「オケバトル!」 67. あぶれトロンボーンの逆襲
67.あぶれトロンボーンの逆襲
「昨夜に続いてビゼーの作品です。交響曲第一番、ハ長調は──」
苦心して完成させた解説台本の読み合わせを、ランチの席で数人の金管仲間を相手にトロンボーンの2人が披露し始めると、
「そうしたことは司会が先に話されるんじゃないですかね」
早速、待ったがかかる。
「お二方は進行役ではないのだから、あくまでも楽曲解説のみに徹するべきでは?」
そんな些細なこと、と別な誰かが口を挟みかけるが、
「もし自分が言おうとしていることを直前に鈴音さんに言われちゃったりしたら、その場で台本変更しなきゃならないでしょ。そうしたことに慣れてないなら、余分な内容は最初から入れなきゃいい」
「もっともかも」
あぶれテナー・トロンボーンの1人、安条弘喜はすんなり認めた。
「臨機応変に対処できそうなゆとりもないだろうし。では前置きナシでいきなり本題に入るとしましょうか」
エヘンと気を取り直して再びトークに集中する。
「ジョルジュ・ビゼーがパリ音楽院に在学中、17歳の時の習作で、音楽院の図書室で80年近くもの長い眠りについていたところを発見されました」
「まるでオーロラ姫なみの長い長ーい眠りだったんですね」
とは相方のバス・トロンボーン仲田氏。
「作曲家の没後60年にしてようやく初演され、今日では《カルメン》や《アルルの女》と並ぶビゼーの代表作ともされています。自然さ、素直さ、はつらつとした躍動感にあふれながらも、20年後に作曲される《カルメン》にも確かに通じる、哀愁を帯びたしっとりと叙情的な旋律や美しきハーモニーも、随所に見え隠れしています」
「少年ジョルジュの天才ぶりが遺憾なく発揮されたされたこの曲は、バレエ作品としても有名ですよね」
基本は安条が台本を読み上げる形で詳細を説明し、仲田が随所で合いの手や確認の質問を入れるといった、二人組ならではの流れを作っていく。
「バレエにおいては、ストーリーとかって特にないんですか?」
「そうですね。完全に音楽と一体化した群舞がひたすら繰り広げられてゆくだけで、数人のソリストが楽章ごとに登場します。ジョージ・バランシンの振り付けは、まさに見る音楽。シンプルながら一糸乱れぬ舞が展開していく様は、お見事! としか言えないほどの迫力。バレエ作品としても名作中の名作、各バレエ団の重要なレパートリーともされています」
「バランシンはストラヴィンスキーから、この曲を紹介されたんですってね」
「はい。早速パリ・オペラ座バレエのために『水晶宮』として振り付けます。そして翌年にはニューヨーク・シティ・バレエの創立にあたって改訂振り付けがなされた折に、『シンフォニー・イン・C』と新たに題されました」
「だからタイトルが二種類あるんですね!」
仲田がポン! と手を叩く。
「長いこと謎に思ってたんですよ」
「『水晶宮』として初演の栄誉を誇るオペラ座は今でも最初の版を守り続けており、NYCB ── ニューヨーク・シティ・バレエのことですよ、NYCBを始め、他のバレエ団は改訂版のほうを上演しているようですね」
「やはり改訂版のほうが洗練されている?」
「そうとも限らないようですよ」答える安条。
「オペラ座の振り付けは、ソリスト各々の華麗な技巧が際立ち、NYCB向けの改訂版は、バレエ団の特性を活かした一糸乱れぬ群舞がいっそう際立っているのではないでしょうか」
ふんふんうなずいたり、逆に少々退屈そうなそぶりで、こんな話題って必要? といった反応を示しつつ、2人のトークに耳を傾けていた周囲の仲間から再び待ったが入る。
「『ないでしょうか』って……、もしかして根拠のない意見だったりするの?」
「そうなんです。根拠、ないです」
