「オケバトル!」 78. 無難に七番、指揮者ナシ
78.無難に七番、指揮者ナシ
オーケストラの人間が曲目を自ら選ぶという状況に慣れていない者ばかりか、自分の提案による選曲で負けようものなら責任を取って脱落させられかねないということで、ここAチームの選曲会議では当たり障りのない意見しか出されていない模様。
そうした意味でも、怖いもの知らずで意見ができるオレ様的存在、有出絃人が果たしてきた役割は大きかったようだ。
やっつけ仕事で〈田園〉は不可能だが、五番なら三曲中で最も短いし、仕上げやすかろう。
やっつけでなくても有能な指揮者がいない限り〈田園〉は不可能なんだから、やはり除外ですね。
しかしそうした逃げの発想が、番組の罠かも知れませんよ。難曲であろうと果敢に挑むべきでは?
ではあなたが振りなさいよ。
いえいえ私が抜けたら木管が成り立たないから無理ですよ、等々。
「もはや堂々巡りになりそうですし、まずは楽器編成から考慮してはいかがでしょう」
今回のホルン首席が提案する。どの曲に転ぼうとスコアでは己の楽器は二管編成となっており、四人中の二人はあぶれる計算だが、勝手に倍にするか、交代で吹くなど、全員が舞台に乗れないことはない。ホルン氏が続ける。
「ちなみにトロンボーンが入ってるのは五と六だけで、七番には入ってないんですし、どんな曲でもチーム全員が舞台に乗るのがバトルのルールっていう以上、曲想云々より、七は自動的に除外なのでは?」
金管仲間のトロンボーン二人を思いやっての、優しい仲間の意見に聞こえるが、実は第七番はホルンの高音域が多く、大変難しいので避けておきたい、という思惑が隠されていた。
話し合いの収録を壁際で見守っていた宮永鈴音が撮影クルーに合図を送り、ここで視聴者に向けてそっと解説を挟む。
「ベートーヴェンの九つの交響曲中、トロンボーンが編成に入っているのは〈運命〉と〈田園〉と〈第九〉の三曲のみ。いずれも出番は極めて少ない上に目立った活躍もなく、最初の音出しまで、延々と待つ必要もあるんです。なので、残念ながらトロンボーンは元々存在感に乏しいのは確かでしょう」
どの曲に転んでも、どうせ出番はないに等しいんだから、最初からトロンボーンなんて無視して考えればいいでしょうに。なんて意地悪っぽいコメントは控えておく。
え? 七番は除外? できる曲はもはや第七番しかないでしょと、発言はせずとも多くの者が思っていただけに、こうした思いやり精神は何としても排除せねばと、当のトロンボーンに遠慮しつつも弦楽器の誰かが慌てて異を唱えた。
「しかし五番のトロンボーンは三管編成なんですし、あぶれるよりも、むしろ足りないほうが遙かに困ると思いますよ」
基本はトリオでハモるのが定番のトロンボーン。〈ボレロ〉で身元が割れたテナーのスパイ氏が消えて、両チームともテナーとバスの二管が寂しく残るのみとなっていた。
「だったら、どうした意図で番組側が三者選択を強いてきたのか。例によって我々が簡単に引っかかりそうな、嫌な落とし穴があるもかもですよ」
「編成については最初から無理な人数設定なんですから。〈レオノーレ〉の袖ラッパみたいに特殊な場合以外、考える必要もないでしょう」
同じく弦の誰かがあっさり否定しつつ、チクリとひと言。
「発想がアマチュア化するのはどうかと……」
仲間意識の強いアマオケ、学生オケなどでは、年に数回しか機会のない晴れ舞台に出られないメンバーがいては気の毒だからと、少なくともメインの曲に関しては楽器編成が重視されることも多かろうが、ここに集うは一応は自称プロの演奏家で、これは情け容赦のないバトルなのだ。
いけないいけない。編成に入ってない楽器に、いちいち注意を払ってなどいられるものか。あぶれた者はこれまでどおり、指揮でも譜めくりでも解説トークでも、自力で出番を工夫すべきでないか。と、誰もが改めて認識する。
「そうですよ。編成にトロンボーンがあるかないか、なんて無視していいですよ」
我が身心地の悪さから、あぶれ楽器を代表して安条弘喜がしぶしぶながらも爽やか口調で言わざるを得ない展開に。
「我々トロンボーンとかホルンの半分とか、今回の選曲で外れた楽器は、既に木管二管編成が破綻しているBチーム同様、足りない編成を目立たない程度に、オリジナルを損ねないよう充分注意を払った上で、カバーすればいいんですから」
有出絃人から「陰の立役者的存在」と言われて以来、その役割をしかと受け入れてきた立場としても、おおっぴらな意見は控えておきたい安条氏であったが、トロンボーンに遠慮なく話を進めてもらうべく、潔く身を退く姿勢を見せて相方のバストロンボーンとうなずき合う。そして皆が慎重に言及を避けていた肝心要の部分にポイントを絞っていく。
「オケの楽器によって、曲に対する思惑もそれぞれ違ってくるんですし、もはやそうしたことよりも、選曲は肝心の指揮者、振ってくれる方の意向を、まず伺うべきと思いますけどね」
ざわつき気味だった室内が静まりかえり、皆の注意がドア付近の後方に一斉に向けられた。
「いや、僕、無理ですよ」
既にパーカション指揮者のレッテルを貼られてしまった平石昇がのけぞって拒絶する。
「ベートーヴェンなんて。昨日の小品だって、トンデモ綱渡りだったのに、シンフォニーなんて、まさか。ふざけんじゃないよ、ってお叱り受けちゃいますよ」
「誰も叱ったり責めたりしませんから」
「いや、ベートーヴェンさんに叱られます!」
絶対に無理です、振れません。いや、振りませんからね。と必死でごねる青年の姿が哀れすぎ、
「では、あぶれそうな他の方で死刑台──、じゃなくて指揮台に立てそうな方は?」
誰かが一応助け船っぽく他のボランティア指揮を募るが、立候補する者などいるわけがない。
「では七番だとして、トロンボーンのお二方は?」
と名指しされても、二人は他人事のように首を横に振るだけ。
七番じゃなくてもいい、自分らがあぶれてもいいなんて言うんじゃなかったと、陰の支配者安条さんも青くなりつつ、
「分かりました」
と、覚悟を決めたかのように立ち上がった。
おっ! 陰の支配者、安条さんがついに!
