた感も拭えない。
 ホルンの青年は執拗に推理を働かせた。
「本来はもっと早めにチェンジするはずが、予定外のBチームの負け続けで引き抜き作戦の計算が狂い、Bばかり人数が減っちゃって、そろそろ限界ということでの今回の強行移動だったんですよ」
「しかし番組がそう計画してたとしてもBの皆さんがその気にならなきゃ、引き抜きなんてなされないはずでしょ」
「それにライバルチームの、にっくきリーダー格をあえて迎え入れようなんて、常識的に思いつくもんですかね」
「となると、言い出しっぺがいるはず」
「ラッパのおやじさんらしいですよ」
 ホルン青年がこそっと言った。
「影響力の強そうな鶴の一声の彼もまた、番組側の回し者なのかも」
「そうだ」
 もう一人の斥候役、先輩格のホルン奏者も同意する。
「これまでBチームの表舞台に立たされてきた、ネズミのミッキー氏こと山寺充希さんや ── 彼は既にお亡くなりですがね ──、あと、しぶとく生き永らえてるマエストロ浜野亮さんといった有能な若手を容赦なく指揮台に促したのも、ラッパおやじの有無を言わせぬ一喝だったらしいじゃないの。彼もまた、Bの陰の支配者だったりして」
「それってもはや陰どころか、完全なる支配者じゃないですか」
 と、言うのはバストロンボーン奏者。
「だいたいスパイって、あの丸山とか篠原とかいう潜入役のトロンボーン二人がやってたみたいに、極力陰を潜ませて、ろくに意見も言わず羽目も外さず、それでいてさりげなく皆に調子を合わせて。とにかく目立っちゃいけないんだから、有出さんとかBのラッパおやじの上之さんみたいに、オケマイスターの筆頭候補ばりに活躍する人材がスパイだなんて、ちょっと考えにくいですよ」
「確かに。さっきの感動的な有出さんの演説だって、周到に用意されたセリフとは思えないもの」
「本物のスパイって、街中を破壊しながら無謀運転のカーチェイスを繰り広げたりする映画の敏腕エージェントとかと真逆で、潜入先の現地で交通違反とかして捕まったりは絶対タブーだから、常に模範的行動を強いられるんですよね。当局に目をつけられちゃいけないから。ルール違反はもちろん、人目を引くほど見栄えの良すぎる容姿とか、派手な活躍ぶりなんかも一切ナシで」
「例えば学校で、校長に名前も顔も覚えてもらえないタイプが理想なんですね? 教師や生徒にも一目置かれるとりわけの優等生や、逆にいたずら常習犯の悪ガキといった、どうしようもないけどどこか憎めない劣等生とかでなく、ごく普通の大人しい生徒みたいな」

 こうして疑心暗鬼に陥りながらも各々が考えを巡らせる。ここで何かしらの見解を述べておかないと、下手したら我が身にスパイ容疑が降り注ぎかねないのだ。何かもっともらしい気の利いた意見を ──。ああ、腹を割って酒を酌み交わす仲間どうしのはずなのに。

「スパイ役だって途中脱落の危険も大いにあるから、じゃあ幾人も潜んでいるのかしら」
「ならば弦のトゥッティ族に紛れてるんだ!」
「いや、分かりませんよ。何食わぬ顔して管の首席の座に収まっていたりして」
「皆の動向をつぶさに観察して逐一報告してるんでしょうから、金管や打楽器みたいに後方配置の楽器奏者がスパイにスカウトされる可能性は、確かに大かもですね」