悪びれもせず安条は言った。バレエおたくのファゴット氏やヤバおばトリオさんらに確認してみるも、「つぶさに観たって、両バレエ団の振り付けの違いなんて明確に分からないし、我々が演奏するにあたっても、そんなこと気にする必要ないはずだし、どうでもいい」と言われておしまい。伴奏ピアニストとしていっときはバレエの世界にも身を置いていた有出さんに尋ねれば即答が得られるんでしょうが、やはり今となっては彼もライバルですからね。御法度ですよね。と皆に説明する。
「では、バランシン云々からの話は、ガラガラポン、削除しちゃいましょう」
安条があっさり妥協する。
「『バレエ作品としても有名ですよね』から仲田さん、上手くつないでいただけますか?」
う~ん、と考えてから仲田が続ける。
「『交響曲として演奏会のプログラムに組み込まれるより、バレエ演目としてのほうがずっとポピュラーですものね』と俺が同意してから、楽曲解説に入るってことで」
はい、どうぞ。と仲田に促され、気を取り直して安条が本題を語っていく。
「ロマン派の、しかも課題をこなすために書かれた学生の作品といえども、曲全体は非常に古典的な手法で書かれていて、古典派交響曲の集大成、お手本的作品ともいえるほどの完成度。冒頭は活気に満ちた男性的な主題で明るく始まり、やがてオーボエのソロによって対照的な、しっとりと女性的で優美な第二主題が奏でられます」
誰かが手を挙げて遮った。
「男性的とか女性的って言葉、使っていいものですかね?」
「力強い男性に、優しい女性って概念そのものが、今の時代、もはや死語なのでは?」
「優しい男性に、力強い女性像だって、普通ですものね」との意見も続く。
「え~? ダメですかあ?」
調子も乗りつつあった2人はがっくり。
「気にすることないと思いますけど」
トランペットの若い女性が言った。
「ジェンダーフリーって、何もかにもに当てはまるものでないでしょう? そもそも男女って、体格も性格も声の質だって、思考回路や気遣いの度合いだって違うのに、何でも平等に、まったく同じに、なんて無理なんだから。男女に限らずとも、各々の違いは当たり前と割り切って互いを思やるほうが、理不尽な差別も自然になくなるはず。男性的、女性的が死語だなんて。むしろそうした発想のほうが今では逆に古くさくも感じてしまいますけどね」
「ふうん、女性の方からのそうした発言だと、妙に説得力ありますね」
「とはいえ今回はテレビ番組でもあるのだから、言葉は慎重に選んでおいても損はない。では百歩譲って、第一主題はベートーヴェン的な力強さを、第二主題はモーツァルトを思わせる優美さを……、とかいった感じではいかがでしょうね」
安条氏の妥協案に、何々的とか枠にはめなくても、と一同首を傾げつつも、視聴者に分かりやすく楽曲のイメージを伝えるには、まあ良いですかね、問題があればカットしてもらえばすむことでしょうしね、と話を先に進めることにする。
第二楽章では、ヴィオラの優しげなピッツィカートに乗ってのオーボエの、もの悲しいメロディーが印象的。中間部では麗らかな弦楽器がカノン風に進行し、再び哀愁のオーボエが戻ってきた時は、オケ全体がよりいっそう細やかな動きで支えることで感情の静かな盛り上がりを見せてゆく。
さりげなくも実に見事な手腕は、まさに天才少年のなせる業。
はつらつとしたスケルツォの第三楽章では牧歌的なのどかさも描かれ、第四楽章では、軽やかに駆け巡る弦の動きが最大の効果を発揮、続いて軽いマーチに、大らかに流れるメロディーと、複雑さを増しながらも自然と動機が発展しゆき、仰々しい大団円ではなく、この曲全体の明るく爽やかなイメージを保ったまま、軽快なコーダで締めくくられる……。
といった大方の楽曲説明がトロンボーン奏者2人の軽妙なやりとりで語られた時点での、一同の感想としては、
「分かりやすく、興味深くもあるけど、これじゃあ、宮永鈴音さんが普段紹介している楽曲解説と大差ない気がするんですよね」
がーん、トークの視点そのものが違っていたか? 苦心して練り上げた内容なのに? と、もはやヤル気も失せてしまう二人。