振って下さるんですね!?
やはり頼れる支配者、じゃなくて立役者ね!
良かったあ。ありがとう。
心の中で感激した一同が、わあっと拍手しかけたところで、当の安条が実に爽やかに、明るく告げた。
「今回は指揮者を立てずにやってみましょう」
安条氏の決意に満ちた態度に、「振ってくれるのか!」と、一瞬でも期待した一同は、この提案に心底がっかり。
そうなると必然的に全責任を一身に背負わされる形となりゆくのはコンサートマスター。
期待と注目の視線が一斉に、今度はコンサートマスターに注がれる。
ようやく回ってきた初コンマスがベートーヴェンの交響曲とは! と、大いに意欲を燃やしつつも、慎重に意見を控えていた名もなき青年は、
「いえ、ダメです」と、すぐさま潔く撤退の姿勢を見せた。
「今回は僕のような初コンマスよりも、このバトルで既に指揮やコンマス経験のある確実な方に、この席をお任せできればと思います」
ヴァイオリンの誰かが、逃げコンマスさんに意地悪く念を押す。
「自ら譲ったんですから、あなたのコンマス順番は、改めて最後尾ってことになりますよ」
つまり次の回でコンサートマスターの座につける訳ではなく、残っているヴァイオリン全員の後回しにされるということ。責任逃れのヤル気のない輩には今後も引っ込んでいてもらいましょう、のニュアンスに、もっともだと思う者もいれば、チームのための自己犠牲の精神なんだから逆に評価すべきでしょ、と感じる者もいたが、そうした細かな事情は後に回される。ともかく一刻も早く曲を決めてリハーサルを始めねばならないのだ。
既に指揮やコンマス経験のある確実な方といえば? つまり浅田氏か、稲垣氏辺り?
アントーニア嬢が転落した〈オランピアのアリア〉、〈青きドナウ〉に、ビゼーの交響曲で、コンサートマスターを三度も経験している稲垣のほうが、僅かながらの先輩格である浅田に向かって「どうぞ。先輩にお任せします」と、スマートに大役を譲る仕草を見せた。
課題二曲目の《ウィリアム・テル》にして指揮者ナシのコンサートマスターを務め、続く《軽騎兵》や《アルルの女》ではタクトも執っている浅田が、
「五番は明快ながらも微妙に危険だし……。では七番しかないですね。まあ我々なら、Aチームならやれますよ」
我にお任せあれ、とばかりに軽く言い放ち、てきぱきと指示を出していく。
「まずは合わせてみましょう。燃焼する曲だから個人練習は後回しに。その方がエネルギー配分にも良いはずなので。ボウイングは、今のところは皆さんできる範囲で私を見て合わせて頂き、後でちゃんと確認するってことで」
ちょっと待って、いつの間に7番に決まったの?
それって、指揮なしコンマスの権限?
誰も賛成してないんですが?
あれだけ皆であーだこーだ言って何も決まらなかったのに、コンマスの一存で勝手に決められちゃったんですか?
Aチーム全体がはてなマークで満たされるが、一同無言で受け入れる。
Aは無難に七番、指揮者ナシ。
選曲されるや奇声の上がったBチームの反応とは大違いではないの。と、撮影陣は感心してしまう。
一切の責任が、隠れ指揮コンマスのベテラン浅田氏に背負わされることになるも、
「ですがリハーサルがスムーズに進むよう、今のとこ手の空いてる安条さん? 仕切り役、お願いしますよ」
え? 自分がリハを進めるの? まさか本番でもそのまま指揮台に上ってくれとかいう陰謀はあるまいね?
浅田に当然の如く促され、ここで指揮者の位置に立つことに一抹の不安を感じる安条弘喜であったが、自分は陰の存在であるべきで、本番で表に立たされるなんて展開にはなるまいと、腹をくくって音頭をとることにする。何しろ時間を無駄にはできないのだ。いえいえ、できません私なんか......、なんて遠慮している場合じゃないのだ。
「ひとたび曲が決まったなら、やるっきゃないですね」
但しあくまでも音頭をとるだけね。曲を創り上げていく訳ではありませんからね。安条は自らに言い聞かせる。
79.「進まぬ音出しとリポーターの空想解説」に続く...