 そこで一同はっとして黙り込んでしまう。こうして会話をする中にもスパイが混ざっていると? そうなると、仲間の誰も彼もがスパイもどきに見えてくる。

「今にして思えば、あの騒がしい双子が同時に落ちたのも、何らかの陰謀だったかな」
「初日からかき回して参加者の神経を逆撫でして、そろそろ用済み、演奏技術のボロが出る前に番組側が引き上げさせたとか?」
「ほら、ご覧なさいよ」
 ホルン青年が、一同に周囲を見渡すよう促した。
「こうした食事やお茶の席でも、常に壁側を背に座りたがるタイプがいますよね。基本は年配のメンバーや格が上の人を奥の席、いわゆる上座に『どうぞ』と、促すものでしょう? なのに、明らかにペーペーっぽい存在ながら、どかっと奥の席に平然と座ってる輩が、そこここにいる。先輩格を差し置いて。気が利かない奴、なんかじゃなくて、実は皆を観察する使命があるから全体を見渡せる場所を確保しているわけですよ」
「いつも奥のソファ席でゆったり落ち着いている図々しい奴こそが、容疑者ってこと?」
「命を狙われる危険と隣り合わせの諜報部員って、いつ何時、刺客に襲われるか知れたものでないから、常に背後にも気をつけていなきゃならない。スパイの掟としては、敵に背中を見せちゃいけないわけだから、壁を背にして座るものなんですよ」
「だけど、ジェイムズ・ボンドはバーカウンターやカジノなんかで、周囲に完全に背を向けて平然と座ってますよね。隙だらけの状態で」
「ああした敏腕エージェントは別格。背中にも第三の目があるから大丈夫なんですよ」
「第一、ボンドは目立ちすぎるから本物のスパイではない」
「あと、敵の襲撃に備えて動線を確保しておく必要も。出入口付近の席を選んだり」
「それって、冷戦時代とかの実際の諜報部員のことでしょ」
「発想そのものが、なんか違いません?」
「基本、己の感性を大切にしたい芸術家肌なら、壁を背に周囲を観察するより、むしろ余計な人物が視界に入らないよう、壁面や窓の外が見える席の方が、落ち着くんでないかな」
「そう、一人の世界に浸りたいから、余分な視覚情報は極力排除したいもの」
「人間よりも、窓の向こうの自然の風景、大空や風に揺らぐ木々だとか」
「どうでしょね? 繊細な感性の芸術家だったら、逆に店内の空間に背を向けたくないかも。自分もそうですが、後ろがどうなってるか分からない状況って、何となく落ち着かないんで」
「それできみはいつもそうやって奥の席を陣取るんだね」
「年配者に上座を譲らずに」
「何だか怪しくなってきたぞ」
 先輩陣から皮肉を言われ、ホルン青年が慌てて言い訳する。
「だったら自分からそうしたこと言い出すわけないじゃないですか。やだな、僕は斥候役としての任務を果たすべくBに探りを入れるだけでなく、常にこうやって全体の動向を見張ってるんです」
 それからちょっとむくれて続けた。
「全部ちゃんと報告してるでしょ」
「いずれにしてもオケでは楽器配置がほぼ決まってるんだから、仲間に背中を見せる位置か、逆に仲間を見渡す位置かなんて選択の余地はないわけで、感性がどうのとか、背を向けるのが不安とか言ってる場合じゃないですよね」
「ジョージさんみたいな繊細な感性の画家とかでしたら、やはり窓の外に広がる風景なんかに意識を向けたいものでしょうね」
「どうかしら? 人物観察が必要な画家だって。それに彼、人好きそうだけど」
「いや、あれは演技でしょ。周りに調子を合わせてただけで」
「ジョージってすっごく魅力的で楽しい人でしたよね。今となっては懐かしいですね。オランピアさん ── じゃなくて、アントーニアさんも、明日いっぱいまでなんでしょうかね」
「ジョージは三日の約束って言ってたけど、今後のゲスト審査員も皆、そうなのかしら」
「ジョージもアントーニアも優しいし理解があったけど、この先おっかない審査員が来たら嫌だなあ」
「おっかなくてもいいけど、音楽のこと、ちゃんと分かってる審査員じゃないと」
「分からんちんなのに、好みで批判を振りかざしたり」
「そのうちに第二のスパイ役が、いつの間にかちゃっかり審査員席に収まったりしてね」
「嫌ですねえ。うかつに発言もできないじゃないの」
「気にしない気にしない。番組やライバルチーム、仲間に対する批判や要望だって、堂々と言えばいいんですよ。悪口とかでなく、自分の意見に筋さえ通っていれば」

「そろそろ夜の課題が発表される頃だから、リハ室に行かないと」
 先輩格ホルンの男性が立ち上がった。
「有出さんの代わりの仕切り役を、誰に受けてもらうかも決めないと」
 言いながら、スパイ談義を遮る形を作ってしまったことに不安を覚える。これって、ともすれば自分がスパイの張本人と疑われかねない流れではないか。そこで、あえてひと言つけ加えておくことにする。
「ああ、一応言っときますけど、自分がスパイだからって話を切り上げたわけじゃないですからね」

 仮に奴が本物のスパイだとしたら、あえてそんな発言はしないだろうということで、彼への疑いは回避された。




55.「当然『指揮』でしょ」に続く...




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