「せっかくなんだから、演奏家ならではの視点でトークを展開したらいいのに」
「楽器紹介とか」
「そうそう。出だしを弦に弾いてもらったり、要となるオーボエにメロディー吹いてもらうとか、四楽章で駆け巡る弦の動きとか」
すべては無駄に終わったか。原稿を一から書き直さねばならぬのか。と、トロンボーンコンビはすっかりうなだれてしまう。
「そうがっかりなさらなくても」
トランペットの女性が軽い調子でアドヴァイス。
「プロの司会者みたいにトーク、決まってますよ。あとはただ、お二方が考えた内容を活かしつつ、要所要所で楽器も紹介しながら音を入れていけばいいんですよ。いつも鈴音さんは、ご自身がヴァイオリンで色んなさわりのメロディーを紹介するだけで、私たちオケには決して振って来ないでしょう? こちらがトークの主導権を握れた今回みたいな舞台だからこそ、最大限に利用しちゃえばいいんですよ。それこそ『やったもん勝ち』で」
なるほど、そうか! と、トーク係の2人も納得。音出し紹介の奏者と段取りを組み直すことにして、いよいよの本番を迎えゆく。
「そもそも私ら、どうしてここに立ってるんでしょうね」
仲田が安条に問いかける。
「舞台に自分の席がないので」
肩をすくめて答える相方の安条氏。
「つまり17歳のジョルジュくんが、この交響曲にトロンボーンを組み入れてくれなかったからなんです」
そう言って、ため息をつく安条を慰めるように仲田が続ける。
「ビゼーが古典的な感性でもって作曲したのなら、私らトロンボーンが完全無視されたとしても文句は言えませんね」
「確かに。交響曲の基盤が築かれた歴史から言っても、トロンボーンが入ってくるようになるのは、ベートーヴェンだって五番の〈運命〉からですもの」
「あとは六番の〈田園〉と第九だけ。ベートーベンの交響曲のうち、トロンボーンが使われているのは」
「使われてると言っても、僕らの出番って実に少ないじゃない」
「しかもですよ。この三つ、いずれの曲もトロンボーンの音が最初に発せられるのは、曲が開始されてから20分も経過して、ようやくの出番だったり」
「昨日の〈ボレロ〉みたいに、いきなりソロじゃないだけ、まだマシですがね」
「元々トロンボーンは、宗教曲の神々しい三和音を奏でる神聖な楽器として存在していたので、初期の交響曲においては完全なる新参者扱いでした」
「交響曲というジャンルで、トロンボーンが重要な役割を果たすようになりゆくのは、ブルックナーとかマーラーとか、大規模編成の曲が書かれるようになってから」
「目立つソロはそんなになくても、トロンボーンの三和音が入ると、曲全体に奥行きが出てきますよね」
そこまで言って、仲田はふと思いついた気の利いたひと言を付け足した。
「なんというか、二次元の世界が、三次元に広がりゆく感じ」
「うまいこと言いますね」
感心してパートナーを見やる安条もアドリブで返す。
「皆さん? 楽曲の背後でオーケストラのハーモニーを支えるトロンボーンにも、今後ぜひご注目くださいよ!」
安条弘喜が明るく言いながら2人で自らの楽器を掲げ、いったん話をまとめる。本音はテナー・トロンボーンとバス・トロンボーンの違いなども実演交えて説明したかったのだが、今回の課題曲には登場しないこともあり遠慮しておくとはいえ、続いての各パートによるメロディーのさわりなどを奏しての楽曲紹介は、もはやおまけのようなもの。
Aの金管仲間の横やりのおかげで、むしろ、そこにいないはずのトロンボーンの存在をかえって印象づける展開となったことに、あぶれ者の2人も充分な手応えを感じゆく。
「それでは、天才少年ジョルジュ・ビゼーのシンフォニー・イン・Cを」
「我らが精鋭Aチームによる演奏でお届けします!」
68.「如何に工夫を凝らせども」に続く...
♪ ♪ ♪ 今回名前が初登場の人物 ♪ ♪ ♪
仲田 Aチームの気の良いバス・トロンボーン氏